幼児と中米

幼児と中米

今までやったことがなかったから、学生も終わるしやってみるかな~ということで、何となく始めてしまった中米旅行記的なブログ!はたして更新されるのか!?

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日本のみなさまこんにちわ!
命を文字通り預けあったホンジュラスはウティラ島のバディ達と別れ、
ついにハリーの母国、ベリーズのダングリガに到着しました!!
ウティラの暑さがかわいく見えるくらい、半端じゃなくあつい。。。。
そんなあせだくだく、君はラクダ君、よーじです!!


さて、ブログでは今日からついてないコスタリカの日々の始まり始まり!!!!
今日は第一章、バゲージディレイと航空会社との戦いについて!


コスタリカの首都サンホセについたぼくは、入国審査を経てバゲージクレイムへ。
そして、動き出す積み荷の運搬機。

毎回自分のバッグ出てこなかったら、いやだな。
って、誰しも思うんじゃないでしょうか?
いつもどーりそんな感じでした。

しかし、バゲージクレイムが回転するのを止めても、ぼくのバックは出てこなかった。。。


周りを見渡すと他に15人くらいの人間が、出てこなかった模様。
まぁこの数なら明日には出てきそうな気がする。
と、思っていたぼくは比較的この事態を楽観視していた。

怒鳴り出すドイツ人の群れ。
全く列を無視してカウンターに殴りこみ状態。

「悪いのは荷物の処理ミスったやつで、こいつらはクレーム処理だから怒っちゃかわいそうじゃないか。」
とか思って、おとなしく順番が来るのを待っていたら
どんどん後回しにされる。
真ん中にいたのが最後尾にw

そして自分の番。
英語ができない相手だったので、眠い頭フル回転でスペイン語で対応。
そして、いくつかの書類に記述とサインをし、
「宿泊先が決まったらここに電話下さい。
まだあなたの荷物はボゴタなんですが、明日の17時にはここにつくことになっています。
なので、その宿泊先へお届けします。」
といわれ、安心。
そのまま町に行き、ユースホステルに泊まった。

次の日、1日グダグダして、
17時近くに電話。

すると、電話の窓口の女性はこう告げた。

「え?あなたの荷物?どこにあるかわからないわ?」

???
驚いた僕は確認した。
「昨日ボゴタにあって、今日の17時につくって言ってたけど???」

「そんな話何も入って来てないわ。
進展があったら、登録してくれてたほうのメールにすぐ入れるわね。」

という感じに話がまとまってしまい、
少しいらいら。

すると、同じホステルに宿泊してるカナダ人女性が後ろから声をかけてきた。

「あら?あなたバック遅れたの?
絶対に最低三回は電話するべきよ。
中南米は情報の共有がなってないから下っ端は何も知らないの。
だからもう少ししたらまた電話しなさい。」

なるほど、ごもっとも。
と思い、1時間後電話を入れると、

スペイン語しか喋れない男性がでた。
英語がしゃべれないやつは下っ端だと判断し、英語喋れるやつ出せ。といいまくる僕。
しぶしぶ英語出来るやつが出てくる。
彼は言った。

「荷物の件ですが、その便の荷物がいくつか到着してるようです。
黄色い紙をお持ちではないでしょうか?」

黄色い紙?
ぼくが持ってるのは飛行機のチケット、荷物の整理用の札だけだった。

「いや、持ってないんだけど、荷物の整理番号は~で、飛行機は○○です。」

すると、彼は告げた。

「いえ、あなたはボゴタでアビアンカの飛行機から、TACA航空の飛行機に乗り換えています。
なので、あなたが持ってる札はアビアンカ航空の整理番号なので、我々には把握できません。
よって、黄色の紙がなければ、荷物をそちらに郵送することはできません。
黄色い紙ですよ?
荷物のかたちはこうで、中身は何で、色と材質はこんな感じ。というのを書いた紙の控えですよ。
もってないんですか?」

あ、黄色い紙ってそれか。
確かに書いたが、窓口の女性が渡したのはこの電話番号が書いてある紙だけだった。
そう、黄色い紙は窓口の女性が渡し忘れていたのだ。

ぼくは言った。

「いえ、バゲージクレイムの女性が私に渡したのはここの電話番号のみです。
おそらく彼女は忘れたのでしょう。
ここに電話して、パスポート、チケット、荷物番号を言えば、荷物を郵送してくれると言っていました。」

彼は呆れたように言った。

「いや、だから黄色い紙がないとこっちは郵送できないんですよ。
君が荷物を確認する方法も、引き取る方法も一つだけ。
空港に行って、直接確認するしかない。」

ぼくはすぐに空港に行くと伝え、電話を切った。
このころにはイライラを隠せなかった。

なぜ、最初に謝らない?
なぜ、全員対応が違う?


