前回インタビューさせていただいた赤堀さんが勤めていらした、認定NPO法人JEN(Japan Emergency NGO)に伺いました!
世界の中でも特に支援の手が届きにくい、いわゆる「ふつうは危険」と言われる場所で支援活動を行っています。今回は、そんなJENで活動していらっしゃる、若手の梶並真充さんにインタビューしました。
梶並真充さん
―初めに、JENの活動目的と成り立ちを教えてください。
梶並さん:活動目的は簡単に言うと、緊急事態が起こった直後から、ふたたび自立したいという人々の気持ちに寄り添い、それを、活動を通して支えるということになります。世界には今、難民、避難民、国内避難民、全部合わせて6500万人が社会から見放され、弱い立場にいる、という国連の調査があります。JENは、そういった方々が自分たちの手で一度壊れた社会や地域ともう一度つながって、自分の足で歩き、ふたたび自立して生きていけるような社会を作ることを目的としています。
JENが生まれたきっかけは、1994年1月から、旧ユーゴスラヴィアの難民の方々に支援を行ったことですね。1991年にソ連(ソヴィエト連邦)が崩壊して、ユーゴスラヴィアもその影響で民族争いに発展し難民が生まれる状態に陥り、JENはその中で、支援を開始しました。その後地域が広がり、これまでに24か国で活動を行ってきました。活動の事業方針は変わりません。人びとの生きるちからを支える、つまり自立を支えることを目指して、今に至っています。
―現在の活動内容は?
梶並さん:日本国内では、東北と熊本。海外ではアフガニスタン、パキスタン、ヨルダン、イラク、スリランカです。実際の支援の方法は現地で独自の調査をして、現地のニーズを取って見極め、どんな活動がすぐに必要且つ持続可能か、自立につながるかを現地で考えデザインし、支援活動として実行する形で行っています。たとえば、これまでに何度も難民キャンプで活動してきましたが、現在は、シリア難民が暮らすキャンプ(ヨルダン)の衛生状態を保つために給水や水道設備を作っています。あとは、仕事を再開するきっかけとして、パキスタンで家畜を配布していますが、配布だけではなく畜産の知識を得てもらったり、そういった活動をしています。
パルワン県チヤリカ地区の女子校にて防災減災研修中男性教員のグループが
DRR(防災)の課題を議論している様子(アフガニスタン)
―各国にもJENのスタッフの方がいるんですか?
梶並さん:はい。各国にオフィスを用意していまして。とはいえ、日本人で全部やることは、JENのコンセプトに沿わない、というか、そもそも自立につながらないので、必ず現地の方を雇っています。各オフィスは現地の人たちが主体となって運営しています。日本の団体なので、本部(東京)とのコミュニケーションは、日本人が担当しています。
―日本ではどういった事業や活動をしていますか?
梶並さん:東北と熊本で活動しています。基本的にコンセプトは海外と同じです。緊急支援(地震や津波)をきっかけに活動を始めました。たとえば、日本にも社会課題、ありますよね。その解決のための自立支援を行っています。熊本では、地元の方々が社会起業家として事業を興そうとするところに、ちょっとしたきっかけを提供しています。具体的には、勉強会の開催です。東北でも、緊急期には支援物資の配布やコミュニティの再生につながる支援活動をたくさんしていました。2015年秋からは、地域の復興は地域の手で、という方針のもと、現地発の復興活動を支えています。
国内の支援活動でも、体制は同じです。熊本にも事務所がありました。東北は、2015年までは宮城県石巻市に事務所がありました。いずれも現在は閉鎖しています。東京本部事務局では、各国のプログラムを策定したり、各プロジェクトが理念に沿っているかを確認したり、ステークホルダーとの関係強化などを行っています。たとえば、プロジェクトを実施するために、外務省から助成金を拠出いただいていることがありますので、その場合、担当者は日々外務省との間で細かい事務的なやりとりをします。他には、こうやって、いろんな方にJENの活動を知ってもらう場として機能しています。
―そうなんですね。梶並さんは、今どのような仕事をなさっているんですか?
