先日、知人との会話で

 

「ゆりちゃんは良くも悪くも色々 ”当る” けれど、良い例ってなにかある?」

 

と聞かれました

うん、確かに何日か前の「フリマアプリ・・・」の投稿もそうですが、色々なことが起こります


嫌ではなく それらを楽しんでいますから 起こるのだと思いますけれど


起こることは全て必然 “因” があって “果” がありますよね


私は昔から行為がすぐ周り回って還ってくる方だと思います


そんな因果応報として、ふと想い出した飛行機内での解りやすい例を書いておきます

 

 

2001年、NYのテロがあった その年末のことです

 

私は911以降10月から月に一回米国へ行っていたのですが、12月は帰国がクリスマスを越え年末になってしまいました

 

まだテロが懸念されており、誰もが出来れば飛行機に乗りたくない という雰囲気

 

米国系航空会社の成田便は 米国から早く離れたい人々でぎっしり満席でした

殆ど日本人でしたが GIカットの人たちとその家族も多かったです

 

私はちょっと疲れて体調に不安があったので通路側の席を希望し、エコノミーシート後方の 3-4-3 の左側通路に面した席に一人でおりました

 

 

 

 

さて、最終の出発案内がなかなかアナウンスされず 少しざわついていたとき

最後の乗客と思われる親子が入ってきました

 

さぁ、これで出発だとシートベルトなど締め直し

靴をスリッパに履き替え、長時間のフライト準備をして

本を読み始めた所

 

 

前方でCAさんが何か言っています

よく聞こえないけれど付近の乗客に何か呼びかけています

マイクを使っていないので、局所的なことなのでしょう

 

そのうち、チーフパーサーと思われる人がそちらに向かっていきました

この頃になると、何だなんだと乗客が前方を伺い始めます

 

どうやら問題が解決されず そのチーフパーサーさんが 少し後方まで声をかけています
 

かろうじて何と言っているか聞こえました

 

「どなたか、通路側か窓側の方、真ん中の席に変わってくださいませんか?」

(本当は英語)

 

どうやら、最後に入ってきた母子、子供はどう見てもまだ小学生低学年なのですが、チェックインもギリギリだったようで、席がバラバラになってしまっています
しかも搭乗も最後だったので、調整が出来なかった様子

空いているのは3連続シートの真ん中だけ、しかも離れています

 

機内は満席です

年末と言う事で家族連れも多く 動けるのは一人で乗っている乗客だけ

席に着いて時間も経っていますから、すっかり準備して寛いでいる人も

席、いまさら動きたくないよね、、


 

誰か変わってあげられる人はいるかな?

 

と前方の様子を見ると

 

 

なんと!

 

 

なんと!!

 

 

信じられない事に!!!

 

 

通路側の日本人 タヌキ寝入りをする人続出なのです!!

 

 

ちょっと、そこのオヤジども〜〜〜っ!!!

 

 

って言いたくなりました

あぁぁぁぁぁ、日本人として恥ずかしい!!!

 

 

それを見たチーフパーサーさんの呆れたような、困ったような、ゲンナリした顔、、、

その後ろで申し訳無さそうに子供の手を引くお母さん

 

 

迷う間もなく

 

「はいっ!」

 

と前方まで聞こえる大きな声で手を挙げました

 

 

ちょっと恥ずかしいですね、こういう時って

一斉に目線がこちらに、、、キャ-

 

 

元の席からは少し遠いけれど、前方の通路側の席の人を私の所に移動させ

少し調整すれば

その親子は隣同士になれる

 

 

私も通路側でトイレのそばが良いのだけれど、、、

 

こんな小さい子と母親を離して座らせる事は出来ないでしょーがっ

 

 

すぐにそのチーフパーサーさんが来て

「ご協力ありがとうございます、ではすぐに移動してください」

 

慌ただしくイヤホンを外し、本やペットボトルをカバンに放り込み

靴を手に持ち、、、

 

あ〜〜〜〜、頭上の棚に入れた荷物〜〜〜〜〜〜どうしよ〜〜〜〜〜

 

と思いながらチーフパーサーさんの後を追い 急いで前方に

 

 

出発時刻はとうに過ぎています

私達が席を交換し終わったら、すぐに出発でしょう

 

 

そして、案内された真ん中のシートに荷物だけポンっと置き

棚の荷物を取りに再び後方へいこうとすると、後ろから腕を掴まれました

 

「こっち、こっち!」

 

はい?

 

「こっちに通路側の席があったから、こっちへ!」

 

 

???通路側の空席、あったの???

 

 

 

わけもわからず急き立てられるように、今置いた荷物をもう一回持って、またチーフパーサーさんの後を追います

 

 

と、

 

 

二階席へ、、、

 

 

え???

 

 

ビジネスクラス???

