デヴィッド・ロウリー新作の『ア・ゴースト・ストーリー』を鑑賞。
何を書いてもネタバレになってしまうようでなんだか感想を書く気がしない(笑)
別に誰が見てるだとか、知り合いが見てるわけでもないのだが自分のモラル的に。
だから私お得意の抽象たっぷりの感想で。
キャッチコピーは
“これは、記憶の旅の物語”である。まさにその通りである。
本作は記憶の旅をする物語あり、”Ghost”=怖いものという概念を覆し、本作においてはGhostはあくまでも記憶の旅をする、浮遊する夢=Ghostに置き換えた話だ。
※以下ネタバレあり
それにしても冒頭シーンの横移動撮影から素晴らしすぎる。ピアノを引きずるルーニー・マーラ。ケイシーとルーニーがソファで抱き合ってるところで、光がゆらゆらと浮遊してる。もうここで既にGhostの存在は存命だったに違いないし、まさに、映像でしかできない“それ”を完璧に表現している。まるでそのときは生きているケイシーの心に宿ったように。
事実、不慮の事故で亡くなったが、亡くなったからGhostとして現れたのではないという論理が成立しているのが素晴らしい。死”を迎えた人間の過去と未来など関係のない記憶と意識は一体どこへ向かうのか。
本作はそんな疑問を説く。
人の記憶と意識は、浮遊することを知らなかったのだと思う。悟ることなどなく、最後の時を過ごしたその場所で、彼ら(死者)の意識と記憶は留まる。そこから動くことはないのだ。いや、動けなかったのかもしれない。それは、記憶の外から抜け出して記憶と意識が浮遊せず持ち合わせている者(人間)が動けなくさせた、彼女のちょっとした最後のわがままだったのかもしれないと。
記憶と意識をゆらゆらと浮遊し、現世と過去をしっかりと行き来しつつ、ようやく彼女の元に戻ってくる。その時、戻ってきたGhostは…。
もうなんといっても言葉にしづらいこの心地よさ。とりあえず人生ベストに近い。