家は借りて住め、本は買って読め
会社業績の悪化は、ささやかな家庭の幸せを翻弄しようとしていた。
なぜ、会社の業績が悪化したのか。それは、後ほど述べることにして、
35歳で1回目の転職を決意するまでの3年間は、本当につらい時期であった。
「家は借りて住め、本は買って読め」これは沖縄の言葉である。
仕事上深く沖縄に関わったことで、私自身の主義としても、
家は買わないことにしていた。
堆く積まれた本に囲まれ親子4人暮らすことが幸せだった。
そして、土曜日、日曜日は妻の母、通称ババも加わった。
その頃家の中では、妻はオカン、長男はサクサク、次男はシンシン、
私はオトンと呼び合うようになり、妻の母を丁寧に呼ぶ時は、ババにオを付け、
オババと呼んでいた。
オババは、実際にはお婆さんではなく、私と妻が結婚した時はまだ40代で、
浅丘ルリ子似の美人であった。
私の父、親戚の叔父連中は今でもファンである。
私の父の言葉である「妻は、母を見て選べ」に合格のオババであった。
だた、オババは、妻が小学生の時、訳あって夫を追い出した実績があり、
非常に強い男不振で、気も強い。夫を追い出した理由は、今も私は知らない。
ついでに、妻と子どもを紹介すると、
妻は、オババ同様非常に気が強く、「私は、体は小さいが態度はデカイ」と
自分で言っている。顔は、オババ似ではなく、父似で、20代の頃は、
名取裕子に似たべっぴんさんだった。周りから慕われるタイプではあるが、
態度のデカさが災いし敵も多くいる。
長男のサクサクと次男のシンシンの性格は、当時は自我が発達していないので
ここでは述べないが、体の発達は次男が優勢で、中川家兄弟の様である。
後に、2人揃って地域の少年野球チームに入ることになる。
家族5人、普通なら狭い借家でも幸せに暮らせるだろう。
しかし、夫の会社が見通しのつかない業績が悪化に見舞われ、
年々年収が50万円づつ下がったとしたら、家の中がどのようなことになる
なるのだろうか。
それもオババと妻のいるこの狭い家の中で。