千葉っ子ぶたろーの盛岡生活

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いつ振りでしょうか?

ご無沙汰してます!




東北での復興事業が落ち着いて来ましたので、研修のアンケートで勉学に励みたい旨を綴ったところ、本社の設計部に配属となりまして





しかしながらコロナ禍で新規業務を覚えるのはハードルが高くて効率も上がらず、悶々としておりました。。。





通勤が辛く、終電始発がある中で早く正確に解析条件を定め、結果をまとめる。





これまで現場で行って来たこととはまた違った正確さに戸惑いました





現場で求められる正確さは、結果が入っていればいいのがポイント

正解の方向を向いた範囲内での最適解の選択です。





現部署で求められる正確さは、経路を決めて得られた結果からどんな対策をしましょうかというのがポイント

根拠に基づき積み上げた結果が焦点を通り、プリズムで拡散する様に色んな可能性について検討していきます。





例えば、高度成長期には田中角栄の日本列島改造論により道路網、鉄道網等の整備が進みましたが





建設時の条件と環境が変わったり、法律や示方書が改定されています。





例えば、こんな原因が

①気象条件の変化による排水条件の変更

②地震時の機能と求められる性能の変更

③地震に起因する災害に適合させるための耐震設計法の変更

④供用条件の変更

1.交通量の増加や車両荷重の規制緩和

2.また過積載の影響による老朽化の加速

3.凍結区間のスパイクタイヤ禁止に伴う融雪剤の使用による塩害





安全を確保できるように設計耐力を引き上げている影響が大きく効いてて

耐震診断をして補強検討、更新検討をしていくのですが、人様の資産を扱うことに加えて公共性も高いですから、橋梁等は慎重な検討が必要です。





老朽化した構造物を長く使い、変状が生じても機能を損なわない構造(レジリエンス)とし、ライフサイクルコストを低く抑えるためのモノづくりが建設業界を中心に求められている状況です。





自分の人生よりも長い寿命の構造物にその土地の後世を守る役割を託せるようなモノづくりができたらなと思いながら頑張ってきましたが

1人では家事をする時間もなく、生活すらまともにできずに限界を迎えてしまいます。





奥さんも貯金の目標額が貯まり、漫画の方も順調に進んでいたことから、引越して一緒に住む運びとなりました。





空きがある中で1番治安が良さそうだった横浜の社宅に引越しまして、7月から同居を始めたところです!





でもなかなか奥さんが馴染むには時間がかかりそうです。。。

反抗期の女の子みたいな感じなんですよね、なんか

だからルールを決めました。

①理不尽に当たるのはやめて欲しい

②物には当たらない

③悪いと思ったら謝る





ごくごく簡単なことからというのもあるのですが、

子供ができたとして、真似されたら困ると思ったことは今のうちからやめてもらおうと思ってます。





お互いにすり合わせて過ごしていけたらなって思います。





そんなこんなで横浜での新生活がスタートし、ぶたろー丸は出航しました⚓️🚢





色んな嵐に遭遇すると思いますが、乗り越えていけたらいいですね(*´ω`*)





では、またご機嫌よう☀️





本日2019年1月13日夕方



おばあちゃんが息を引き取りました。



母方の祖母だったのですが



私を産んだ時に母が亡くなってしまい



困った時にはいつも手を差し伸べてくれる



そんなおばあちゃんでした。



自分だって娘を突然失って悲しいだろうに



この子を守りたい



一人前にしなきゃ



そういう思いでかわいがってくれたんだなあ



保育園のお遊戯会で親戚みんなでご飯行ったり



夏はおじいちゃんおばあちゃんちでお泊まりしたり



父方の祖母がクモ膜下で倒れた時には



この子達の面倒は見るから、お仕事を犠牲にしないで



無理をしないでねと父を気遣ってくれたり



よくできた時は褒め



人の道を外しそうな時は本気で怒ってくれた



自分の子供よりしっかり怒ってるよー



なんて言いながら



よく鼻歌歌いながらご飯作ってて



味見させてー!ってもらってたな笑



口の中を手術して味覚に自信がなくてしょんぼりしてたこともあったんだけど



味見させてー!ってもらいながら



もうちょい足してみる?とか



微調整は私が請持つことにしたら



先に料理教室に通ってたこと思い出したわ



なんていいながら



また鼻歌交じりにお料理作ってて



楽しそうで



お料理っていいな



漠然とそう思うようになってました



高校からは実家に戻ってきてたのですが



ちょくちょく遊びに出かけては



学校でこんなことがあってねー!



テストがこうでねー!



部活がこうで、ここと戦ったりねー!



