またまた京都旅情2019Vol.2の途中ですが。
我が息子が先月トライした、とある検定試験に合格しました。
この検定は我が息子がもっとも苦手とする科目。試験会場から出てきたときの第一声が「やらかした…。ヲワタ…(凹)」でしたし、親の我々としても今回は結果よりも“場慣れ”だと思っていたので、この結果は正直なところ本人も親の我々も予想外。
実際に獲得した点数も合格基準点を僅かに2点上回るという、まさに薄氷を踏むようなものではあったのですが(苦笑)、そうは言っても試験直前には自らの意志で検定対策の教室に行っていましたし、前日の晩もなんだかんだで練習していたらしく、ギリギリのところでそういう積み重ねが効果を出したのだろう…と(願望含む)。
何はともあれ、来年度の本番(大学受験)に向けて、1つの結果が出せたことは素直に喜んでいいと思うので、本人にもそのように伝えました。
さて。受験生はそんな感じでレベルはともかく、不安を抱きつつもそれ相応の努力をしていますし、その親もそんな子を応援しているのですが…。
偉そうに「身の丈」なんて本音をお吐きになったリーダーとか(もっともその本音のおかげで問題が浮き彫りになったのですが…)、教育現場や大学から幾多の疑義がでているにもかかわらず「学生の思考力・判断力・表現力を重視する試験制度」なるものの導入を進めている偉い方々は受験生やその親の不安なんて、まったく気にしないんでしょうね。
そもそも誰のための、そして何のための試験制度なのか?を今一度考えてほしいのですが(もちろん、国の未来を真摯に考えて制度構築に携わっている方々もいると信じているのですが)、でも、こういう体制に都合の悪い意見なんてものは「即、シュレッダー行き」なんだろうなぁ…。
失礼。シュレッダーが得意なのは、某省じゃなくて某府でしたね。
「合格やったぜ!」話だけで終わろうと思ったのに、辛辣なエンディングになっちまった…。
ま、いいか。