インドのヴァラナーシー(旧称・べナレス)へ行ってきた。
 日本からデリーまで直行便で9時間余。デリーからべナレスまで飛行機で1時間余を要する。
 インドではいわゆる日本ふうのタクシーはほとんど見かけぬ。昔の日本のオート三輪が主流だ。むろんのことメーターは無いので、料金は交渉制。初めて訪れる町なので、何回か乗ってみて土地勘を培うしかない。
 さらに、べナレスでは人力で漕ぐ自転車タクシー(三輪車)もまだ幅をきかせていた。他国では、ほとんど見かけなくなったが、インドではまだまだ健在だ。自転車タクシーはスピードは出ないし、乗り心地も悪い。自転車の後でオート三輪に乗ると、これほど快適な乗り物があったのかと思うほどだ。速く、快適に移動することの有り難みに今更ながら気づかされる。
 インド12億余の国民の多くは、まだ自動車の恩恵に浴していない。これなら、自動車産業はまだまだ伸びしろがあるなと素朴に思う。
 それはさておき...。
 三島由紀夫は遺作〔豊饒の海〕の第3巻にあたる〔暁の寺〕で、
「べナレスは聖地のなかの聖地であり、ヒンズー教徒たちのエルサレムである」
 と書いている。
 三島は自決の3年前、'67年にべナレスを訪れ、その強烈な印象を記した。
「べナレスは、神聖が極まると共に汚穢も極まった町だった。日がわずかに軒端に射し込む細径には、揚物や菓子を売る店、星占い師の家、穀粉を秤売りする店などが立並び、悪臭と湿気と病気が充ちていた」
 べナレスの旧市街はイエメンの首都・サナアの旧市街(世界遺産に登録されている)を思わせる、石畳の小径が入り組んで続いていた。回廊のような、迷路のような家並み。それらは泥や塵芥、糞尿で埋め尽くされているのだ。
「すべてが浮遊していた。というのは、多くのもっとも露わな、もっとも醜い、人間の肉の実相が、その排泄物、その悪臭、その病菌、その屍毒も共々に、天日のもとにさらされ、並の現実から蒸発した湯気のように、空中に漂っていた。べナレス。それは華麗なほど醜い一枚の絨毯だった。(中略) 日に夜を継いで、喜々として天空へ掲げられている一枚の騒がしい絨毯だった」
 べナレスの街角には、野良犬ならぬ野良牛が至るところにたむろしている。路地裏や商店の前に巨体が寝そべり、あるいはゴミを漁る様子は、この地を初めて訪れる者にとってはカルチャーショックだ。
 牛に餌付けする者もいるが、多くの牛は人間の食べ残しやゴミを食べている(栄養が悪いせいか、牛乳はほとんど出ないそうな)。その牛が排泄したおびただしい量の糞尿は散乱したままだが、時に野良犬が餌にするという露わな食物連鎖が成立している。屋根や電柱を見上げると、猿が軒伝いに飛び回っている。見た目は日本猿にそっくりだ。山羊や豚も町中を徘徊している。その傍らを人間も裸足で闊歩し、幼児の中には裸で走り回るのもいた。我々の考える清潔とか汚穢とかいう彼我を超えた情景だ。
 小径を抜けた先の、ガンジスの河畔にマニカルニカー・ガートがある。ここはヒンズー教徒たちの露天の火葬場だ。
「マニルカ・ガートこそは、浄化の極点、印度風にすべて公然とあからさまな、露天の焼場なのであった。しかもべナレスに神聖で清浄とされるものに共有な、嘔吐を催おすような忌まわしさに充ちていた。そこがこの世の果てであることに疑いはなかった」
「シヴァとサティの祠の横のゆるい勾配の階段に、赤い布におおわれた屍が、ガンジスの水にひたされたのち、火葬の順番を待って、凭せかけてある。人形なりに屍を包んだその布が、赤いときは女のしるしである。白いときは男のしるしである。これを薪に載せて火を放つ際、牛酪と香料を投げ込む仕事ののこっている親族たちが、剃髪の僧と共に、天幕の下で待っている。又そこへ、今度は白布に包まれた新らしい屍が、竹の台上に担がれて、僧や親族一同の読誦唱和の声に守られて到着する。その足もとを縫って数人の子供が追いつ追われつしている。印度のどこの町にも見るように、生ける者はすべて躍動し紛糾していた」
