去年6月1日の日記を再記述する


昨夜国立にある駅南口から2分の喫茶店

『邪宗門』に久々に行って来た。


国立は今を去ること32年前

駅から歩いて10分ほどの音楽長屋

通称『ブドウ園』に僕が目黒から最初に移り住んで

7年ほどお世話になった街である。


そして『邪宗門』はもうその頃

既に古き年輪をたたえた

コーヒーの旨い店として

知る人ぞ知る喫茶店であった・・・・


既に74才になられたママさんは

確かにやや年を取られたが

その目の奥に宿している光は

未だ叡智をたたえており

優しい笑顔が素敵なままであった。


思えばここは、我が妻・由美子さんが

大学時代の アルバイト先として

お世話になった場所であり

ママさんとの出会いを通じて精神的支柱を得た

場所でもあった様に思う・・・・


店内至る所に飾られているランプや火縄銃は

『既に店を始めて50年』という答えの重みを

その黒光りした光沢の中に宿しており

都内喫茶店の老舗的存在である事を物語っていた。


この店をご自身で造られたマスターも健在で

すでに84才になられたという・・・


古いアルテックのスピーカーから流れる

シャンソンと流暢なフランス語は

手作りのレンガ壁に溶け込んで

ふっと時が止まっていた・・・・


細かい氷の一杯入ったガラスのカップに

挽きたてのコーヒーを注いでもらい

掛かっている粒砂糖と混ぜ合わせながら

薫り高いアイスコーヒーを楽しんだ


ついさっきまで暖簾(のれん)分けした

下田の邪宗門のマスターも

来ておられたという事であった。


下田のジャジャも由美子さんが頑張って

早や8年が経過した事をママさんに伝え

彼女の顔写真を携帯に収めて店を後にした・・・・


末永く元気でお店に出ておられる事を祈ります!!


と書いてから早や1年と4ヶ月が経ち、

昨日久々に邪宗門に行った所

ほぼ1月前にママさんが

心筋梗塞で亡くなられていた事を

マスター(85歳)から告げられた。

2ヶ月前は元気だったのに・・・・


彼女は享年75歳。

前日も変わりなく働いた彼女は

お店がお休みの木曜日

ベットで眠ったままの大往生だったようだ。


この場を借りて

『心よりご冥福をお祈りいたします』そして

『由美子共々国立でのあなたとの出会いに深く感謝します』


     合掌       しょうた&由美子


 ミクシイの日記からの転記です

 (超久々で~~す!!)



先日、我が音楽繋がりの友人達が下田を訪れてくれて

皆さんと初めて会う事が出来ました。


それはミクシイの外、アメーバブログで知り合った仲間達なんですが

僕がそのブログを放置して既に1年半が経ち、時々コメントだけでお邪

魔していたfalso(40代)さんとjazzshoko(20代)さんです。


falsoさんは4ビートJazz中心に独特の論説を展開されており

また広くFusion、、プログレ含めたRockさらにSoulと

音楽全般に驚くほど長けた方です。


またJazzshokoさんもロックを中心に

主にライブ演奏でそのミュージシャンを体感しながら

食べて行くタイプの方で、70~80年代に沸き起こってきた

Rockやフォークなど様々なタイプの音楽に

深く憧憬を持っておられます。


まあ細かい事はともかく、皆で下田の街を散策しました。

夕食は土佐屋でおりちゃんの料理に舌鼓を打ち

翌日、渡辺君の茶気茶気でお昼を食べ南豆製氷でミドリちゃんに聞き

チェシャーキャットで音を出して庄田さんと遊んだという事です。


僕にとってはこのような純粋に音楽繋がりで直接時を共に出来た方々は

彼らが初めてであり、ほとんどは言葉が省けた時間帯でした・・・


実際には『会えたら一杯話そう!』と思っていた事柄も

『共に聞こう!』と思っていた音楽も

何もかもが吹っ飛んでしまった・・というのが感想ですが

何にも増して人の存在感には代えられません・・!