すぐに空港に行き、バゲージ係に確認させた。
すると3分ほどで、彼はぼくのバックを持って渡しながら一言。

「ありましたよ、よかったですね。
でも何もここまで来なくても、電話くれれば、送ったのに。」

その一言で、久しぶりにぼくはプッツンしてしまった。

「よかったですだ?
送ったのにだ?
俺にとってよかったって言える状況は、荷物をホステルまで運んでもらって受け取れた時だけだよ!!!
てめーいい加減にしろ!!!!
送るって言うから電話したら、黄色の紙がないと送れないって言ったのはてめーらじゃねーか、このクソども!!!!!
一人一人違うこと言うんじゃねーーーーー!!!
荷物あるじゃねーか!
黄色い紙なくても俺の荷物って確認できてんじゃねーか!!!!
だいたい、電話で出たやつが荷物着き次第メール入れるって言ってたのに、メールなんて着てねーぞ!!!
どういうことだおぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっ!!!!!
タクシー代よこせ!!!!
ここまでくんのに片道20ドルかかんだよ!!!!
40ドルだ!!!!!!!!!
さっさと出しやがれ、この野郎!!!!!」

大声で怒鳴りつけると、人目を引くのが気になったのか、
彼はぼくをなだめにかかった。

「落ち着いて下さい。
決まりなので、お金は払えません。
帰りのタクシーは手配しますけれども。」

ぼくはとまらない。
「ふざけんな!!!!!
受付で、かかった経費は伝えるよう言われて、結局それも対応の違いか?
ホントてめーらは嘘つきで、最悪の航空会社だな!!!
恥ずかしくねーのか???!!

あと、すげー不思議なんだけど、なんで、お前ら謝んないの?
まず一番最初に言うべき言葉は、ごめんなさい。
じゃないの??????」

彼はしぶしぶ言った。
「お客様大変申し訳ございませんでした。
ですが、規定で現金では払えません。
経費については弊社のHPに行って、カスタマーサービス宛にメールを送ってください。
そうすれば、経費をこちらで振り込ませていただきます。」

納得しないぼくは、その後も30分ほど怒鳴り続ける。
も、お金は取り返せず。
結局HPにクレームをつけるしかない様子。
しぶしぶ引き返す僕。。。。


こんなに怒ったの久しぶり。
いつぶりだろう?
この旅で一番ついてない日だった。。。


とか思いながら帰って、ホステルの宿泊者としゃべってたら、
「まぁ一杯ビールおごってあげるから、元気出しな。」
と、先程のカナダ人女性がビールくれた。

アイスロック

コロナの味がちょっと変わったやつで、コロナよりもおいしかった。

少しだけほっこり。

最後にちょっとだけいいことあった。

日本の基準とここの基準のギャップに驚かされた、そんな激戦の一日は越して終わったのでした。


今日はこれでおしまい!
次はエコツアーで有名なコスタリカ屈指の自然公園、
マヌエルアントニオ国立公園について。
お楽しみに!!

よーじ
日本のみなさまこんにちわ!!
今日は30mのディープダイブ講習、
そして18時からのナイトダイブ講習。
ついに、行く先々でのダイビング必要書類が整い、明日ついにここ愛すべきウティラ島を出ます!!!
ハリーの故郷、ベリーズに向かいます!
ぼくに新しい世界を見せてくれた仲間達との別れが悲しい、
ウティラ大好き人間、ウティジです!!!


今日はベネズエラからコスタリカに向かう前の空港で、
またしても、またしてもっ!!!
起こったトラブルについて書きます。
あ、ちなみに、これについて、詳しい人いたら意見下さい!!


