先日、通おうとしていたA型作業所から不採用の通知を受けた。この作業所は障害者の絵を展示販売し、企業に対して「小さな美術館プロジェクト」として観葉植物の入れ替えのように、毎回絵を取り替えている。
この作業所の体験に参加した。その前に見学をしたのだが、写真からトレーシングペーパーで線で写し取り絵を仕上げている人が居た。その時は「へー、こんな方法を取るんだ・・・・」くらいだったのだが、後日の体験で朝礼の後にインターネットから引っ張ってきた写真を整理する事から始まった。写真をやっている私としてはかなり違和感を感じた瞬間だった。
私は「売りたい絵」では無く、「売れる絵と自分が描きたい絵が重なった絵」を描きたかった。最近は仏像ガールなどのユニットもあり、空前の仏像ブームである。博物館でも仏像の展覧会を行えば大盛況である。仏像はそれだけでストーリーを持っている。仏像の役目、誰がどんな思いで作ったか。その当時の歴史背景。それらが凝縮されている。しればしるほど、深みにはまるのが仏教美術である。そして、仏教は宗教のタブーを犯した。「神は人間が想像する事が出来ない存在である。」との事でほとんどの宗教では神の姿は描かず、描かれるのはもっぱら神の言葉を預かった立場の人間、キリスト教ならばイエスだし、イスラム教ならばムハンマドである。しかし仏教は元々は実在した釈迦の悟りを表した為かその釈迦の姿を表そうとして仏像が作られた。仏像が釈迦如来だけの東南アジアなどで信仰されている上座部仏教ならば人々の信仰感覚はキリスト教やイスラム教と変わりは無いが、日本のような大乗仏教は役割事に仏像が作られ何でもありのようになってしまった。「如来、菩薩、明王、天」として、会社組織のような役割と階級に分担されて、それに仏教が入る以前の七福神は仏教を見守る神になってしまった。それでしその結果余りにも種類が多くなり、覚えるにも苦労をしてしまう事からしまいにはどうでもよくなり、仏様の価値は暴落し、今の日本の無宗教感につながる結果となってしまった。
だから、私は大乗仏教の仏さまの役割を整理整頓して紹介しながら描きたかったのだが・・・・不採用となりそれも今は出来なくなった。
この作業所の最大の問題点は写真から上手に模写してしまっている点である。絵の人はカメラの事を軽く考えている傾向がある。実際に写真の人もカメラのメカの部分を知っている人は少ないので絵ならばなおさらだろう。私の目の前でうぐいすが木に止まっている絵を精密画で描いている人がいた。写真は完全に開放で撮影した背面と手前をぼかしウグイスにピントがあった作品である。人間の目で捕らえたならばありえない絵を描いている。ここの作品の多くが写真からの写しだと判る作品が沢山ある。それを展示販売する分けだから完全に著作権法違反である。そしてここは法人なので罰金は一億円が適用されてしまう。法人は個人よりも社会的な信用を得ている。それだけ知らなかったじゃ済まされないし済まないのである。
ここの理事はそこのところを判っているのだろうか。そもそも、もし美術に詳しい人ならば写真から絵を描かせるだろうか。ここのホームページは面白い事に自分達の作品にはしっかりと著作権の事を明記している。人の著作権は気にせずに、自分達の著作権は主張する。やっている事は人の著作権は気にしないかわりに自分達の著作権も気にしない中国よりも悪い状況だ。