橘 僕は空に愛されたかった
深夜三時。うなされる声。
橘 ううん… んん…
苦しそうに時折息を吐きながらうなされている。
夢の中。
上司 おい、また先方に失礼を働いて契約破棄になったんだってな
上司 お前はどんだけ使えないんだ
上司 は? 辞めたい? お前なんかな、どこの会社に行っても同じなんだよ
上司 この、無能が
上司 無能が
声が入り交じり、ごちゃ混ぜになる。
橘 はっ!
勢いよく飛び起きる。寝汗をびっしょりかいている。
橘 はあ… はあ…(息荒い)
橘M こんな時、つくづく思う。 死んでしまいたいと
場面転換。朝。出勤する橘。
橘 おはようございます…
挨拶をするも、返してくれる人はいない。
橘 ……
SE 椅子の音
SE PC起動音
SE キーボードのカタカタ音
橘M この会社に入社して早五年。 仕事の出来ない俺の周りには、気付けば人がいなくなっていた
社員1 ねえ、聞いた? 皆川さんの話
社員2 聞いた聞いた! 取引先の課長クラス捕まえてゴールインでしょ?
社員1 結婚できないー、なんてぼやいてたけど、実はめちゃくちゃやり手じゃんね
社員2 あーあ、私も早く寿退社したーい
橘 ……
橘M 世間一般的には結婚適齢期とか言われてるけど、俺の周りでそんな浮いた話は一切浮かんでこなかった
橘M このままひとりで生涯を終えるんだろうな… あ、その前に自分で自分に引導を渡す方が先か。 はは、ははは(自嘲気味に)
有岡 せーんぱい! おはようございます
橘 あぁ… おはよう
橘M そんな使えない俺に、唯一話しかけてくれるのが、
有岡 明後日のミーティング、先輩も出席するんですよね?
橘M 先月入社したばかりの、新卒の有岡だった
有岡 先輩いてくれるなら心強いです〜。 ミーティングに初めて他部署の方もいらっしゃるからって、みんなの前で自己紹介しなきゃならなくて
橘 そんなの先月死ぬほどやってるだろ
有岡 そうなんですけど、元々前に出るの得意じゃなくって。 だからもう朝から心臓バクバクなんですよ〜
橘 自己紹介くらいならすぐ終わるから大丈夫だろ
有岡 あ、先輩。 緊張しい舐めないでくださいよ〜? 人前に立つだけで膝ぶるぶる震えて動悸が止まらなくなるんですから!
橘 大袈裟だな
有岡 ほんとなんですって〜
橘 分かったよ。 じゃあ、緊張してどうしようもない時は俺の顔見て緊張紛らわせろ
有岡 無茶言う〜! それが出来たら苦労しませんよぉ
橘M そう言って、彼女は自分の席である俺の隣に座った
SE PC起動音
有岡 よし、今日も一日がんばりますか!
橘M まったく、騒がしいやつ…
SE キーボード音、だんだんフェードアウトしていく
場面転換。昼過ぎ。
上司 おい、橘! ちょっと来い!
橘 っ! は、はい
上司 お前、昨日クライアントへの茶請けとして、最中をお出ししたそうだな
橘 は、はい。 先方がお好きと仰っていた老舗の和菓子屋から購入してきたもので…
上司 馬鹿野郎! 先方は甘いものを控えているとお前に話したと言っていたが!?
橘 っえ、
上司 佐々木様は、甘いものは持病の為に控えていて、最近はその店のおかきや煎餅しか購入していなかったそうじゃないか!
橘 そ、そんなの…
橘M そんなの聞いてないし…
上司 なんでもっと細かくヒアリングしておかなかったんだ! 話したことが覚えられていない、信用出来ないと言って契約破棄になったんだぞ!?
橘M たったそれだけで…?
橘 も、申し訳ございません…
上司 お前は何年この仕事をしているんだ。 こんなの、先方との距離を縮める為の初歩中の初歩だろう! それなのにお前は…
橘M なんだよ… なんなんだよ…
橘 ……俺が悪いって言うのかよ……
上司 あ? 何か言ったか?
橘 ……いえ、なんでもありません……
上司の説教、アドリブで続く。
橘M ああ、死にたい
場面転換。次の日、橘の自室。
部屋中に鳴り響くアラーム音。
橘 ……
橘M 昨日の一件から会社に行きたくない気持ちに拍車がかかり、俺はベッドから降りられずにいた
橘 もういっそのこと、死んでしまおうか… そうすれば、遺体で発見された俺を見て、あのクソ上司に目に物見せてやれるかもしれない… へへ、そうだ… そうしよう…
橘、不気味に笑いながらベッドから起き上がり、水道水をコップに注いで市販薬をテーブルの上に広げる。
橘 ……これで、俺の人生終わらせるんだ……
橘M これで幸せになれる、苦痛から解放される。 一時苦しいかもしれないが、それを過ぎれば自由が待ってる。 さあ、さあ、さあ! 早く! ……頭では分かっていても、なかなか薬の束に手が伸びなかった
SE スマホに着信(バイブ音でOK)
橘 っ! ビックリした… 有岡からメッセージ…?
有岡(メール) 橘先輩! おはようございます。 今日、一緒に天国に行きませんか?
橘 天国……?
場面転換。朝十時、駅前。
有岡 あ、せんぱーい! おはようございます!
橘 …おはよう
有岡 良かった、来てくれた。 昨日あんな事があったからちょっぴり心配してたんですよ?
橘 あぁ…うん… ところで、あのメールって…
有岡 (食い気味に)じゃあ先輩、私に着いてきてください!
有岡、橘の手首を掴み歩き出す。
橘、戸惑いながらも着いていく。
一時間半後。広大なネモフィラ畑。
有岡 見てください! これ!
橘 うわぁ……
有岡 ここ、ネモフィラ畑として有名らしいんです! 綺麗でしょう?
橘 ……たしかに……
橘M 広大な敷地に所狭しと植えられた青いネモフィラの花。 その光景はまるで、この世のものとは思えない美しさだった
有岡 ね、仕事サボった甲斐があったでしょ?
橘M そう言って微笑む有岡の黒髪が、強い風に靡いて暴れている
橘 ふっ、お前、髪凄いことになってるぞ
有岡 もー! 先輩ったら風情がないなぁ。 そこは「髪が靡いて綺麗だよ」って言うところですよ!
橘 言うか、バカ(笑いながら)
有岡 良かった、先輩が笑ってくれて
橘 え?
有岡 先輩、私が入社した時からずっと暗い顔で、光の宿っていない、真っ黒な目をしていたから。 いつか、自分から空の向こうに行っちゃうんじゃないかって心配してたんです
橘 おまえ……
有岡 でも今の先輩の目は、この青が反射してキラキラして見えます! 世界には、まだまだこんなに綺麗なところが沢山あるんですよ! 死ぬより先に、一緒に見に行きませんか?
橘 ……
SE 風が強く通り抜ける
橘 ……あぁ、そうだな。 お前と一緒なら、どこまでも行けそうな気がする
有岡 え? 先輩、何か言いました?
橘 なんでもない! ほら、歩くぞ
有岡 はい!
橘M あの時、死ぬことを躊躇ってくれた自分へ
橘 俺は、空に愛されなくて良かった!
SE 風が一陣、通り抜ける
END