話を戻すと、それらの中国の宣伝工作に日本国内で協力していた売国奴が『朝日新聞』なのである。
その後も、朝日新聞は日本を中国に売り渡すために活躍し続けた。
『靖国参拝反対』というキャンぺ―ンを展開したのも朝日新聞。
朝日新聞と人民日報が“互いの記事を引用”しながら反対運動を増幅した。
『従軍慰安婦』という戦争中に存在しなかった言葉を作ってあたかもそんな事実があったかのようにキャンペーンを展開したのも朝日新聞。
従軍慰安婦を初めに史実だと言い出し、問題を“作った”張本人は吉田清治。
その唯一の「加害証言」である吉田の証言も、秦郁彦ら複数の学者や記者から捏造を暴かれ、言い出した本人が『全てフィクションです』と認めている。
しかしその『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という吉田の捏造本は韓国語に翻訳され、韓国では今でもこの吉田証言は真実とされ、韓国政府の公式見解となっているのである。
そもそも従軍慰安婦はプロの売春婦であり、韓国では今もこの制度がある。
また、「従軍慰安婦」にあれこれ言う胡散臭い輩は「女子挺身隊」をも慰安婦として扱う支離滅裂な主張をすることがある。
この「女子挺身隊」というのは、大東亜戦争時に昭和19年(1944年)の「女子挺身隊勤労令」により日本国民女子も軍需工場など(主に国内)に軍用機の製作などの“労働力として”従事する部隊のことである。
勘違いなのか作為的な情報工作なのかわからないが、酷いものである。
ちなみに名乗り出て被害者ぶって賠償金を請求している婆さんのほとんどは戦争の時期と「年齢が合致しないこと」など簡単な証明だけで嘘がバレている。
つまり騒ぎに便乗して“金持ち日本政府”から金を巻き上げようとした犯罪者が年寄りを利用しただけの『成りすまし元慰安婦』である。
いくつか例を挙げてみることにしよう。
このような朝鮮人の“自称慰安婦の婆さん”はほぼ例外なく嘘
他にも有名なところで李容珠(イ・ヨンス)という自称慰安婦がいる。
慰安婦の全国証言集会のホームページにあるプロフィールは以下のようになっている。
をついている。
これも言うまでも無く嘘である。
彼女に「日本の中学生程度の知識」があればこんなすぐバレる嘘はつかなかっただろうが、1944年から3年間だと、戦争が終わってしまっているのである。
日本は1945年の敗戦で撤退し、台湾は同年10月にはもう国民党政権のものになっている。
国民党政権下で敗戦した日本軍が台湾に慰安所などを存続できるわけがないのである。
しかも日本の慰安婦制度は軍人が直接スカウトするのではなく、軍が現地の売春婦の元締め(女衒)と契約して慰安婦を働かせるシステムである。わざわざ「軍服みたいな服を着た男(軍人?)」が韓国から台湾に娼婦を強制連行するわけがないし、むしろそのような行為を日本政府は固く禁じていた。そもそもそんなことをしなくても売春婦は現地台湾にもいるのである。
要するにこの婆さんは韓国政府の宣伝した「悪逆非道の日帝イメージ」をそのまま自分の記憶のようなフリをして流用しているのである。
ちなみに日本共産党ホームページによると、この婆さんが岡崎トミ子、吉川春子らに連れられて日本政府に謝罪要求しに来た時には、
「十四歳で銃剣をつき付けられて連行された」
と、なぜかそれまでの証言から年齢を変更している。
(それでも当時の官房長官・細田はあっさり謝罪してしまったが…)
ttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html
その後も、朝日新聞は日本を中国に売り渡すために活躍し続けた。
『靖国参拝反対』というキャンぺ―ンを展開したのも朝日新聞。
朝日新聞と人民日報が“互いの記事を引用”しながら反対運動を増幅した。
『従軍慰安婦』という戦争中に存在しなかった言葉を作ってあたかもそんな事実があったかのようにキャンペーンを展開したのも朝日新聞。
従軍慰安婦を初めに史実だと言い出し、問題を“作った”張本人は吉田清治。
その唯一の「加害証言」である吉田の証言も、秦郁彦ら複数の学者や記者から捏造を暴かれ、言い出した本人が『全てフィクションです』と認めている。
しかしその『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という吉田の捏造本は韓国語に翻訳され、韓国では今でもこの吉田証言は真実とされ、韓国政府の公式見解となっているのである。
そもそも従軍慰安婦はプロの売春婦であり、韓国では今もこの制度がある。
また、「従軍慰安婦」にあれこれ言う胡散臭い輩は「女子挺身隊」をも慰安婦として扱う支離滅裂な主張をすることがある。
この「女子挺身隊」というのは、大東亜戦争時に昭和19年(1944年)の「女子挺身隊勤労令」により日本国民女子も軍需工場など(主に国内)に軍用機の製作などの“労働力として”従事する部隊のことである。
