87歳の女性。今回が2度目の入院。
てこでも動かない、というよりも、暖簾に腕押しタイプ。つまり、明確に拒否はしないけど、まるでやる気がない。着替えの時間になると、15分ほどの“説得”が必要だった。
……ただし、この人との15分は、ちょっと違っていた。
ふつう、説得の時間というのはつまらないし、下手をすると相手に嫌われる。でもこの人は、なんというか、話のテンポが絶妙だった。私と彼女のやりとりはまるで漫才のようで、同室の患者さんにも「聞いてるだけで笑える」と言われるほど。私も、実はちょっと楽しみにしていた。
ある日、「私、小鳥が好きなの」と言い出した。
どうしてこのタイミングで小鳥なのか、まったくわからない。はぐらかし作戦か、あるいは私に無力感を与えて撤退させようとしているのか。とにかく、彼女なりの時間稼ぎなのは間違いない。
でも、わざわざ言うということは、何かネタがあるはず。私は静かに続きを待った。
「セキセイインコが好きでね、35羽飼っていたことがあるの。大きな籠も作ってね」
えっ、35羽?世話が大変そうですね、と私が相槌を打つと、
「ぜんっぜん大変じゃなかったのよ」
彼女の目がきらきらしていた。よほど鳥が好きなのか……と感心していたら、次の瞬間。
「だって、籠に入れた次の日には、空っぽだったもの」
……また意識が遠のいた。
鍵と扉が開いていたらしい。
私は彼女の車椅子に腰掛けて、一瞬休憩。彼女は楽しげにインコの話を続けている。
「逃げたインコがね、隣の家で“○○のインコちゃんです”ってしゃべってたのよ」
インコエピソードはまだ続きそうだったけど、そろそろ本題に戻らねば。
「では、最後のお誘いです。着替えましょうか」
「……はい」
承諾の返事が返ってきた瞬間、私は心の中で拳を握った。勝った。
もちろん、毎回こんなやりとりがあるかと思うと正直げんなりする。
でも数日後、「看護師さんに着替えろって怒られたって友達に電話で言ったら、友達にも怒られた」と、リハビリスタッフと楽しそうに話していた。しかもその後は、すっと着替えるのを見かけるようになった。
そう思うとやっぱりあの15分は、必要な戦いだったんだと思う。