【ブログ締め】たくさんの思い出をありがとう! ~澤村応援ブログFinal~
澤村投手を応援し続けて15年、最後のブログ記事となりました。
さわむーの大きな飛躍、そしてどきどきの劇場、どきには大炎上と思い出はつきません。
最後にちょっとばかし、思い出を振り返らせてください。
思い出はかかえきれないほどありますが、3つに絞りたいと思います!
【心に残る思い出 厳選ベスト3! 】
第1位 現地で観戦1安打初完封10勝目 〈2011.10.8 対中日戦ナゴヤドーム〉
1年目の澤村投手を、はじめて現地に行って応援した試合がなんと1安打完封!
生涯忘れられない思い出です。
自宅に帰ってきても興奮が冷めないので、なかなか落ち着かなかったです。笑
たぶん、彼にとっても野球人生において、生涯わすれることのない試合だったのはないでしょうか。
この試合で、ほぼ新人王を手中に収めました。 ※このときの投球、ほぼ見られます👇
今とはスタイルも細く、顔がかわいいと思うのは、私だけでしょうか。笑
いやぁ~風貌、変わり過ぎやろ! 爆
※新人どきとメジャーどきの比較👇
◇
第2位 ロッテ移籍後即三者三振デビュー! 〈2020.9.8 対日ハム戦マリーン球場〉
巨人の3軍に追いやられた2020年、彼を救ってくれたのは、ロッテでした。
なんと登録したその日、彼が対日ハム戦で即リリーフ登板。
これまでのうっ憤をはらすかのような圧巻投球でのパリーグデビューとなりました。
このとき、彼のユニホームが間に合わぜ、体形の近かった109番のユニを借りての投球。
この番号が、ポケモン、サワムラーの登録番号109と被り、澤村はいっきに時の人となりました!
今でもこの時の動画を見て、元気をもらっています♪
◇
第3位 当ブログが【悲報】としてなんJ(2ch)で話題に。〈2016.10.9〉
楽しかった思い出というより、悲しかった思い出になりますかね。
当時、澤村は巨人のクローザーに抜擢され、2016年に37セーブをあげてセーブ王を獲得するのですが、
菅野の勝利投手の権利を消すなど、炎上することもあり、とても疲れた年でした。
当時のブログタイトル画像がこれ👇 なんかかっこいー(自画自賛、笑)
「タイトルが笑える」と失笑されることも多く、辛い年でした。
そして、ブログを休止することを書いたことが、【悲報】として、なんJに取り上げられました。
現在もまだ残っていますね。
見たい方はどうぞ(PCからのみ)→ ここをクリック
当ブログのアクセスは、この日、1日で3万アクセスありました。
SNSの力ってすごいねぇ~ 怖いねぇ~
今では、当ブログへのコメントは、ほとんどありませんが、
全盛のころは、100件越えのときもあったんですよ。すごっ!
そのときのブログがこれ → ここをクリック
参加してくださったそこの過去の人、懐かしいでしょ? 笑
◇
澤村応援ブログを書き始めて3年たったころ、初めてオフ会をしました。
さわ中オフ会(澤村中毒、澤村に夢中のオフ会)、通称ジャム会の1回目は大阪だったんですよ。
ねぇ小次郎さん。(2014.12.20)
というわけで、最後のオフ会を予定しております!
ジャムの知らない方の参加もOK? 参加資格は、さわむーのファン(だったという過去形でOK!)
ぜひ、最後の最後に澤村拓一投手について語りませんか?