文章から予測されたイメージが

実際の人としての存在と語り合いながら

溶け合っていく瞬間はなかなか魅力的なものでした。


僕にとって『人は音楽のどこに感じ何に惹かれていくのか?』

という所が語り尽くす事の出来ない永遠のテーマですが・・・・


でもそれぞれの人がそれぞれの文章の中で

何が素敵かどこに感じたのかを表現しようとする

その『元』には紛れもなくミュージシャンの語りかけんとする

『思い』があり、そこには『生命力』があるという事です。


『音楽に感じる事』に喜びを見出せる感性を持った人達は

今の僕にとっては最も身近な存在である

という事実を再認識したひと時だったと思います。


彼等と改めて下田の街を歩き直すと

 また違った意味で違った角度から

  下田を再発見したひと時でもありました・・・・・

                  
                      しょうた

昨夜国立にある駅南口から2分の喫茶店

『邪宗門』に久々に行って来た。


国立は今を去ること32年前

駅から歩いて10分ほどの音楽長屋

通称『ブドウ園』に僕が目黒から最初に移り住んで

7年ほどお世話になった街である。


そして『邪宗門』はもうその頃


既に古き年輪をたたえた

コーヒーの旨い店として


知る人ぞ知る喫茶店であった・・・・


既に74才になられたママさんは


確かにやや年を取られたが

その目の奥に宿している光は


未だ叡智をたたえており

優しい笑顔が素敵なままであった。


思えばここは、我が妻・由美子さんが


大学時代の アルバイト先として


お世話になった場所であり

ママさんとの出会いを通じて精神的支柱を得た

場所でもあった様に思う・・・・


店内至る所に飾られているランプや火縄銃は

『既に店を始めて50年』という答えの重みを

その黒光りした光沢の中に宿しており

都内喫茶店の老舗的存在である事を物語っていた。


この店をご自身で造られたマスターも健在で

すでに84才になられたという・・・


古いアルテックのスピーカーから流れる

シャンソンと流暢なフランス語は

手作りのレンガ壁に溶け込んで

ふっと時が止まっていた・・・・


細かい氷の一杯入ったガラスのカップに

挽きたてのコーヒーを注いでもらい

掛かっている粒砂糖と混ぜ合わせながら

薫り高いアイスコーヒーを楽しんだ


ついさっきまで暖簾(のれん)分けした

下田の邪宗門のマスターも

来ておられたという事であった。


下田のジャジャも由美子さんが頑張って

早や7年が経過した事をママさんに伝え

彼女の顔写真を携帯に収めて店を後にした・・・・


末永く元気でお店に出ておられる事を祈ります!!

【01】 あなたが名曲だと思う歌・曲は? 
     その理由も述べてください。


『Whats going on』。出だしからマービン ゲイのこの曲は、ほとんどの人が分かるし知っている。この曲が作られた当時から今に至るまで、人類が全く同じレベルで悲しい行為をし続けている事を認識させてくれる。

そしてそこから抜け出そう!と気づかせてくれている。


【02】 あなたが好きな、ミュージシャン・作曲家などは誰ですか?


ジョニ ミッチェル 70年代~80年代でのアース ウィンド&ファイアー

キャロル キング




【03】 あなたが好きな音楽のジャンルは何ですか?


Jazz Soul Fusion House Regae Rock J-pop




【04】 カラオケは好きですか?
    また歌うのには、自信がありますか?


歌、下手なのであまり行きません。




【05】 音楽の中で、好きなタイトル・歌詞があれば挙げて下さい。

Earth wind & fire のアルバム太陽神の『Be ever wonderful』 永遠に素晴らしくあれ!!
モーリス ホワイトの声が胸に刺さってくる・・・!



【06】 好きな音楽を聴いていると、
     あなたはどんな気持ちになりますか?

この胸のときめきを誰かに伝えたい・・・!




【07】 音楽を聴きたくない時ってありますか?
それはどんな時ですか?


仕事とか何かに感覚的に集中している時。




【08】 (これからリリースされるなど)
     音楽についての情報源は何ですか?