勘違いなのか作為的な情報工作なのかわからないが、酷いものである。
ちなみに名乗り出て被害者ぶって賠償金を請求している婆さんのほとんどは戦争の時期と「年齢が合致しないこと」など簡単な証明だけで嘘がバレている。
つまり騒ぎに便乗して“金持ち日本政府”から金を巻き上げようとした犯罪者が年寄りを利用しただけの『成りすまし元慰安婦』である。
いくつか例を挙げてみることにしよう。
■「挺身隊おばあさん」チョン・ソウン氏、80歳で死去。 チョン・ソウンさんは13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として生きなければならなかった。2004年2月26日未明、慶尚南道鎮海の自宅で老患で亡くなった。 ttp://japanese.joins.com/html/2004/0226/20040226185642400.html ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ このような人がいると聞くと日本人は事実確認をする前にすぐ申し訳ない気持ちになってしまう。 だが、よく考えてみよう。 1.2004年に80歳で死亡した。 →つまり『1924年生まれ』である。 2.13歳から7年間インドネシアで慰安婦をしていた。 →慰安活動をしていたのは『1937年から1944年まで』である。 もうここで話が破綻している。 日本軍がインドネシアを占領していたのは、『1942年~1945年までの3年間』である。 そして1942年以前のインドネシアはオランダの植民地だったのである。 彼女が慰安婦になった1937年から数えても1942年までの5年間はオランダの植民地なのだから「日本軍の慰安婦」というのはありえない。 連行された13歳当時(1937年)、インドネシアと日本軍は無関係なのである。 これは「高齢により記憶が曖昧になった」という誤魔化しも厳しい。 慰安婦になったという衝撃的な記憶を受けた時に自分が“子供だった”のか“成人していた”のか、という大差である。 この場合の7年間とは「13歳か20歳か」という人生最大の成長期であり、「70歳か77歳か」というのとはわけが違う。若いころの7年間という差を仮に“痴呆”とするなら、今度はそもそもの証言能力すら認められなくなってしまうだろう。 いずれにせよ彼女が13歳当時のインドネシアと日本軍は無関係なのだから、真相は『5年間だけオランダ軍かインドネシア軍の慰安婦をしていた』か、せいぜい『インドネシアで普通の売春婦をしていた』ということかもしれない。 |
このような朝鮮人の“自称慰安婦の婆さん”はほぼ例外なく嘘
他にも有名なところで李容珠(イ・ヨンス)という自称慰安婦がいる。
慰安婦の全国証言集会のホームページにあるプロフィールは以下のようになっている。
李容珠(イ・ヨンス)プロフィール 1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。 その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。 ttp://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm |
これも言うまでも無く嘘である。
彼女に「日本の中学生程度の知識」があればこんなすぐバレる嘘はつかなかっただろうが、1944年から3年間だと、戦争が終わってしまっているのである。
日本は1945年の敗戦で撤退し、台湾は同年10月にはもう国民党政権のものになっている。
国民党政権下で敗戦した日本軍が台湾に慰安所などを存続できるわけがないのである。
しかも日本の慰安婦制度は軍人が直接スカウトするのではなく、軍が現地の売春婦の元締め(女衒)と契約して慰安婦を働かせるシステムである。わざわざ「軍服みたいな服を着た男(軍人?)」が韓国から台湾に娼婦を強制連行するわけがないし、むしろそのような行為を日本政府は固く禁じていた。そもそもそんなことをしなくても売春婦は現地台湾にもいるのである。
要するにこの婆さんは韓国政府の宣伝した「悪逆非道の日帝イメージ」をそのまま自分の記憶のようなフリをして流用しているのである。
ちなみに日本共産党ホームページによると、この婆さんが岡崎トミ子、吉川春子らに連れられて日本政府に謝罪要求しに来た時には、
「十四歳で銃剣をつき付けられて連行された」
と、なぜかそれまでの証言から年齢を変更している。
(それでも当時の官房長官・細田はあっさり謝罪してしまったが…)
ttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html