JAPAN Action Pistol Shooting Championship (JANPS) とは、米国NRA Action Pistol Shooting Championship (いわゆるビアンキカップ)をエアソフトガン用にアレンジした、スピードと精度の両立による高度なピストル射撃技術を競うシューティングマッチです。
ビアンキカップに特有の難易度と面白さを、エアソフトガンマッチでもできる限り再現するために、コース/ターゲットレイアウトに加えて、ガンのハンドリングやコントロール要素等も、ビアンキカップで求められているものに極力近づけることを目指しています。
2秒で2発とか、4秒で6発とか、短い時間で撃たなくてはならない場面もあり、精密射撃とスピードシューティングの要素を併せ持つ難易度の高いシューティングマッチです。
それゆえ全国各地から各ジャンルのトップシューターが静岡県掛川市に集結します!
今年は、新代表の勅使河原と新たにスタッフとして委員会に入った蒔田と若い二人がJANPS委員会に加入し、新しいメンバーでの初めてのJANPS開催となります。
今年は、新代表の勅使河原と新たにスタッフとして委員会に入った蒔田と若い二人がJANPS委員会に加入し、新しいメンバーでの初めてのJANPS開催となります。
そこで、「JANPSの歴史」と題し2017年にフリーダムアートさんのブログ「」フリーダムアート通信にて、当時JANPS委員会代表であった村松氏の寄稿を転載いたします。
JANPSの馴れ初めは、私と羽山さんが1995年のNRAビアンキカップに出場させて頂いた事から始まります。
ビアンキカップは私も羽山さんも惨憺たる成績(羽山さんはプレイトクリーン!)だった訳ですが「この楽しさを日本に持って帰りたい!」と帰国しました。
その年のJBC(MGCの)でその事を伝えたかった訳ですが、ご存知の通りJBCは1994年で消滅してしまい、幻のビアンキカップ凱旋となりました。
それから2年間は仕事や他のシューティングマッチへの参加のみで「日本版ビアンキカップ」の構想はなかなか前に進みませんでした。
そんな時、ふとした弾みで「マーキングターゲット」の製作が叶い、現在のターゲットシステムの基本構想が動き出し、1997年9月、JANPSへ繋がる原点「静岡スピードウィーク」が開催されたのです。
それから2年間は仕事や他のシューティングマッチへの参加のみで「日本版ビアンキカップ」の構想はなかなか前に進みませんでした。
そんな時、ふとした弾みで「マーキングターゲット」の製作が叶い、現在のターゲットシステムの基本構想が動き出し、1997年9月、JANPSへ繋がる原点「静岡スピードウィーク」が開催されたのです。
※屋外、河川敷にてビアンキカップのコースを組み、大々的にやりました。今思えば天候を考慮し屋外はあり得ないのですが、当時は何も恐れなかったのですね。
しかしながら、大会の最後は雨に降られ、参加者はずぶ濡れ。この辺りから屋内会場を探す機運が盛り上がりました。
翌年1998年春、たまたま家の近所にあった「あすなろ」の体育館に目が止まり、「エアガン大会を開催したい」という情熱だけで承認を得て、現在まで20年使用を許可されております。
その年の6月、記念すべき「第一回ビアンキシュート(BS)」が開催されました。
その年の6月、記念すべき「第一回ビアンキシュート(BS)」が開催されました。
当時の運営は高嶋会長を筆頭に、広報担当の羽山さん、事務局の私で構成する「ビアンキ伝統芸能保存会」にて行っておりました。
ビアンキカップの「伝統芸」、プローン、ギルモアスイッチ、スーパータイジャーをこよなく愛する3名が「日本版ビアンキカップ」の産声を上げさせたのです。
ビアンキカップの「伝統芸」、プローン、ギルモアスイッチ、スーパータイジャーをこよなく愛する3名が「日本版ビアンキカップ」の産声を上げさせたのです。
BSは基本的に年2回開催。空調の無いあすなろ体育館を考慮して「暑くなる前の5月」と「寒くなる前の11月」です。
その基本が現在の「JANPS予備校」と「JANPS本戦」に受け継がれております。
BS時代(1998年~2003年)はJBC時代のごく限られたメンバーのみが集う「前世紀の遺物」的な競技大会で参加平均25名程度。最少は18名での開催もありました。非常にこじんまり、いや寂れた感がひしひしと伝わる小さな全日本選手権でした。会場も当日の朝から設営していたような・・。
その後「知的財産」や「登録商標」等の規制が世界的に厳しさを増し、何の許可も取っていない「ビアンキ」の名を使用するのはいかがなものかとの意見から、競技名称を変更することになりました。
BS時代(1998年~2003年)はJBC時代のごく限られたメンバーのみが集う「前世紀の遺物」的な競技大会で参加平均25名程度。最少は18名での開催もありました。非常にこじんまり、いや寂れた感がひしひしと伝わる小さな全日本選手権でした。会場も当日の朝から設営していたような・・。
