日本語で言うところの孤独とは、どうやら仲間や身寄りがなく一人ぼっちであることらしい。


しかし、これが英語になると、選択型孤独(ソリチュード)と絶望的孤独(ロンリネス)の2つに分かれるとのことだ。


これはすごくわかりやすい解釈だな、と思う。


あたしは昔から友達と呼べる人が少なかったけれど、これは好き好んでそうしてきた訳ではない。


どちらかと言えば、大勢でわいわい賑やかに過ごすことも好きだし、出来ることなら、親友と呼べる友達とこゆい密度で関わっていたいと思う。


でも、実際には浅く狭く付き合う友達が数人(片手で余るほど)いる程度だ。


子どもの頃は、人との距離感が掴めず、相手の気持ちも考えずに友達になってオーラ全開でぶつかって、相手を困らせてしまったこともある。


でも、さすがに大人になった今ではその辺の見極めは出来るようになったと思う。……多分。


親友が出来ない寂しさは相変わらずあるけれど、浅く狭い友達だってあたしにとっては大事な大事な友達だ。


少なくともあたしの孤独は絶望型じゃない。


人との距離感を測った上での選択型孤独だ。


そう。あたしは好きで孤独をやっているのだ。


そう思うと少し救われる気がするから不思議だ。