エンジェルフォールから帰りついた夜、ぼくはそのまま荷造りを始めた。

そして朝4時半、当日チケットを求め(ぼくもラモーン一家も帰りのチケット買うの忘れてたw)、
ラモーンとラモンママとバルセロナ空港へ。

結果、
「キャンセルが6人でないと乗れない。」
と、言われ、

(まじやってもーた。。。)

とか思いつつも、無事に6人キャンセルで乗れることに。

ぼくのことを我が子のようにかわいがってくれたママにお礼を言って、
ラモーンに、世界のどっかでまた会おうぜ、兄弟。と言って、
二人とハグして、
出発ゲートへ。

ありがとう、ラモーンファミリー。


乗ること1時間、ぼくは再びベネズエラの首都カラカスへ。
そこで、カラカス→ボゴタ(コロンビア)→サンホセ(コスタリカ)のアビアンカ航空の便を待つことに。

時間が空いたのと、以前の教訓を活かすべく、
チェックイン開始時間と共にカウンターへ。

いつもどーりバックパックを出し、
パスポートとe-ticketを提示する。

しばらくして、受付の男は言った。
「全部~のチケットはないのか?」

ぼくはわからなかった。
ぼくのスペイン語では~の部分が聞きとれなかったのだ。

とりあえずよく分からないので、旅の目的・経路、チケットはこれが全部。ということを説明するも、
どうも質問の意図をはき違えたのか、そうじゃなくて。。。
という感じに。
らちが明かないので、英語がしゃべれるスタッフを呼んでもらうことに。


しばらくすると、スーツ姿の責任者ぽい男がやってきた。
スペイン語アクセントの強い英語で、ぼくにこう聞いた。
「持ってるチケットをすべて出して下さい。」

ぼくは言った。

「これがぼくの持ってる唯一のチケットです。
そのあと、コスタリカからメキシコまでバスで旅行して、
メキシコからアメリカまで飛行機で行って、
アメリカのテキサスに10日程滞在したのち、飛行機でアメリカから日本の成田空港まで行く予定です。
それらのチケットはまだ買っていません。」

彼は言った。
「日本に帰るまでのチケット全てを買ってください。
じゃないと、ここから先にはいけません。」

。。。。。ん?
どういうことだ?
ぼくは尋ねた

「ちょっと待ってくれ。
全てってどういう意味だ?
ぼくにはこのチケットの先、どのみち買うチケットが二つある。
メキシコ→アメリカ、アメリカ→日本だ。
だからそれはすぐにネットで買う。
だけど、コスタリカからメキシコまではバスで旅行する予定なんだ。
バスは予約することはできない。
ということは、先の2つのチケットを買えばそれでいいということか?」

彼は言った。
「NOだ。
我々には到着先の国に、こういう人間がこういう目的であなたの国に入って、こうやって出国しますよ。
と、コミュニケーションをとる義務がある。
そのため、あなたは行く先々の国に、いつどういう風にどこに行きますよ。
という証明であるチケットを持ってなければならない。
これは国際的に決まってることだ。
だから、そのバス旅行とやらはできない。
ちょこちょこ飛行機でかいつまんで行くんだな。」

?!
???????!!!!!!!!!

まじ???
出国できないっ?!
でもおかしいぞ。。。。

驚いた僕は必死に聞いた。

「おいおい、ちょっと待て。
その論理だと、陸続きのとこに住んでる人以外バスで国際旅行はできないぞ。
俺のこの旅では、グアテマラが最初の国だったけど、入国時、チケットを持っていなかった。
2年前に、東オーストリアからトルコまで縦断旅行した時も、トルコからの出国チケットは旅の途中で買った。
往復の旅行がすべてじゃなくて、一方通行の旅とかもあるだろ。
それだと、縦断とか、横断とかの旅が成り立たない。
それってどう考えてもおかしくないか?」

彼はこう返した。

「いいや、世界共通で、このルールだ。
日本だろうが、アメリカだろうが、コスタリカだろうが全部一緒だ。
なにはともあれ、君がバス旅行のプランを変えない限り、ここから先には進めん。」

ぼくは怒った。
どう考えても、今までの旅も経路も成り立たない。
矛盾もいいとこだ。
声を荒げてこう主張した。

「おーいおいおい、ふざけんなっ。
じゃあ、なんで
グアテマラからベネズエラに入国した時にそんな話が微塵も出てこなかったんだ???
国際バスだってそれじゃ存在が成り立たないだろ。
あの国際バスにぎっしり詰まってるヨーロッパ人はどうなんだ?
全員おうちに帰るまでのチケットを持ってんのか?
違うだろ?