梶並さん:私はパキスタンとアフガニスタンの活動を担当しています。今は、総務・経理担当として主に会計のチェックですね。プロジェクトをやっている途中で何を買ったかを記録し、そしてその記録を間違っていないようにしておくということがすごく大事なんですけど、そういうことをやっています。たとえば100円のレシートがあって、それをちゃんと使ったお金として数えて、活動に使える残りのお金がいくらかっていうのをクリアな状態にしておくというのが今現在の仕事です。一つひとつの事業規模は数千万円ですが、そのやりくり担当、ということです。
―なるほど。今、具体的にアフガニスタン、パキスタンではどういった活動が行なわれているんですか?
梶並さん:今、アフガニスタンとパキスタンの国境沿いにアフガニスタン難民の方がたくさん滞留しています。アフガニスタンは30年以上貧困状態な上、自然災害や戦闘から逃れるために国境を越えてパキスタンに逃げてきた人々がたくさんいるんですね。そういった方々は、いつか故郷へ帰りたいと強く願っているけれど危険で戻れない、故郷ではないけど長年、難民の状態でパキスタンに住んでいる、と宙ぶらりんな状態になっています。
同様に、パキスタン側にも「国内避難民」と呼ばれる避難民がたくさんいます。彼らは、パキスタン政府による、武装勢力掃討作戦を逃れ、国内の安全な地域を転々としています。そういった国内避難民の方々に対して、さきほどの畜産の支援をしています。家畜となる牛や山羊を避難民の方々に配布して、それを活用して仕事を再開してもらっています。最初は、ミルクやヨーグルトを作って自家消費しますが、やがて商売になってゆくんです。こうして、支援を受けた方々が仕事を持って自立して生きていけるようにしていきます。なぜ家畜かというと、そこにいる方々にとってもともと家畜が生活の一部でした。なので、できるだけもとの生活に近い状態に、ということで、家畜のサポートを行っています。家畜の配布だけではなくて、飼育などの畜産の知識を得る勉強会を開催したり、そのために必要な道具を配ったりもしています。
畜産支援では、家畜の配布のみならず飼育や活用方法、予防接種など
維持管理の仕組みを伝授します(パキスタン)
―道具は寄付とか…?
梶並さん:現地で買っているのがほとんどです。活動の資金はご寄付や外務省からの助成金です。
―なるほど、ありがとうございます。では、梶並さんご自身についても伺いたいと思います。梶並さんが国際協力に興味を持つようになったきっかけは何ですか?
梶並さん:言われると思ってました(笑)
私の場合は特殊で、たまたま海外で小さい頃に住む機会があったので、きっかけといえば多分その時期(小学生)なんですけど、割と世界の中で仕事をしたいと自然にあったという感じでした。そのあとずっと行ってたわけではないんですけど、日本で生きていた中でも、やはり世界と繋がる仕事ということで考えていました。
―大学では何を勉強されていたんですか?
梶並さん:大学では、建設を勉強していました。
―国際協力を勉強していたわけではないんですね。
梶並さん:そうですね。もともと、技術が国を超えて仕事に出来る武器になる、技術を持っていれば世界に共通で貢献できる、というふうには考えていました。世界で通用する技術は何かな、と思って、建設を学びました。
―そのあとJENに入られた経緯は?
梶並さん:そのあと民間の、海外プラント建設を請け負う会社に7年間勤めていました。もちろん海外に行って、実際にいろんな人と一緒に文化とか背景とかが違う人と仕事をしてきました。その中で、違う文化に飛び込んで苦労していた私を、仕事を通じて支え、助けてくれた多くの仲間と出会いました。そういう経験を通じて、今度は自分が違う文化のところに行って支えて、立場が弱い人たちが心を閉ざさぬよう、生きるきっかけを作りたいという思いが明確になり、JENに入りました。
―実際に仕事で海外に行かれてみて、国際協力の分野に興味を持たれたという形ですか?
梶並さん:もともと興味はあったんですけども、仕事としてやるにあたって、具体的に何がしたいとか大学を卒業した当時はあまり言葉に出来なかったです。国際協力って結構ふんわりした言葉じゃないですか。だから何をするのって、ただ優しくするだけじゃ仕事とは言えないだろうと考え、しばらく別の仕事をしたってことでしょうかね。
―今後やっていきたいこと、目標があればお聞きしたいです。
梶並さん:今後の目標としては、プロフェッショナルとして自分にしか出来ない仕事をしていきたいです。これまでのキャリア、私の建設会社でやってきたキャリアを少しでも活かして、例えば現地の方々に建設の仕事のきっかけを与えたり、自分にしか出来ないような仕事をしていきたいです。
―パキスタンにこれから行かれるということですが(梶並さんは今年7月ごろからパキスタン事務所で勤務されるご予定)、今現在考えている、やってみたいこととかはありますか?