その後「知的財産」や「登録商標」等の規制が世界的に厳しさを増し、何の許可も取っていない「ビアンキ」の名を使用するのはいかがなものかとの意見から、競技名称を変更することになりました。
NRAビアンキカップは正式名称「National Action Pistol Shooting Championship」と言います。
ならばそれをJapanに挿げ替えてしまえと、「Japan ActioN Pistol Shooting championship=JANPS」としたのです。
この名前は忘れもしない、私が岩手の嫁さんの実家から掛川へ新幹線で帰宅する車中にてポッと浮かんだものです。(ジャンプス、馴染めるかな・・)と当時は不安でしたが今になってみると杞憂だったようですね。
JANPSの正式デビューは2004年8月でした。
掛川市のもう一つの大きな体育館「さんりーな」の空調完備の武道場を舞台にスタートしました。
JANPS発足に伴い、運営団体名も「JANPS委員会」となり、私が代表に就任。羽山さんが副代表、高嶋さんは競技委員長となって頂きました。 その後はふたたび「あすなろ」に里帰りし、今に至ります。
「JANPS」と名前はカッコ良くなりましたが、参加者は相変わらずの伸び悩み。30名を越えれば凄い!という感じでした。
JANPSの正式デビューは2004年8月でした。
掛川市のもう一つの大きな体育館「さんりーな」の空調完備の武道場を舞台にスタートしました。
JANPS発足に伴い、運営団体名も「JANPS委員会」となり、私が代表に就任。羽山さんが副代表、高嶋さんは競技委員長となって頂きました。 その後はふたたび「あすなろ」に里帰りし、今に至ります。
「JANPS」と名前はカッコ良くなりましたが、参加者は相変わらずの伸び悩み。30名を越えれば凄い!という感じでした。
2006年に「JANPS掲示板」を立ち上げ、ネット時代の波に乗ろうと頑張ります。当時は「自作自演記事」が当たり前。口コミのみが頼りで、いろいろなところに出掛けては大げさにアップするの繰り返しでした。それでもぼちぼちと名前は知れていき、転機は2008年にやって来ました。(※掲示板は現在閉鎖)
「JANPS2008」が初めてGun誌に大きく取り上げられ、それを発端にJANPS掲示板のアクセス数が急増。競技への問い合わせも多くなります。
時同じくして新潟、上越にガンコレさんがオープンしたと横田さんがキャッチ。羽山さん達がお店でシューティング講習を開くなどして、地方からのメジャーシューティングマッチへの参加や「自分たちでもマッチを開こう」等の機運が高まるようになりました。
翌2009年のJANPSには初の50名超の参加を受け、以降毎年の参加数更新は現在も続き、2010年には前人未到の「1920点満点」を横田さんが叩き出し、今もその挑戦は受け継がれております。
今年のJANPS2017は75名のご参加。来場者は土日延べ136名を数えました。
JANPSを支えるターゲットシステムも時代を先取りしてきました。
「フォーリングプレイト」については当時ブザー音と目視によるオーバータイム判定をしていたものをタイマー連動のロックシステム導入により完全自動化。(2010年導入)
「ムーバー」については大掛かりなパイプ組み立ての器材を、シンプルなアルミ製材と制御機器によりダウンサイジングを実現。(佐々木さん作。2016年導入)
「ターニングターゲット」についてもロータリーソレノイドと、ゴム、バネで駆動していた仕組みをサーボモータによりミリ単位の回転角度調整可能なシステムを構築。 類を見ないレスポンスでの回転を実現できました(佐々木さん作。2017年導入)。
翌2009年のJANPSには初の50名超の参加を受け、以降毎年の参加数更新は現在も続き、2010年には前人未到の「1920点満点」を横田さんが叩き出し、今もその挑戦は受け継がれております。
今年のJANPS2017は75名のご参加。来場者は土日延べ136名を数えました。
JANPSを支えるターゲットシステムも時代を先取りしてきました。
「フォーリングプレイト」については当時ブザー音と目視によるオーバータイム判定をしていたものをタイマー連動のロックシステム導入により完全自動化。(2010年導入)
「ムーバー」については大掛かりなパイプ組み立ての器材を、シンプルなアルミ製材と制御機器によりダウンサイジングを実現。(佐々木さん作。2016年導入)
「ターニングターゲット」についてもロータリーソレノイドと、ゴム、バネで駆動していた仕組みをサーボモータによりミリ単位の回転角度調整可能なシステムを構築。 類を見ないレスポンスでの回転を実現できました(佐々木さん作。2017年導入)。