◆期日‥ R8年3月28日(土) 会場:都内某所
※詳しい会場が知りたい方はメールくださいね♪
メール‥ youki402002@yahoo.co.jp 澤村オフ会Final 担当ジャム次郎まで
ほんとに最後だよ。来てね♪
15年という長い間、
澤村拓一投手、ならびにジャム次郎の応援ブログを
ごひいきに見てくださり、ありがとうございました。
私は、澤村という投手に夢中になりました。
そして彼の投球に一喜一憂してまいりました。
ワクワクしたこと、どきどきしたこと、心が折れたこと、
そのすべてが幸せな時間でした。
すべてにおいて感謝しております。
ありがとうございました。
ー 完 ー
2026(令和8年)3月7日
ブログ管理人 ジャム次郎より
★随時コメントは受け付けていますm(__)m
【衝撃】澤村の引退報道を受けて‥
最初に知ったのは、今日の「さわ中の部屋」というLINEグループの中‥
言葉を失いました‥
動揺しました‥
心にぽかんと穴が開いたような、そんなレス状態がしばらく続き、落ち着いてから、
さわむーのインスタに次のコメントを投稿しました。
「はじめは言葉を失い受け止められませんでしたが、今はお疲れ様と伝えたいです。14年間、貴方様の応援ブログを書いてきました。たくさんの思い出をありがとうございました。」
澤村の応援ブログを書き始めたのが、2011年6月ですから、正確には14年7ヶ月ということになります。
彼が昨年、ロッテを退団したとき、
どこかのチームよ!声をかけてくれー!と願っていました。
日ハムなんかいいなぁ~
巨人は、私の中ではありませんでした。
声を掛けるチームが無くても、さわむーならきっと、トライアウトを受けるにちがいない、
そんな思いでしました。
でも、今の年齢と体の状態をしっかり見つめての判断からでしょうね。
これまで本当にここまでブログを続けさせていただき、
感謝の気持ちでいいぱいです。
そしてお疲れ様でした。
少し時間が経ったら、このブログを振り返り、思い出に浸りたいと思います。
そして一緒に応援してきた仲間との思い出を綴って、このブログを閉じようと思います。
最後のオフ会(ジャム会)しましょうね。
解散式になると思いますが、盛大にできたらと思います。
本人、来てくれないかな。
また後日、お知らせします。
来年もロッテを応援します!その理由はー
ずっと応援してきた澤村が退団し、大好きだった吉井監督が辞任‥
来年は、ロッテを応援することはないなぁ~と思っていました。
でも、あの選手が入ってきたのです。
めっちゃ注目していた選手です。
その選手の名はー
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そう、
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石垣元気投手です!
高校生どきから球速150キロ越えでとても注目されていて、触れ込みは最速158キロです。
(さわむーは大学時代、最速157キロでした)
私個人としては、左足を低くすっと伸ばすところがとてもさわむーの投球フォームに似てると感じており、
彼がどの球団に入ろうと、彼を応援すると決めていました。
(後で投球フォームについてさわむーとの比較動画をお見せします。)
それがまさかまさかのロッテでした。めっちゃうれしかったです。
オリックスと競合し、抽選はどきどきでした。サブロー監督がガッツポーズしたとき、
ジャムくんもってるなって思いました。笑
いやいやサブロー監督が、もっていたわけですが。爆
彼はなんとロッテに決まったあと、希望の背番号を言っていました。
それが17番だったのです。
そりゃーいい!と、さらに思いました。
17番と言えば、今季後半、メジャーで大活躍した、ロッテ時代の佐々木朗希投手の背番号です。
石垣元気投手は、佐々木朗希投手を崇拝していて、あの球速を越えたい!とずっと思っていたそうな。
そして先日、正式に入団会見がありました。
背番号は‥
あれ? 18番に決まりました。 なんで? 17番じゃなったの?
