中国語と日本語との文法的な溝は大きく別物だと直ぐに分かるのだが、朝鮮語と日本語の文法的には非常に似ているので私は朝鮮語は日本語の方言だったのではないかと思うのだが、この事を研究者の人にぶつけてみたら、見事に違うと言われた。多分私と同じ考えを持つ初学者は多く耳にたこのうんざり・・・・その人は人徳者で顔の表情には出さないものの、やんわり否定して来たのだが・・・・その大きな理由に中国語から流入してきた単語には日本語との共通性は強いが基本語彙、日本語でいうやまと言葉にあたる部分に音韻対応の共通性が見出せないとの事。文法の類似は近接の国の言語ではよくあることだとの事。

ただ、私は朝鮮語、日本語間のような音声言語間ではなく、日本語と日本手話の音声言語と視覚言語間を往来している経験上、音韻対応の重要性には疑問を感じる。日本手話はさいたさいた桜が咲いたの日本語から当然枝分かれしているにも関わらず、視覚、音声間である為に音韻対応など存在しないからだ。