とか



なんでもないと思ってた日常をすごく楽しそうに聞いてくれたから



なんだか嬉しかった



大学から盛岡になって



春、夏、お正月くらいしか帰れなくなっちゃったけど



学生生活をかいつまんで話してたら



あら、私の時はこうだったわよ



なんて思い出話も飛び出したりして



楽しかったなあ!



就活でゼネコンに決まり



配属はまだ正式発表ではないけれども



一番権限のある人に希望を伝える機会があって



震災復興の道を歩むことになるという話をしたら



そうか、また遠いねえ



寒いから体に気をつけて頑張るんだよ!



と応援してくれてました。



働きだしてからは



工事の進捗であったり



会社のことであったり



飲み会のことであったり



おばあちゃんが昔おじいちゃんと行った旅行のことだったり



やっぱり楽しかった



思ってみれば去年のGW



おばあちゃんに電話したら



おじさんの嫁さんが出て



おばあちゃんは入院してて、今はお家にいないんですよー



とのことで



その時は、またすぐに帰ってきて夏には会えるだろう



と思っていました。



しかし、夏



やはりおばあちゃんは病院に入院中とのことで



私は婚約者と来ていたので、病院に行ってバタバタするのもなあと



遠慮してしまいました。



そう、遠慮してしまいました。



今思えば、この時がみんな揃って会うことができた最後のチャンスでした。






1人で帰ってきて



お正月を迎える



おばあちゃんの妹が来た時に



おばあちゃんの様子が気になるから



ここの病院にいるから



意識がはっきりしてるうちに、会って話した方がいいんじゃない?



と病院の部屋を教えてもらい



毎度おなじみ、1月2日の午後にお邪魔してきました。



会った感じはこれまでと変わりなく



おばあちゃんが好きだった書道のお話をしたり



おじいちゃんが見てたらなんて言うかしら?



なんて話をしたり



今は書けないんだけどもね、書を認めるとしたら



"感謝"



って書きたい



私にもこうして家族が居たんだなあ



ありがたいことだよ



ありがとう



ということをエンドレスにお話ししてね



こちらこそありがとうね






また頑張るエネルギーをもらったなあと



感じていました。



その時のおばあちゃんはとても元気で



今度GW明けに両家顔合わせをして



それからおばあちゃんにご挨拶に伺いたいなあと



そう思っていた矢先でした。



突然の訃報



父とは普通に会話しましたが



ブログを書いていて



涙が自然と伝っていくんですね



楽しかった思い出も



大変だった思い出も



これから人生を共に歩む女性とおばあちゃんを会わせられなかったことも



きちんと報告できなかったことも



色んなことがパーっと頭をよぎりました。



87年



ちょうど60歳差だったんだね



おばあちゃんとは。



これからは、おじいちゃんと母に再会して



色んなことをお話しして



27年振りの団欒を過ごして頂けたらなと思います。



今年の夏は、奥さんとご挨拶に伺います。



どうか、暖かく見守っていてください。



本当にありがとうございました。


こんばんは!



ご無沙汰しております。



ぶたろーです。



私は今、橋に携わる仕事をしています。



今感じることを綴ってみたいと思います。



橋にまつわるエトセトラ






川や谷、崖、海、道路や線路など、行く手を阻む様々な困難を乗り越えるための構造物です。



よし!ここに橋を架けよう!
果たしてコストより多くの便益を得られるのでしょうか?



と立案する人もいれば



こんな条件があるから、こういう形はどうかな?
こういう仕組みで計算すると良いんじゃないかな?



と設計する人もいる



はたまた、この条件でこの形式。いかにして造りあげようぞ?
ここの手は丁寧だからこうしよう!
ここの手は荒いからこうしよう!



と事業を進める人もいる



これならできるよ!任せてよ!
難しいこと言うなよ!しっかりやるからよ!
こんなんできねえよ!何考えてんだ!



と言いながらも仕上げてくれる人もいる



そうして困難に向き合い、ぶつかり、揺るぎないいいものを造りだしていく。



すると今度は、使う人が現れる。



ここ近いね。
ここ車少ないからこっち行こうよ。
朝はこっちが空いてるんだ〜。



なんて言いながら、無意識に使っていますよきっと。



もしも橋がないと



あなたの生活はどうなるでしょうか?



私の場合は泳げないので、陸の孤島千葉から抜け出せませんw



こうして北国に来ることもなかったでしょう。



もしかしたら、困難にぶつかってそれを乗り越えるのではなく



迂回する道を選んでいたかもしれません。



また、人と人との架け橋といったことも考えなかったでしょう。



七夕の夜



天の川に橋が架かり



逢瀬を重ねる二人



そんなロマンチックなことも起きなかったかもしれません。



橋に携わる者として



その培った経験を糧に



これからも困難にぶつかって、立ち向かって



そして乗り越えていきたいと思います。