大河ドラマ 『平清盛』 第二十八回「友の子、友の妻」


主な出来事

平治元年12月27日 藤原信頼、六条河原で斬首。享年27
平治元年12月29日 源朝長、青墓にて死す。
平治ニ年1月4日(1160年)源義朝自害。享年38
永暦元年1月25日(1160年)源義平斬首。享年20
永暦元年6月20日(1160年)平清盛、正三位に叙される


第二十八回「友の子、友の妻~平治の乱終結 頼朝、常盤の運命は」を観ての感想、第三回。


源頼朝捕縛。
といえば、次に訪れるのは云わずとも知れた池禅尼による源頼朝の命乞いの場面。


清盛頼朝殿の命、助けてはくださらぬか。」池禅尼
「似ておるのじゃ。頼朝殿は亡き家盛に。」池禅尼
「似ておる。父思い母思い、兄思いのところがな。頼朝殿が斬られるは家盛が二度その命を奪われる心地がして、…」池禅尼

「申し訳ござりませぬが母上。私は平氏の棟梁として情に流されるわけにはまいりませぬ!」平清盛

ここまでは、一般に知られているやり取りか。


断食をする池禅尼のもとを訪れ、水を出し出す平家貞

「ご無理をなされますな。禅尼様のお気持ちはとぉぉうに殿に伝わっておりますよ。」平家貞

「そなたにはかなわぬな。」池禅尼
頼朝殿を見ておると家盛を思い出すはまことじゃ。」池禅尼
「されど、いっそ痛々しいは…、清盛。」池禅尼
「もとよりあのような健気な若者の命を奪いたいはずもなかろう。」池禅尼

「あとは殿がお決めになること。我ら年寄りが出しゃばる場ではありますまい。」平家貞

家貞のさりげない挑発(笑)。

「そなたと同じにするでない!」池禅尼

まんまと水に口をつけてしまう池禅尼

「あっ」平家貞
「あ?」池禅尼
「あ…」池禅尼

悔しさに顔をゆがめ、ひざを叩く仕草が可愛い。

「しーっ」と顔を見合す二人のやりとりに、心が緩みました。


「そなたにはかなわぬのぉ。」

この台詞で思い出すのは、保元の乱前夜、平忠正と家貞のやり取り。

家貞の重厚感、貫禄漂いつつの自然な演技には、いつも惚れ惚れします。一服の清涼剤です。

ちなみにこのお二人の生まれ年。

池禅尼、長治元年(1104年)生まれ
平家貞、永保2年(1082年)生まれ

…と22歳違い。そりゃあ、怒りますわな(笑)



清盛の心痛を慮る池禅尼の一言にもほっとしました。

清盛が義母の池禅尼に逆らえず、不本意な助命が、やがて平家滅亡の遠因となる。

これが一般には知れ渡っていますが、頼朝の助命は、あくまでも清盛の決断、というストーリーに安堵しました。


>>第二十回「前夜の決断」はこちら
>>第二十八回「友の子、友の妻」-(1)はこちら
>>第二十八回「友の子、友の妻」-(2)はこちら



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