梶並さん:やっぱり国際NGOの一番の特徴は、生きることにさえ困っている人を支えること、つまり生きるためのニーズに最も近いところが現場であり、支援対象者。現地のニーズを最前線で一番身近に具体的に汲み取って、それを仕事に反映出来る立場だと思うので、現地に行くからには、しっかりと現地の声を聞いてそれを活動に落とし込みたい。現地でいろいろな話を聞いて、仕事をしていきたいですね。
―実際これまで働いていらっしゃる中で大変だったことや、NGOで働く上で苦労したこと、やりがいといったものって何かありますか。
梶並さん:NGOで働きはじめて2ヶ月になるのですが、プロジェクトの規模が小さい分、自分のやっていることが見えやすいというか。実際の仕事でレシートのチェックとかそういう仕事をやっていたのですが、それをやらないとプロジェクトが曖昧になってしまって、予算がいくらか分からないといった事態がおこる。そうするとしっかり目的に即した活動ができなくなってしまうので、そういう意味では自分がプロジェクトを見えやすく分かりやすくしていることが、ひいては現地の支援活動に効果的に影響を与えているというところでやりがいを感じます。
大変なことは、NGOに限ったことではないかもしれないのですが、自分たちだけでなくて他の人も巻き込んで仕事をするということです。支援の効果が最大になるように、色々な外部の方と協力してやっていかなければいけないですし、他のNGOとも協力する必要もあります。ほとんどのプロジェクトはJENだけでなく他のNGOと協力してやっているので。そうでなくても、緊急事態の時にそれぞれのNGOが勝手に別の仕事をそれぞれやって、「ここの人たちに、何も支援が届いていない」という状況を作ることって、ありえないじゃないですか。プロジェクトはただやればいいわけではありません。その前段階で、同じ地域や分野で活動するNGO同士の密な調整や連携がとても大切になります。
―なるほど。それはやはり支援に偏りがないようにとか、現地での事業をより効果的にするためにということでしょうか。
梶並さん:その通りです。ただ、支援が平等にいくというわけではないかと思います。誰に対しても同じ数や量、というわけではなくて特に社会的に弱い人をちゃんと優先して、適切な数や量の支援ができるようにしています。みんな一緒というわけではない、場合に応じてですね。
―他の地域よりも経済的に弱い地域に行って、ニーズを見つけて活動するっていうやりかたでしょうか?
梶並さん:経済的に、というのもそうなんですが、文化的に弱い地域も当てはまります。例えば、女性が外にでにくいというような文化があるところでは、女性の方々が隠れがちで見にくくなっているんですけど、そういうところでは特に気を付けて見ていますね。
衛生教育を学んだ女子生徒。屋根のある教室と椅子と机がある、
安心して学べる学習環境を提供しています(アフガニスタン)
―なるほど。ありがとうございます。では最後に、学生へのメッセ―ジをお願いします。
梶並さん:理想ってあると思うんですが、最初は実力はないと思います。だから、最初からやりたいこと一本で自分の将来を決めなくてもいいかと思います。別の仕事をやって、そこで本気をだしていれば、どうしても自分が譲れないものがでてくると思うので、そのときにまた考えればいいと思います。
以上、JEN梶並さんへのインタビューでした!
JENでは、以前支援していたセルビアで、元のスタッフが立ち上げたNPOが作成している編み物を、日本で販売しているそうです!女性のエンパワーメントの活動の一環だそう。今年秋に行われるグローバルフェスタでも販売されるそうなので、立ち寄ってみるのはいかがでしょうか?
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<感想>
JENの現場を重視する活動は、国際協力においてとても重要な姿勢なのだと感じました。そうでなければ、家畜支援の必要性などは見出すことが難しいと思うし、より持続可能な発展や復興という点から見ても、現場を中心として、現地の人が主体となって活動することは大切だと思います。
梶並さんが理系出身でNGOに勤務されているということで、国際協力に関わっていくにも様々な道があるのだと教えていただけました。ありがとうございました。(五十嵐)