私の人生で、

「青春」と呼べる時間があったとしたら、

それは19歳のときに入院していた

精神病院の閉鎖病棟で過ごした半年間だと思う。


閉鎖病棟に入るくらいだから、それなりの理由があって入院したのだけれど、

その話は長くなるので、ここでは書かない。


あの入院生活を思い出すとき、

不思議と浮かんでくるのは、つらかった記憶よりも楽しかった記憶ばかりだ。


今思えば、幼少期から学生時代まで、

私には思い出したいと思えるような記憶がひとつもなかった。

いつも汚れた制服を着て、内気でオドオドしていて、

よく虐められ、よく馬鹿にされていた。


でも、あの閉鎖病棟で出会ったみんなは、誰も私を馬鹿にしなかった。

ごく自然に、当たり前のように受け入れてくれた。

同世代の子が多かったこともあって、

そこはまるで、学校の寮で暮らしているかのような場所だった。


人生の中で「良い思い出」と呼べるものが何もなかった私にとって、

あの閉鎖病棟で過ごした日々だけが、

唯一の宝物で、唯一の青春だったのだと思う。


気づけば、あれからもう25年以上が経ってしまった。

あの病院は、いつのまにか立派に新しく建て直され、

もう当時の面影は、何ひとつ残っていない。


それでも私は、

あの薄茶けた壁の古い閉鎖病棟で過ごした半年間のことを、

これからもずっと忘れずにいたいと思っている。




年に数回、ふと考えることがある。

あのとき一緒に入院していた、みんな今どうしているのだろう、と。


その中でも、特によく思い出すのは、

自殺してしまった優子と千春だ。





優子は私と同い年だった。

顔がすごく整った美人で、私はいつもその顔に見惚れていた。

優子自身も自分の容姿が綺麗なことを分かっていたのか、よく自信がある発言をしていた。

私が『優子は本当に美人やなぁ、芸能人になれたよ。』と言うと、いつも嬉しそうにしてた。

よく幻聴とお喋りしていて、幻聴と喧嘩になったりもしてた。
私は自分が幻聴が聞こえたこともなければ、聞こえてる人を見るのも初めてだったから、最初はすごく戸惑った。

基本的に明るくてちょっとツンとしててオシャレさんで、お見舞いに来るお母さんにはいつもワガママを言って困らせてた。
私が退院したすぐ後に優子も退院して、定時制高校に通いだしたと聞いていた。

でも程なくして自宅マンションの屋上から飛び降りて死んでしまった。





千春は、親に虐待されて施設に保護されていた子で、その経緯や生い立ちをとにかく誰かに聞いてもらいたい子だった。

いろんな人に、虐待の経緯を書いた日記帳を読んで聞かせていた。

私にも聞かせてくれた。
私にすごく懐いてくれていたけど、他のいろんな人に懐いて付きまとっていたように思う。

そしてたびたび自殺を仄めかして自殺未遂をしていた。

『これから自殺するから』と予告しに来ることもあった。

とにかく愛に飢えていて、誰でも良いから自分を構って欲しかったんだろうと、今となっては痛いほど分かる。
私が知っている限り、千春には家族も誰もお見舞いに来たことはなかった。
そして、私が退院してしばらくして、保護室(1人部屋の個室)でパジャマで首を吊って本当に死んでしまった。






それから、さおちゃん。

病室は離れていたけど、何のきっかけだかで一番仲良くなった子。

前髪に異常なこだわりがあって、美容院では定規を使って切ってもらってると言ってた。

たまにお見舞いに来るさおちゃんのお母さんは、すごく美人でいつも綺麗なお洋服を着ていた。
寝る時以外は自分のベッドには乗らないという謎のこだわりで、私のベッドでは毎日昼間爆睡してすごく困った。

