根拠の無い自信 | 催眠心理療法士のつぶやき

根拠の無い自信

あるメルマガで「自惚れよう。根拠のない自信は自惚れである」という言葉がありました。


よくはわかりませんが、「私は大丈夫」とか「何とかなる」という考えが私にはあるような気がします。

「その自信はどっからくるの?」とよく言われますが、本当に根拠がありません。

「失敗をしたことがないのか?」とかも言われますが、私は人並み以上に好奇心の強い人(単なる無謀とも言いますが(笑))なので、あれやこれやにチャレンジして人並み以上に失敗していると思います。


では、「何故、大丈夫と考えることができるのか?」かといえば、ネガティブな言葉であれば「自惚れ」ポジティブな言葉で言えば、「自己信頼感」ではないかと考えております。


私はこの自己信頼感はとても重要なキーワードではないかと思います。

例えば、大きな決断を迫られ、そして最終的には皆さんは自分の意志で決めます。

そんな時に自分が一番信頼すべき人の決断であれば、後悔が無くなるのではないでしょうか?

そう一番信頼すべき人の決断とは、自分自身のことです。

信頼できる人がもし間違った決断をしていたとしても、よっぽどのことがない限り、まだまだその信頼感を失くすことはありません。

だって常日頃、その信頼関係を強くしているのですから。

人はちょっとぐらい間違ってもそんなことでは信頼感を失いません。

(注:間違いばっかりだったら失うかもしれませんが・・・。)


私は春に思いきった決断をし、失敗はありましたが私の尊敬する方からこんな言葉を頂きました。


自分の判断ですべきことを迷わず行った。

他人の評価のために生きているわけではありませんから正しい自己愛であり、これ以上の(あるいは以下の)評価はありません。

自分の本当にしたかったことを人の評価に左右されず、自分の意志で決断をするということは自分のことを信頼できているからです。
私は頂いた言葉を見たとき、自分の行動は全て自分の信頼感(自己愛といってもいいでしょう。)にそい、これ以上にないものを得ることができたと思えます。

メルマガにあった、「自惚れよう」というのはそんな意味も含まれているのではないかと私は思います。
自惚れる=自己信頼感を高めることこそ、自分の新たな世界にチャレンジをし続けている人ではないかと考えております。
何かに積極的にチャレンジしている人と話をしていたら、よく「根拠もない自信がある」ということを聴きます。

新たな世界にチャレンジと言うのは、自分の人生を少しでも良いものにする(自分の評価で)ために努力をし続けることではないでしょうか?

やらないことは簡単です。
人はできる限り楽な方向へ向かいたがり、そして変化を嫌う生き物でもあります。
そんな中での行動をさせてくれる、自惚れを今よりももう少しだけでも手にすることができれば、あなたの中でどのような変化を迎えることができますか?