なんで、俺は牢獄にいないで、今ここにいる?
今までのそういう行為が国際法上問題のないものだったからじゃないのか?
それが問題だったら、俺はベネズエラに入ったと同時につかまってるか、チケット買ってるだろ。
お前が言ってることは100%間違ってる!
一回ちゃんと調べるなり、てめぇで勉強するなりして、
今はさっさと俺のチェックイン手続きしろ!!!」

彼も同様に怒っていた。
そして、少し考えるそぶりを見せた後、うすら笑いを浮かべてこう吐き捨てた。

「ルールはルールだ。
お前みたいにルールに文句をつけて、あーだこーだ言うやつは初めてだよ。
お前はおかしいといったが、俺にとっちゃお前の方がおかしいね。
ほら、これおまえの荷物だ。
出国したくなったら、チケット揃えてまた来るんだな。」


そして、チケットを取り上げられ、ぼくはそのまま出国できなくなった。

この旅で初めて感じた、絶対的な敗北感。
今までの旅のスタイルを否定されたような、やり場のない怒りと屈辱。
そして、誰にも助けを求められない、絶対的な孤独と急を要する緊急事態。
負の感情全てがぼくを取り巻いた。


バス旅行中止にしなきゃいけないのか???
そもそもそれだと、この旅の意味は。。。。
なくなるよな?


コスタリカ行きやめるか?
他の航空会社に変えるか?
飛行機でちょこちょこ移動するたびに変更するか?
どうしよう。。。。?

友達に聞いても時差とバッテリーが問題で、有益な情報はつかめず。
いつも使ってる航空券のサイトもなぜか使えない。
自力で解決しなければどうにもならない。。。。


しばらく考えた末、

ベネズエラの出国が厳しかったら他の便にしても結果は同じ。
なので、コスタリカ→アメリカ アメリカ→日本という二つのチケットを買うことにした。
さらに、コスタリカ→アメリカの安いチケットを見つけたので、それを捨てチケットにして、最初の計画通りコスタリカからメキシコまでバスに行くことにした。

こうして、全てのチケットを買い、
手続きを済ませ、
飛行機を一つ遅らせた変更手数料+差額100$を払い、
問題解決。
高い授業料だった。
が、ついにベネズエラ出国。


飛行機に座り、窓を眺めてた。
都市化が進んだ不揃いな首都とスラムの街並み。
容赦なく照りつける太陽。

様々なベネズエラでの思い出が頭に浮かんでは消える。

最後にとんでもない試練を課したベネズエラ。
何もかもがアンバランス。
だけど、無限の可能性を感じさせる石油と観光資源。
美味しいベネズエラ料理。
アラビア料理が人気だったり、中国人がいっぱいいたりよくわからない国際性。
噂と違って、あまり美女がいなかった美女大国。
そして、最愛の親友ラモーンの住む国。

絶対いつかまた来るぞ。
そんな気持ちと共にぼくはベネズエラを発った。


喧嘩とは打って変わって良質なサービスのアビアンカ航空に運ばれること3時間、
ボゴタに到着。
そして、コスタリカの首都サンホセ行きに乗り換え、
2時間後、

様々な苦難を経て、ぼくはコスタリカのサンホセに降り立ったのだった。


しかし、試練はまだまだ終わらないのだった。
が、もちろんこのときぼくは気付くよしもなかった。。。


ということで、今日はおしまい!!
明日からは、呪われしコスタリカの日々が始まります!!
お楽しみにっ!!!!


よーじ
日本の皆さん、こんにちわ!!
今日でダイビングライセンスゲットだぜ!!!
調子こいてそのまま、ディープダイブ、ナイトダイブの講習もとることにしました!!
いきなりリッチな旅になりました、金満よーじです!!!


さて、今日はエンジェルフォールツアー最終章!
エンジェルフォールとの対面とその前後の過程について書こうかと。


エルサポでの楽しい初日を過ごした翌朝、
向かったのは。。。。

この旅の目玉、エンジェルフォール。
ついに。。。なわけですっ!!

宿舎から出発して、赤い湖を横目に少し歩いてから、カナイマ湖の上流に向かう船の発着地点へ。
そこでぼくが見たものは、、、、

犬対ネコ

犬対犬


自分以外の存在に、誰かれ構わずちょっかいを出す白黒な犬w
本当に落ち着きがなくて、どっかの誰かの小さいころを思い出しましたw

それから、ニコ(下)がやってきた。


ニコ


そして、彼は言った。
「誰か一人、こっちのスロバキア人ツアーに入ってくれ。」と。

ぼくは頭の中で考えた。

リカルド→英語微妙。照れ屋でぼくともそんなしゃべらない。
ラモーン→英語もスペイン語もできる。でも、ラモンいないとリカルドがきつい。
ぼく→スロバキア行ったことある、英語喋れる。抜けても、ラモーンとリカルドでうまくやってける
・・・・・・・
⇒俺が行くってことかwwwww