大晦日の夜ほとんどの子が実家に帰るけど、一部帰らない子もいて、私とさおちゃんも帰らなかった。

普段は夜22時になるとお薬の時間で、食堂のテレビも電気も消されて就寝なんだけど、大晦日だけは特別に夜遅くまでテレビを観させてもらった。

紅白歌合戦を観た。

でもお薬の時間はいつも通りだから、飲んだ薬が効いてきて2人でテレビの前の長椅子で寝てしまい、結局紅白は最後まで観れず、夜中に看護師さんに叩き起こされた。

さおちゃんは肩こりがひどいらしく、肩や背中を思いっきり殴ってとお願いされて、私はよく殴ってあげてた。

さおちゃんは私が入院するずっとずっと前から、子供の頃から入院していると言っていた。

私が退院した後もずっと入院してて、何度かお見舞いに行った。

その頃付き合ってた彼氏と一緒に行ったこともある。

でもさおちゃんは、飲んでる薬が強くなっていったからか、次第におかしくなっていった。

顔色が悪くなっていって、酩酊状態のようにろれつも回らなくなっていった。

話も通じなくなっていった。

そして、私はお見舞いに行かなくなった。






左隣のベッドのメグ。

身長が170センチくらいあってスタイル良くて、顔はジェーン・バーキンの若い頃に似てて、本当にモデルさんみたいな子だった。

毎朝起きたら必ず化粧水とかでお肌のお手入れして、ちゃんとメイクしてオシャレな服に着替えて、厚底サンダルで病院の運動場をウォーキングしていた。

私が退院してからしばらくしてメグも退院したと聞いたけど、その後何度も入退院を繰り返していた。

そしてその後、人づてにメグがマンションの屋上から飛び降りたかもしれない、と聞いた。

結局死んだのか生きてるのか今も分からない。






それから、優。

ガリガリでちっちゃくてショートカットのボーイッシュな子。

2人で一緒に外出許可をもらって、優のお母さんの車で優の家に遊びに行ったことがあった。

お父さんもいて、みんなで夕食を食べた。
そうそうその前に、千林商店街の安くて可愛いお洋服屋さんと美味しいクレープ屋さんを教えてもらったんだった。

優からは退院してから私の実家に電話を何度かもらっていたけど、私はもう実家に住んでなかったから直接喋ることはないまま、それきりになってしまった。




子供を産むためにこの病院に入院したんだと言っていたテラシマ。

女の子なんだけど、普段自分のことを『僕』と呼び、男のような喋り方だったけど、日によって性別が変わってるようだった。

見た目はボサボサ髪が目にかかってて顔が隠れていたからか、どんな顔だったかハッキリとは思い出せないけど、
体型は丸っこくて小さくて、男のように振る舞う雰囲気がパタリロを連想させた。

一度だけ、私のベッドで夜一緒に寝た時はいつもと違う子供のような喋り方になり甘えてきた。

そんな一面もあったのかと驚いたことを覚えてる。

翌朝おねしょをしていて、シーツやら何やら取り替えるのが大変だった。






それから、女王。

どうしてそう呼ばれていたのかは分からないままだったけど、黒髪ストレートロングのセンター分けでエキゾチックな顔だちと人に媚びない性格だったから、その呼び名は彼女にピッタリだった。

その頃、私は醜形恐怖症真っ只中で『退院したら整形する』という話をことあるごとにしていた。

そんな私に、あるとき女王は『するならここがいいよ』と東京の有名な美容外科をお薦めしてくれた。

女王は整った顔をしていたけど、その美容外科で整形したのかとは最後まで聞けなかった。




レオナルドディカプリオが好きで、ご両親とヤ◯ザ風の彼氏がしょっちゅうお見舞いに来てたけど、ある日病棟のトイレで自殺してしまった美香ちゃん。




頭を壁に打ちつけるからヘッドギアを付けられて、リストカットするたびに血まみれの腕をいろんな人に見せてまわってたみっちゃん。


病棟の公衆電話から何度も警察に『おとうちゃん?』と電話して、しまいに警察から激怒されていた和子ちゃん。



工藤静香の写真と鏡に映った自分の顔を交互にずっと見ていて、たまに私のロッカーのお菓子を盗んだ向かいのベッドのお姉さん。



食堂のやかんのお茶をたびたび飲み過ぎて食堂の床に吐き散らかしていたあの子。




入院しているのに、いつも綺麗な女の子らしいお洋服を着てたオシャレなあの子。




鏡を常に持っていて、いつも自分の顔を確認していて、誰かに会うたびに自分の顔を指さして『ふちゅー(普通)?』と聞いて来てたあの子。


髪が長かった私のことを『セーラームーンや』と言ってた男子病棟のあの子。


何のきっかけだかで男子病棟VS女子病棟で喧嘩になって、スリッパの投げ合いをして看護師さんに怒られたこともあったっけ。



いろんな子がいて、いろんなことがあったあの半年間。



退院するとき連絡先を交換した子も何人かいたけど、私は携帯番号をコロコロ変える癖があったし、連絡先を書いてもらった手帳もなくして、結局もう誰とも繋がっていない。





みんなどうしているんだろう?





生きているのかな?
それとも死んだのかな?





さおちゃんは、どうしただろう?

退院したの?

まだ入院してるの?

もう生きていないの?

もし生きていても、もう私のことなんて忘れてしまったかな…




夕食が終わった後、食堂の小さなテレビを、さおちゃんや皆んなと笑って観ていたあの夜をいつまでも覚えてる。
みんなで座ったテレビの前のあの茶色い長椅子を覚えてる。
プッチモニ歌ったね。
バラバラ殺人のドラマも観たかったのに、薬と消灯の時間だからいつもテレビ消されてしまったね。

優子も千春も生きていて、みんなが笑ってたあの夜に、戻りたい。







※画像はある日の我が愛猫ねこクッキー