ここで、18番になった経緯をAIに聞いてみました。
ブログ記事書くの、めっちゃ助かります。笑
【18番になった経緯紹介】
石垣投手は、指名挨拶の時点(2025年10月24日)で、憧れのドジャース・佐々木朗希投手(ロッテ時代に着用)がつけていた「17番」を希望していました。 佐々木投手は憧れであり、石垣投手の「最終目標」で、「170km/hを出し、世界で戦える投手になる」ことを公言しており、背番号もその象徴だったようです。
サブロー監督も「ふさわしい番号」と前向きに応じていました。
しかし、入団交渉(11月27日)で最終的に「18番」に決定。理由は以下の通りです:
◆佐々木投手の定着イメージ: 「17番と言ったら佐々木朗希投手が定着している」ため、単なる継承ではなく、自分らしい番号を選びたかった。
◆「一個上をいく」決意: 「自分は1個上をいって超えたい。ロッテの18番と言えば自分と言ってもらえるようになりたい」と語り、“朗希超え”の野心を込めました。 18番は伝統的なエースナンバーでもあり、「相手に絶望を与えられる投手」になる目標に合致。
◆迷いと決断: 指名後、数日間「17か18か」で悩みましたが、「いろいろ思い返したりして自分で18番をすぐに決めました」と本人の強い希望で決定。
いかがでしょう。似てると思ってくれましたか。
この動画は、ジャム作成オリジナルです(*^_^*) AIではありません。笑
すべてが似てるわけではありません。左足の動きが似てるのです。
まだまだ、さわむーの方が力強いフォームをしてますね。
ただ、元気投手は近い将来、160キロを投げると見ています。
それがまた、何とも言えない楽しみですね。
ではまた(*^^)//
R7.11.21「長嶋茂雄お別れ会」にて思うこと。。
昨日、東京ドームを会場に、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄名誉監督のお別れ会が厳粛に開かれました。
私はネット動画でしか見てませんが、それでも会場の雰囲気や、参列した方面々のお姿を拝見すると、長嶋茂雄氏のその偉大さがひしと感じられました。
参列された方々がすごい人ばかりでしたね。
V9時代のチームメイトの面々、
長嶋さんと共に歩んだ、プロ野球OBの方々、
長嶋監督に育てられた巨人のOB、そして現役の選手たち。
その中には菅野投手のようなメジャーで活躍する姿もありました。
また、全プロ野球のオーナーさんも参列し、長嶋さんの人となりの大きさを感じずにはいられませんでした。
プロ野球の人気、発展に最も寄与された人の名前として、一番に出て來る名前が長嶋茂雄氏でした。が、
私は長嶋さんの現役時代をほとんど知りません。
ちょう小学校高学年だった私は、長嶋さんの引退セレモニーはしっかり覚えていますが、私はどちらかというと王貞治さんのファンで、等身大のポスターを部屋に貼っているほどでした。
今から33年前のこの11月21日。この日にお別れ会をするというのは、本当にあの人との繋がりの大きさを感じますね。
だれかって?
長嶋さんは、監督としてドラフトで4チーム競合したその人を抽選で引き当てます。確率は4分の1でした。
そう、私が夢中になった「松井秀喜」です。
私は甲子園の5連続四球をライブで見ていて、今でもそのときの怒りに似た感情が蘇ってきます。
隣の石川県に生まれた彼、ゴジラ松井を私はずっと応援していて、彼の引退会見のときは涙が出ました。
松井さんが、「野球人生で一番心に残っていることは何か」と、記者から聞かれたとき、彼は、
「長嶋さんに毎日のように素振りのバットを振る音を聞いてもらったことですかね。」と答えました。
松井秀喜にとって、長嶋さんの存在の大きさを痛切に感じた瞬間でした。
松井さんは、このお別れ会で長嶋氏にほほえみかけるようにお別れの言葉を伝えていました。
なんとも素敵な言葉がたくさん並んでいてうるっときてしまいましたね。
現在私は巨人のファンを辞めていますが、
いつか松井秀喜が巨人の監督になったときは、全力で応援しようと思っています。
そんな日が来るのかな。
ではまた。
吉井監督ありがとう!そしてお疲れさまでした。
ちょっと遅ればせながら、吉井理人元ロッテ監督への感謝の思いを伝えさせてください。
辞任セレモニーで涙をこらえて話をする吉井監督の姿にうるうるしてしまったジャム次郎ございます。