DJ&インターネット&ラジオ




【09】 あなたが音楽を好きになったきっかけは何ですか?


中学のとき夕方のラジオのFEN放送でアメリカのポピュラーソングが流れて来て以来・・・




【10】 音楽によって自分自身が助けられたことってありますか?


仕事の失敗事(雑事)を頭から洗い流してくれる・・・・・




【11】 音楽は自分にとってどのような存在ですか?


生命力を呼び覚ましてくれる・・・生きてる事がうれしくなる!!





【12】 学校などの音楽の授業は好きでしたか?


面白くなかった!でもブラスバンドに入ってラッパを吹いた。




【13】 なにか楽器を弾けますか?


トランペット⇒簡単なフレーズなら・・少々

パーカッション少々



【15】 バトンを音楽が好きな方にまわしてください。


私で打ち止めで~す!

先日、生まれて初めてパスポートなる物を取って


仕事で韓国に行って来た。



4万円程でアシアナ航空という韓国の航空会社の往復チケットを予約


国内線の主ターミナルから遠く離れた国際線といっても


思いっきりローカルな発着ゲートからの出発は


仕事柄『水性系コーティング材』を1.5kgほど『無断持ち込み』という


おまけ付きでドキドキ物の通関チェックから始まった。



よしんば、ばれても『物を押収されるだけ』という話は聞いていたものの


なにぶん全てが初めての僕にとって、『何か持っています』と顔に出さないだけでも


そうとうの鍛錬が必要・・・・・・と思いつつ・・・・そこは何とかクリアー


機内食で焼肉・キムチなどを楽しみながらの2時間余りの旅となった。



ほぼ夜10時に金浦空港着で藤田社長(韓国生まれ・日本育ち)の出迎えを受け


また比較的楽に通関チェックを済ませ


バスでソウル郊外の彼の事務所のある南河という街へ・・・



予約しておいてくれたビジネスホテルへ入ったのだが


ネオン街の真ん中にあるそのビジネスインは見たところ


周りの連れ込みホテルと何ら変わりなく


入り口などは良くあるビラビラの様な目隠しが垂れ下がっていて


特に男二人でビラビラをくぐって行く時など


一瞬何やら違う世界へ踏み込んでしまった様な面持ちであった。



更に部屋に入って尚ビックリ・・!!


広々したダブルベットの真正面に45インチほどの液晶テレビがドカンと位置しており


リモコン1つで照明・ケーブルテレビ・ビデオ・音響が変えられるのは


まさしく高級ラブホテル並みの、バス付きデラックスルームであった。



一連のタオル・部屋着のほか洗面台に


日本の『ギャツビー』というブランドのヘヤートニック・整髪用品類一式


ボディシャンプーなどのシャンプー&リンス類一式


別の袋の中には歯磨き・歯ブラシ・髭剃り・各種クリーム類のほか


何と!ご丁寧にゴム製品まで仕込まれているではないか!


このホテルが多目的ホテルである事は一目瞭然であった・・・・!!



