義務教育でもやっていますが、確認のため一応触れておくと、日本国憲法の3大原理として①国民主権②基本的人権の尊重③平和主義が挙げられることがあります。

 

国民の権利を保障する(=②)ためには、国民自身が政治の主役(=①)でなければなりません。

国民自身が政治に関わっていれば、あえて自分の権利を侵害するようなことはしないはずですし、少なくとも他人に任せている場合よりは安心できるでしょう。

また、保守派や右翼の方に抗議されるのを覚悟で笑笑、あえて書きますと、国民の人権を守るためには平和が守られていなくてはなりません。

平和はしみじみありがたいのです笑笑

 

こうして日本国憲法を貫く3大原理は、一部の人しか政治に参加できず、人権は侵害され、戦争に行かなくてはならなかった時代に比べれば、重要性は低下しているとすら言えるかもしれません。

 

選挙での投票率が低下し、目立った弱者は袋叩きにされ、勇ましいことを言って平和のための戦争を肯定するような社会ではありがたみがわかりにくいとさえ言えるでしょう。

 

確かに、戦後に新憲法が制定されてからもうすぐ80年となれば、その内容に古びたものができるのは当然です。

 

しかし、日本国憲法を一度でも学んだ者にとっては、その前文の内容のリアルタイム性に驚きの目を持って見ることができるはずです。

 

日本国憲法の前文は4つの段落で構成されています。

以下は呉先生の受け売りです。

ここまで前文の内容をコンパクトにまとめたものは見たことがないので、重要なものについて引用させていただきます。

 

まず第一段落では、主権が国民に存すること(=国民主権)を定め、自由のもたらす恵沢の確保(=基本的人権の尊重)と戦争の惨禍からの解放(=平和主義)を宣言しています。

そして、この3つの原理が人類普遍の原理であると高らかに謳っています。

 

次に第二段落では、全世界の国民が平和のうちに生存する権利(=平和的生存権)を有するとしています。

 

第三段落は、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないと、日本は国際協調主義をとるべしとしています。

 

最終段落では、日本国憲法の崇高な理想と目的を達成することを国民に約束して、前文が終わります。

 

こうした前文の内容は、日本国憲法の1条以下の条文にも規定されているとも言え、この前文に独自の法的意義はないようにも思えます。

 

しかし、現在の憲法学では一般的に前文の法的意義を認めて、日本国憲法の一部であり、前文を改正するには96条の厳重な改正手続きを経なければならないとしているのです。

 

また、前文には人類普遍の原理に反する一切の憲法を排除するとしている規定があり、人類普遍の原理に反する憲法改正はできません。

 

したがって、日本国憲法の前文には法規範性があると言えます。

 

では、例えば、前文に反するような行為を国家がした場合、前文違反で損害賠償を獲得するようなことができるのでしょうか?

 

この点、前文の規定は抽象的で具体性がないことを理由に、そうしたことまではできないと最高裁も学説も考えるのが一般的です。

 

専門用語で言えば、前文には裁判規範性がないということになります。

 

ただ、前述の通り法規範性はあるので、日本国憲法1条以下の解釈基準にはなりえます。

 

例えば、前文に規定されている平和的生存権を基準として憲法9条を解釈すると〇〇のようになる、などとすることは可能というように考えられています。

 

やっと終わった❗️

 

残りの時間は、読書に充てようと思います。

 

おやすみなさい。