澤村がメジャーから日本に帰ってきたとき。しっかり戦力として迎えてくれたこと、また、佐々木朗希を投手コーチ時代から、しっかりとしたスパンで育成し、それなりに大成させた吉井監督。感謝の気持ちでいっぱいです。
今季は最下位でさぞ、辛かったことでしょう。「この責任は私にあります」と強く言い、それでも「もう少し監督をやりたかった」と涙声で本音を伝える吉井監督に、うるうるしまくりでした。

私はあの気さくで優しい雰囲気を醸し出している、白髪でダンディーな面持ちがとても大好きでした。ギターを弾く姿なんか、最高でしたね。
吉井監督は、コーチ時代から、指導のモットーは、「教えないコーチング」でした。
コーチは2でいい。選手の主体性が8である。と、選手の自主性を尊重し、1on1の対話で本音を引き出すスタイルでした。
メジャーでも5年間選手として活躍し、意外と知られていないのは、2022年ドジャースの短期コーチとして渡米し、選手と監督の垣根を取り除くことの大切さを知ったそうです。また、彼はものすごい理論派で、大学院で修士号を取るほど勉強する探究心旺盛な面もありました。
総じて選手から、「居心地いい監督」と慕われたことはよく知られています。
それでも、現役時代は手に負えないやんちゃぶりが、逸話として残っており、私は、そのストレートな感情表現も、吉井理人氏の魅力だと感じています。
【現役時代のやんちゃエピソードを紹介しましょう】
ベンチ裏の鏡をぶち壊すして大暴れ!(近鉄時代1980年代後半)
試合で悔しい思いをした吉井選手後、ベンチ裏でいらいらが爆発。鏡を蹴飛ばして粉々に割ってしまいました。当時のチームメイト金村義氏が後年、「吉井は裏がない男。鏡を割るなんて、短気でまっすぐな性格の表れだよ」と笑い話に。仰木彬監督との関係もこじれ、試合後の握手すら拒否したエピソードも。この頃の吉井さんは「猪武者」タイプで、監督室の机をひっくり返したり、2軍落ちの通告に激昂したり…。
寮の食堂でコーチに殴りかける!(近鉄二軍時代、1980年代)
二軍監督の説教が延々と続くのに耐えかね、箸をバン!と叩きつけて立ち上がり、殴りかかろうとしたそうです。先輩選手たちに後ろから羽交い締めにされて止められ、事なきを得ました。当時の阿波野秀幸氏は、回顧録で、「吉井の激昂ぶりは本当にハラハラした。コーチの説教中に箸を投げつける勢いだったよ」と語られています。この事件がきっかけで、監督との関係が悪化し、トレードの遠因になったとか。リリーフ登板を嫌がって「人助けは性格じゃない」と公言したり、相手の4番に死球を当てて「もう一球投げたろか」と挑発したり…。
野村監督をびっくりさせたベンチ裏の蹴り!(ヤクルト時代、1990年代)
野村克也監督時代、ベンチ裏で悔しさのあまり物を蹴飛ばした音がデカくて、野村さんが「吉井、お前俺を殺す気か! びっくりして天井に頭ぶつけたわ!」と怒鳴った逸話。野村さんは厳しい監督だったけれど、吉井氏の情熱を「悔しさの表れ」として認めてくれてうたようです。当時の吉井氏は、ベンチで感情を隠さず出すことが多く、チームのムードメーカーでもあったようです。
◇
今の吉井元監督をみていると、とても信じられないようなエピソード(実話)ばかりですが、それほど球速が速かったわけでもない吉井氏ですが、1998年メッツ移籍後に、日本人2人目の完投勝利を挙げたのも、秘めた強い魂の投球をしていたからでしょうね。
私は、いつか、また指導者としてチームを牽引する姿を見たいと思っています。
吉井さんの信条である『聴く監督』や『最高のコーチは、教えない』は、なかなかできない指導者の姿ではないでしょうか。
最後に、ファンに感謝する姿にウルっと来てしまいます。
今後、吉井監督がどこかの監督になったらそのチームを応援するつもりです。
次のWBC監督になって侍ジャパンで指揮を取ると考えるのは早すぎますか。笑
さわむーもしっかり映っていました。
きっとロッテには言葉にできない感謝の気持ちがあると思います。
最後に、
吉井監督、本当にお疲れさまでした。そしてありがとう!
ますはゆっくりや休んでください。
さて、さわむーはいったいどこの球団へ行くのでしょうか。
まさか引退はないでしょうね。
どこかの球団に取ってくれますように(祈)
令和7年11月13日 ジャム次郎より