翌日、泊まったホテルの道を挟んでほぼ正面にある30階建てのビルの


17階18号室に8時半頃訪ねていくと、広々したオフィスの奥の社長室で


藤田氏が既に書類と格闘しており、社員の全さん、金さんが紹介された後


本日の打ち合わせに入った。



実は僕が渡韓した主たる目的は


同日行われるシンポジウムにおける講師役としてであり


そこで発表される内容とは『アクアフィトンB』という名称の


新しい機能を持った無機系透明・超薄膜コーティング材の


お披露目の任務遂行の為であった。



パンフレットに沿って僕が薬剤の能書きを読み上げ


彼がそれを韓国語に訳していくという作業をマイクを持って


ワンフレーズずつ掛け合い形式で進めていく



実際リハーサル抜きで臨んだ当日のシンポジウムは


1000人収容ホールの中に100人ほどの聴衆という寂しい状況は別として


事のほか円滑に発表が進み、質疑応答並びに


職人もどきに着替えての機械による噴霧の実技講習まで付け加えて


順調なお披露目の場面と相なった。



残った時間はシンポジウムの場所がソウル市内であった事から


藤田氏が市内を観光案内してくれる事となった。


韓国の歴史にはトンと疎い僕であるが


会場から歩いて数分の所に南大門という有名な門があり


その近くにある南大門市場という場所に案内された。



路地一杯に広がった露店・商店はさながら上野アメ横を連想させ


韓国の日常的着物類から乾物類、小物袋物屋、各種食べ物屋


などが軒を連ねている・・・・僕にお土産を買ってくれるという事で


乾物屋に入った藤田氏は店主としばらく押し問答。


韓国ノリ(5帖入り)を持って出てきて僕にプレゼントしてくれた。



ところが次の乾物屋の前を歩いている時ふと同じ商品の値札を目にした彼は


やおら僕にくれたノリをひったくって、さっき買った店に取って返し


200ウォンを持って戻って来た・・・・『他の店より高く売るとはけしからん!』


という事なのであるが、なかなかの根性!これぞ韓国流商法なのであろうか?



更に彼は歩いていくうちに路上をいざっていた両足の無い物乞いの老人の


籠の中にその200ウォンを投げ込んで『これでバランスが取れた!』と一言・・・



藤田氏と僕は露店の甘い揚げボール(もち系)のような物から始まって


隣の韓国おでん(魚系?)その隣の潰したまんじゅう(練粉系?)


・・・と軒並み立ち食いのはしごをしていった。


最後に大衆料理屋らしき所に入って僕は韓国そば(韓国版ざるそば)


彼はラーメン(韓国人向け辛いラーメン)でとどめを差した。



更にそこから数分・明洞という街に歩いて行きウィンドウショッピングを楽しんだ。



ここは本当に不思議な場所で歩いていく路地ごとに場面が一変していく


ある通りは渋谷の繁華街を思わせ、またある通りは横浜の空間を連想させる


また次の通りは原宿の路地・・・・といった調子で道を曲がる都度に


その町並みの様相・空間バランスが微妙に変化して僕の目を楽しませてくれた。



再び南河の事務所に戻って翌日のアポイントの打ち合わせを延々とした後


夜9時頃のお開きとなったが、藤田氏と社員の金さんが食事の後


コンサートに行かないか?・・・という事で同行する事となった。



地下鉄で何駅か行った所で降りた僕達は、またかなりの距離を歩いて


とある建物へ・・・・と思って見上げるとそれは十字架の立った教会であった。



彼等は知り合いの顔を見つけては挨拶と僕の紹介を繰り返しながら


次第に地下のホールへと降りていった。そこはひな壇となった2000人ほどが


収容できるなかなか立派な音響設備を整えたホールで


早々にマイクを持った中年の男性(牧師?)が音頭を取って


賛美歌の合唱が始まった。更に舞台に設けられているひな壇にも


合唱隊が150人ほど上がって大合唱となり、あちこちにセットされたカメラが


正面の大スクリーンに様々なアングルで歌っている人々を映し出す。


時々その中よりソロシンガーが出てきて素晴らしい歌声を響かせていた。



後で聞いた話では韓国においてキリスト教徒の占める割合は


かなりの物(人口の7~8割??)でこの教会もプロテスタント系教会という事であった。


そういえば藤田氏の会社の事務所内でもバックグラウンドミュージックとして


賛美歌が流れており事務の女の子がその歌を口ずさんでいた。


更に翌日も教会へのお誘いを受けたがポピュラーソングのない


賛美歌だけでは私には合わない・・・と辞退申し上げた。



ところで韓国のビルに入って気が付いた事であるが


エレベーターを呼ぶに際して、たくさんあるエレベーターのボタンを押すと


全部のボタンに明かりが付くのが日本で、押した所だけ付くのが韓国である。


更に電子制御で早くその階に到達しそうなエレベーターが


自動的に選ばれるのが日本ならば、自分で近い所に居るエレベーターを選んで


そのボタンを押すのが韓国である。


そして遅そうなエレベーターのボタンはもう一度押すと何と消えるのである。



はたまた移動に際して韓国の地下鉄を使った時の話。


大体韓国の地下鉄は広軌である。(レールとレールの間が広い)