そして、ぼくは前日から一緒だったスロバキア人13人の極地ツアーグループと行動を共にすることにw
気を取り直して船へ。

船

こんなやつ。
ご覧の通り、これまた水しぶきがすごいですw
濁流のとこなんて、横から水がジャーって入ってきますwww

カメラウォータープルーフじゃなかったら一発でおじゃんでしたw


そして、

前の景色通常

前方の景色はこんな感じ。
そして、一回船を乗り換え、
テーブルマウンテンが点在してる地域に差し掛かると、

テーブルマウンテン

テーブルマウンテン2

こうなるわけです。

ものの見事に四角い。。。
なぜこうなるのか、ガイドのニコに訊くと、


「わかんないけどさ、赤い川に四角い山の組み合わせって不気味だろ?
加えてエンジェルフォールのある、マウンテンテプイは悪魔の山って呼ばれてるんだぜ。
そんな悪魔の山から天使の滝が流れてるって、もはやわけわかんねーよな。」


と言っていた。
ふむ、なるほど。
ベネズエラらしいカオスな感じだw

*ちなみに、エンジェルフォールの名の由来は、発見者がエンジェルさんだったから。正しくは「エンジェルズフォール」です。


そして、びしょぬれになりながら船に揺られること3時間。

ついにエンジェルフォールが姿を現す。


エンジェルフォールとおまき

遠巻きに見るとこんな感じ。

そして、展望台のあるとこまで、ジャングルトレッキング開始。

ジャングル・カナイマ

そして、辿り着いたあこがれの場所。。。。

エンジェルフォール!!!

半端なくでかい!!!
なんたって見あげちゃうくらい高い!!!
しかし、迫力がいまいち。。。。

なぜだ??

少し考えてわかった。
それは静かだからだ。
下の滝つぼに当たる部分を見てみると、


霧状の滝つぼ

このように途中から霧状になっているのです。
高すぎて、霧状になってしまうのだとか。
そのため、高さの割に音がめちゃめちゃ静か。
なので、迫力が少し半減だったわけですねー


でも、やっぱりいい眺めだったな~

記念撮影@エンジェルフォール

なんて記念撮影をしてたら、ニコが、

「滝のすぐ近くまで行きますよ~」
と言った。



またトレッキングを開始してついたのが滝の下の滝。
下から見上げると、

真下から


こんな感じ。
高すぎて、下からだとわけわからない。。。
やっぱ979mってすげー高さなんだな。。。

その下で、泳ぐのがこのツアーの慣例だとか。
早速脱ぎ出すスロバキア人達。

真下で泳ぐ1

実はうまく隠れてるけど何人かの男は全裸ですw

真下で泳ぐ2

そして泳ぐ3人組。
左の男は全裸ですw


ちなみに、ぼくは泳ごうと思ったけど、水が冷た過ぎてやめましたw
ラモーン達がいたらなぁ~


そして、その後キャンプ地へ。
着く直前に違和感を察知した。
キャンプ地のすぐ横で、地面がしましまになっている。


と、思ってよく見たら、

はきりあり

葉切りアリの行列。


ニコいわく、
このアリたちはとある葉っぱを切って持ち帰り、
それを食料に加工して暮らしているとか。


「人間もこいつらくらいあくせく働いたら、もっといい世界になるのにねw」
と、彼は笑いながら言っていた。

でも働きすぎて死ぬ人もいる社会から来てるぼくには、働けばいいというものでもない気がした。
まぁベネズエラ人はもうちょい働いていいと思ったけどw


夕飯後はラモーン達のキャンプに合流させてもらって、
ハンモックで睡眠。

ハンモック
こんな感じ。
気持ちいいけど、寝づらいw


そんなこんなで、次の日はそのまま戻って、ツアー終了。

サッカー連れてってくれたり、スロバキア人の中で孤立しないように色んな事をしゃべってくれたニコに礼を言って、
空港へ。


帰りは飛行機何事も起きず、内臓からもの逆流することもなく、
ぼくたちは家に帰りつきましたとさ!


これでエンジェルフォールの話はおしまい。
次はいよいよコスタリカ編に突入。
しかし、そこでは最大の修羅場が待ち構えていた。。。。。
お楽しみに!!!


よーじ