 

 

 

もうね、そのときの周囲の人たちの目

 

 

「あ〜〜〜〜〜〜、オレ手を挙げれば良かった〜〜〜〜〜〜」

 

 

っていう目線びしばし

ばかもーーーーーーーんビックリマーク

 

 

 

そして、二階ビジネスクラスの一番後ろ通路側の席へ案内されたのです

 

案内されたは良いものの、あっけにとられている私へ そのチーフパーサーさんは

 

「大きな心(ハート)には 大きなシートが相応しいわ」

 

と粋な台詞でウィンクラブラブ

 

カッコいい〜〜〜〜〜✨

 

二階席担当のCAさんたちもニッコリ

 

「食事はエコノミーだけどいいかしら?」

 

「もちろんですっ!」

 

 

という会話を経て

 

慌てて離陸準備

 

 

静かになって やっと起こった事が認識出来

 

 

わあぁぁぁぁ〜〜〜音譜

 

 

と、嬉しさが込み上げてきたのです

 

それはビジネスクラスにアップグレードされた事というよりは

(勿論それも有難いのですが)

 

こういうことが臨機応変に出来ちゃう 組織というか システムというか

そのチーフパーサーさんというか

 

その事自体と


利他で勇気を持って行動したら  すぐに還ってくるこの世の仕組みに嬉しびっくりで

 

なんか、なんか、すんごく素敵ドキドキドキドキドキドキ

 

と感じたのです

 

私も将来こういう人になりたいな

こういう組織やチームを作りたいな

 

と思いました

 

 

シートに座ってからも、CAさんたちはとても優しく

申し訳ない位サービスして頂いたのでした

 

 

 

自腹でも経費でもビジネス・ファーストクラスに乗った事はありますが

 

それは当然のように対価を払って権利を得て乗るわけです

 

私はオーバーブックも多く 偶然ラッキーでアップグレードされたことも何度もありますが

 

この時は それらとは全く違います

 

 

過去最高に嬉しかったのは言うまでもありません

 

と同時に

 

 

「驕る事なかれ」

 

と強く戒める気持ちも。。。

 

 

その後、降りる時は、頭上の棚の荷物を一階席後方まで取りにいく為に最後まで残っていましたら

 

CAさん達から余ったフルーツやらお菓子やらをどっさり頂き(苦笑)

 

「あなたはいつでもウェルカムよ」

「またね」

「ほんとうにありがとう、助かったわ」

 

と挨拶を交わし

忘れられないフライトになりました

 

 

私は 911の時 テレビを通して見た 映画のような映像に

 

「このままでは自分の中で映画(他人事)になってしまう」

と危険性を感じ 何が出来るかも解りませんでしたが NYへ行く事を決めました

英語も苦手だし これは自分のエゴだ とはっきり自覚していました

 

NYに知り合いがいるわけでもありません

海外でのボランティア経験があるわけでもありません

 

でも、この未曾有の事件を知識やマスコミの流す情報だけでなく

ちゃんと体験して共有したかったのです

(マスコミを信用していなかったのもあります)

 

何も出来ないのであれば 何も出来ないみじめな自分をしっかり感じたい

とも思いました

 

当時から私の周囲には情報通がおり 米国の自作自演だからと反対もされましたが 

 

そういう話しではない、と言いました

 

では 日本の政策や外交が理由で他国から攻撃、もしくは自作自演、自業自得で多くの人たちが亡くなったとき、他の国々が助けることなく、国内で何とかすれば良いじゃないかと考えたらどうでしょうか?


苦しむのはいつも何も知らない一般国民なのです


 

政治や外交云々の前に

 

私は一人の人間でありたい

 

 

政治なんてハッキリ言って裏の裏があり過ぎて全く外からは解らない

(私の父はマスコミでしたので、携帯電話の無いころ、自宅の電話で色々な事を話しているのを聞いています)

 

 

理屈なんてどーでも良い

苦しんでいる人がいるのに、それを助けない理由に政治や外交を使う方が卑怯だと感じました

 

 

9月半ばは空港閉鎖、フライトは運休、ホテルもほとんど予約を取っていませんでしたので米国在住の友人の助けを借り、10月から行きました

グラウンドゼロは まだ鎮火していませんでした

 

 

行きのフライトは それはそれはガラッガラで

CAさんも搭乗拒否するような状況

 

そのとき

 

「私はエゴを自覚し、その上で苦しんでいる人の痛みを共有する為だけに人生かけて行く もし私が乗るフライトがテロに遭うのであれば それこそ そんな世の中生きていたくないので悔い無し」

 

と思いました(当時まだ20代 若かったね〜あせる

 

 

遠い極東にいる私ですら こんな事を思っていたのですから

米国のしかもCAさん達はどんな想いで仕事されていたでしょうか

 

 

そんな状況下での出来事でした

 

 

因果応報

 

 

すぐに還ってきますよウインク

 

 

 

 


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