従って日本の電車より一幅広い車両空間の中


先だって起こった地下鉄の大火災を境にして地下鉄・車両内の燃える物を


全て撤去した・・・という状況下で社内垂れ幕も少なく


また座席のクッション材が全て取り除かれステンレス(金属)の


土台がキラキラとむき出しになっていてやや無味乾燥


すっきりと広い大きな箱の様相を呈している。



さて人が丁度席を埋めた状態である一角に座っていると


やおら車内に音楽が流れ出しラジカセを持った男が正面に現れ


CDを手に取って何かしゃべり出した・・・と思ったら


そこに座っている人々のひざの上にいきなりCDを配り出した。


一通り配り終わるとボリュウムを上げ何かしゃべると今度はCDを回収しだした。


すると中にCDを返さずに3000ウォン(大体8分の1で円に匹敵)とか


紙幣を差し出している人がいる・・・つまり納得したら買えという事らしい。



藤田氏によるとこれはオフィスを持たないビジネスだそうで


税金も掛からず最高の省エネ・ビジネスになるという事である。


市内を循環している地下鉄を舞台にある場所を起点に


一日何度も行ったり来たりしている。



と、そこにスカーフを持ってきて同様に配る身障者の青年


風船を配るお年寄り、新発明の鍵を売る男・・・・などなど


まさにバラエティーに富んだ移動販売所の様相を呈してきた。



あっという間に来て一瞬にして去っていく。


やはり両足の無い老人がど真ん中の床をいざって来た


その賽銭回収に掛けたバイタリティーには感服するものがある。


僕もポケットに持っていた小銭の500ウォンを思わず籠に放り込んでしまった。



更に社内を見渡すと、ほとんどチラシ看板の少ない中でも宣伝用の


チラシを差し込む金属枠に何やら小さな紙切れがたくさん差し込んである。


良く見るとそれらは個人営業の会社の名詞類であり


それらを手にとって見る人もいる為、あちこちの宣伝枠に


差して周るアルバイトすらいるとの事・・・・



電車かfら出てきて朝の改札でふと気が付く事は


ラッシュに際して改札前に人が一杯溜まっている事。


改札は既に日本と同じように自動であるにも関わらず


何故かと良く見ると人の流れをロックしているのが


日本のように自在に開く開閉扉ではなく、3本の棒の付いた


回転扉なのである。これが押すとめっぽう重く硬い棒で


一人ずつなかなか通り抜けにくい故の現象であった。



それとさすがに携帯電話普及率ナンバーワンの国だけあって


電車の中だろうがバスだろうが携帯が鳴るとおばあちゃんでもおっさんでも


すぐ携帯に出て気を使わずにしゃべりまくる。


しかし優先席はさすがに年寄り優先にして若者は座っていなかった。



地上に出てまず目に付く事は、その圧倒的な道路幅である。


片側4車線・両方で8車線の幹線道路は右側通行で


最も右の車線が右折車線となり進行方向が赤信号でも


注意しながらの右折が可能である。


びゅんびゅん走って来る左からの車群を横目に見ながら

平気で車の鼻先を突っ込んでいく・・・・



更に車に乗っていて感じる事は韓国人の運転の短気さである。


ほとんどにおいてウィンカーを付けずに車線変更。しかも直前における


いきなりの変更はお手の物・・・4車線ある内の行きたい車線に対し


かなりの速度でウィンカーなしで車線変更を繰り返す。


まあ日本なら喧嘩になる様な短気な運転をお互いにする訳であるから


自分がされても腹が立たない・・・・という事になるらしい?!


但しクラクションはしょっちゅう鳴らすが(待たない!!)



