その昔、「無知の知」ってソクラテスが言った言葉があったけど、あれ今「不知の自覚」って言うんだそうな。
知らないってことを知れってことですな。
「先生!世界はどうなってるんですかぁ~」
「世界はどうなっているのか!と考えるあなたはあなた自身について何を知っていますか!」
知らないってことを知れってことだけど、こんなことを毎日町中で繰り返し説いて回っていたソクラテスは殴られたりもあったそうな。
質問の質問返し!
こっちが聞いとんねん!・・・殴られるよなぁ~。
アテナイでは噂の変人でしょ。
今そんなことを言う人が新宿にいたらうっとうしいって無視されるでしょう。
世界のことも知ってるよウィキで調べているから知っているんだと。
テレビで言ってたし、新聞に書いてあるんだから、知ってるんだとググればなんだってわかるんだよ、だから知ってるんだと。
世の中はみんな知っている、私は知っているって情報であふれている。
なのにいろんな情報が錯綜しているのはなぜなのか。
どこかできっと知っているって思っていた情報が違うってことがあったからだろう。
昔書いたけど、教科書に載っていた源頼朝の肖像は違う人の可能性があるそうな。
もう僕なんか完全にあのひとが頼朝でこのままいいと思ってるけどね。
それでいい。
ほかを知って幻滅したくないからね。
真実なんかどうでもいい。
知っているっていったいなんだろう。
この世でわかっている物質って全体の5パーセントくらいなんだと。
酸素とか、鉄とか。これが5パーセント。
後はわかっていない。
なんだか別の物質があるのだそうな。
脳にしても数パーセントしか人間が意識できる部分て無いそうな。
そのほかはすべて無意識に人間は理解し、行動している。
わかっていない世界の中を僕たちはくにゃくにゃ生きているのだ。
知っていることと知っていると思っていることでこの世はあふれかえり、もめて、怒り、笑ってる。
知らないってことを知れって言うが、知ろうとすることすら本当は無意味なのかもしらんね。
好奇心でしか無い。
本当は何も本当には知らないってことを意識して、なんとなくその場の空気に流されながら、きっと、どこかで無意識に仕入れた無意識な知恵に寄りかかってきっとこれからも生きていく。
そう考えたら、なんだか肩の力が抜けた