県立美術展の企画展示の「印象派の誕生」に行ってきた。
入場料が1300円のところ障害者手帳を水戸黄門の印籠の如く提示し無料にして、そのまま入場。
感想は・・・・・
「うーむ・・・・・俺でも書けるな・・・・・」
と思った。
特に風景画がどうしてこんなに評価されるのか理解に苦しむ。これが写真だったら誰も見向きもしない、ありふれた光景の絵だ。これならば、私の写真作品の風景を絵にしたら私もここの仲間入りになれるような気持ちになった。
人物画も絵が巧い漫画家のキャラクターのような絵だ。
例えばチラシのルノワールの絵
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/20110923-1106_insyoha/index.html
↑「黒い帽子の娘」
これ・・・・巧いか?????巧い、下手に目を向けずに作者が何を感じて筆を走らせたのかを感じ取ろうとしたが・・・・・人間としてありきたりの感情「かわいい女性」以上を感じなかった。
絵って何????
芸術って何????
この抽象的な言葉、感覚、意味なく高尚なものとして人が評価するから釣られて高尚な物として捉えて奉る。世間体の芸術とはそんなものだ。「良いから良い」ではなく「人が良いと言うから良い」のだ。
芸術とは作者のメッセージだ。何を言いたいのか、何を世間に伝えたいのか。それは時を越える。時をまたぎながらも人々に何らかのメッセージを伝えるのが芸術の核なのだ。それがなければどんなに絵が巧くても落書きに等しい。逆にどんなに下手でもメッセージを伝える作品は尊い。だから私は縄文が好きだ。闇への恐れ、出産の恐れ、飢餓の恐れ。病、老い、死、さまざまな恐れを跳ね除ける為の祈りの気持ちを作品に感じる。だからどんなに下手でもとても綺麗だ。