ご無沙汰しております。
大学生活も始まり、忙しくなった4月。ブログの更新が途絶えていました。
特に投稿するネタもないので、過去に行った場所の紹介とそれに関連する歴史事項を紹介しようと思います。
****************
昨年10月、このような場所に行ってきました。
「北山十八間戸」です。
日本史の教科書[山川の日本史B]にはこのように説明されています。
忍性は奈良に病人の救済施設北山十八間戸を建て、施療や慈善に尽くした。
病人というのは、ハンセン病患者のことです。
ちなみに、北山十八間戸は1567(永禄10)年に焼失したが、江戸時代にもとの様式に再建されている。
ところで、忍性とはどのような人物なのでしょうか?
忍性とは、鎌倉旧仏教でいう律宗の僧です。
ちなみに、律宗とは「南都六宗」の一つであり、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派です。
ところで、日本に戒律を伝えたのは、かの有名な鑑真ですね。
奈良時代の話に戻ってしまいましたが、「律宗」は鎌倉時代になっても依然として大きな力を持っていたのです。
鎌倉時代といえば、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗といった「鎌倉新仏教」を思い浮かべるかもしれません。
いやいや、法相宗、華厳宗、律宗といった奈良時代に生まれた南都六宗も社会的勢力を持っていたのだ!!ということも忘れないでいてほしいです。
覚えるべき鎌倉旧仏教は、先述した3つです。法相宗、華厳宗、律宗です。
また、法相宗と華厳宗は「浄土宗」を批判したということも覚えておいてください。
ちなみに、法相宗は行基や道鏡が学んだ仏教です。
あとは、3つの仏教の拠点を覚えておきましょう。
1.法相宗ー興福寺
2.華厳宗ー東大寺
3.律 宗ー唐招提寺
それぞれこのような拠点です。律宗を日本に伝えたのが鑑真だと知っていれば、唐招提寺は思い出せますね。
****************
そのあと、京都府の笠置山というところへ行きました。そこは貞慶が隠遁した場所だと知られています。
1191年には、学僧として名が高かった貞慶(1155-1213)が笠置寺に住していました。勉学を励むために笠置寺に来たと考えられていますが、貞慶は、その間寺院の再建や弥勒信仰の会を創始するなどとても盛んに活動していました。その活動により笠置寺は、宗教の山として全盛を極めました。
【出典:笠置寺について (minamiyamashiro-koji.jp)】
笠置山に関しては、次回、より詳しく紹介していきます。
今回のポイントは、「鎌倉旧仏教」でした。
次回もお楽しみに。