 46年前に三島が瞠目した光景に、私はまさに辿り着いた。
「屍は次々と火に委ねられていた。縛めの縄は焼き切れ、赤や白の屍衣は焦げ失せて、突然、黒い腕がもたげられたり、屍体が寝返りを打つかのように、火中に身を反らしたりするのが眺められた。先に焼かれたものから、黒い灰墨の色があらわになった。ものの煮こぼれるような音が水面を伝わった。焼けにくいのは頭蓋であった。たえず竹竿を携えた隠亡が徘徊していて、体は灰になっても頭ばかり燻ぶる屍の、頭蓋をその竿で突き砕いた」
 全ては半世紀前に描かれたままである。
 ここにはインド全土から遺体が集まる。火葬場に詰めている係りが、火葬の様子を英語で解説してくれた。彼は言う。ここで泣く者はいません。遺族は幸せです。そして故人はニルヴァーナ(涅槃)に還っていくのです、と。
 遺体が焼き尽くされるまでに要する時間は約3時間。その間、遺族は付きっきりで火葬を見守る。
「ここには悲しみはなかった。無情と思えるものはみな喜悦だった。輪廻転生は信じられているだけではなく、田の水が稲をはぐくみ、果樹が実を結ぶのと等しい、つねに目前にくりかえされる自然の事象にすぎなかった。それは収穫や耕耘に人手が要るように、多少の手助けを要したが、人はいわば交代でこの自然の手助けをするように生れついているのだった」
 マニカルニカー・ガートで荼毘に付されるのはヒンズー教徒のみであり、しかも火葬には日本円でおよそ24000円を要するというから、比較的裕福な階層向けの施設だ。より安価なのは、南へ2kmほど行ったところにあるハリシュチャンドラ・ガートである。ここはあらゆる宗派を受け入れ、火葬でも12000円で済むという。電気式、つまり日本で我々がやる釜焼き方式だと2000円だそうな。
 マニカルニカーでは悲しみは感じられなかったが、ハリシュチャンドラでは小さな子供の遺体とともにやってきた、父親らしき若い男が声を上げて泣く姿に遭遇した。
 古くからのしきたりによって、子供は火葬されない。レースのような布地に包まれ、ボートの上からガンジスに流される。水葬である。
 雨季のことで、水量は多く、河の流れは速い。遺体はすぐに見えなくなり、父親の嗚咽も止んだ。
 一方、運ばれてきたばかりの遺体の傍らでは子供たちが川へ飛び込み、戯れ、歓声を上げている。投網をして魚を捕っている男たちもいる。先に火葬された遺体がまだ燻っている燃え残りに、野良犬どもが集まり、さかんに顔を突っ込んでいた。
 ここでは生と死とは対立するものではなく、融合していくもののように思えた。思えたというより、目に映るものが直截に訴えかけてきたというべきだろう。
 人間は誰も絶対的、一回的な人生というものを送る。しかし、それが最終的には大きな相対主義の中に溶かしこまれ、ニルヴァーナの中に入るというのが輪廻転生の思想である。
 輪廻転生は燃え続ける一つの燈明に譬えられるという。
 夕べの焔、夜ふけの焔、朝の焔。
「いずれもまったく同じ焔でもなければ、そうかと云って別の焔でもなく、同じ燈明に依存して、夜もすがら燃え続ける」
 いわば『事象の連続』である、と。
 そして、それは
「地球の自転という事実が、決して五感ではそれと知られず、科学的理性を媒介して辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てしてはじめて認識されるのではなかろうか」
 三島由紀夫はそう書き遺した。
 べナレス。想像を超え、強い実感をもって、生死の実相を考えさせる場所。まさに聖地の名に相応しい町だった。