右側通行の4車線の最も左車線で左折する時などは


ものすごい違反をしでかしている様な妙な錯覚に陥りそうになる・・


免許があってもいたずらに運転したくないのが韓国の道路である。



横断歩道を渡る際に感じる事。


青の歩行者用点滅信号の点滅し始めるタイミングがい異様に早い。


歩行者用の信号が青になって渡り始めた途端に点滅が始まる。


とてもせわしなく落ち着いて渡らせてくれないFeeling


これは韓国人の気質を端的に表している


象徴的な場面である様に思われる。



それと広い車道に比例して歩道も広い。


2車線に近い広さがあり皆さん結構平気で歩道にも車を止めるし


裏通り(3車線位はある)なども比較的広い為、かなり大胆なアングルで車を止める。


短い滞在期間とはいえ、パトカーが取り締まる姿など全く目に入らなかった。



『言葉の問題』・・・これは『一朝にしてならず』とはいえ


足掛け滞在4日間の中、藤田社長に通訳を仰ぎながらも


数語を手帳に控えては繰り返すに留まった。


アニョハセヨー・・・・・・・・・・・・はじめまして、おはよう、こんにちは、こんばんわ、さようなら

チャイモオスミダ・・・・・・・・・・ごちそうさまでした

アジュマンイソスミダ・・・・・・・おいしいです

チャイチュムセヨ・・・・・・・・・・おやすみなさい


随所に昔の日本を思い出させる国


合理的に見えてどこか非合理な不思議な国・韓国・・・・・・・・!?



直前で金さんに教わった



モロガジロシンセイチャスミダ・・・・・色々ご親切ありがとうございました!



と皆さんに言いつつ韓国を後にしたのでありました・・・・・・・



先代のマスター福沢氏の後を継ぎ


頑張っていたJazz-portのベルーガさんから


『5月28日で閉店!』という突然のお達しが発せられました・・・・



下田の最も古きが偲ばれる風物詩たる


下田3大Jazz喫茶の一つJazz-portがなくなるなんて


僕の生きてる内には考えてもみなかった事であります・・・・


う~ん一体ベルーガさんに何があったのか?


結婚でもするのか?はたまた下田を捨てざるを得ない事が


きっと何か起こったのか・・!!?



それはそれはとても悲しいニュースであります!!


もっともマスター亡き後、むしろ通っていたマスターファンの一女性


というだけの理由の割には2年間も良く頑張ったと言うべきなのかも知れませんが?!



とは言え下田において国道からちょっと入った資料館裏の


そこにJa-poが待っているのが当たり前の光景


となっていたばかりに、このショックはかなり尾を引きそうです・・・



さてもあれらの素敵なオーディオ装置達は一体どこに行ってしまうんだろう??



返す返すも下田として失う物は大きい気がします・・・残念・・!!!


とは言えベルーガさん長い間、お疲れさんでした・・!!

伊豆下田にあるもう一軒の個性的なJazz喫茶


それは『Jazz port』=通称ジャポである。



30年以上に渡ってやってきたマスターの福沢さんが


一昨年癌で亡くなられて早や2年が経過したが


ジャポに学生時代から通い詰めていたマスターファンの素敵な女性


ベルーガさんに店はそのまま引き継がれて今に至った・・



そう!・・彼女は『ジャポに通い詰めていた』といっても


いわゆるジャズファンという事ではなくマスターの


個人的ファンであった訳でジャズに対しては


全く憧憬が無きに等しい故、今もってジャズのリクエストや


マニアックなお客さんへの返答には非常に苦労しておられる。


彼女の言葉を借りれば


『日本一Jazzを知らないJazz喫茶のオーナーが私』


・・・・・という事になるらしい・・・・・・・・・・



とは言えそこで音を奏でている『音出し装置』は


亡き福沢氏の兄さん(オーディオエンジニア)の作品であり


基本的にはアルテックホーンのシステムに近い


Jazz用ホーン・スピーカーシステムが


きちっとセッティングされており


ボーカル物やラッパの音など


驚くほどリアルに鳴ってくれる優れものである。



そして店内は今まで訪れた人々の使用した


トランペットやシンバルなどの楽器類から


意味不明の金属片、はたまた使い古された


定期券や名詞類に至るまで


あらゆる雑品が人々の匂いと痕跡を宿しながら


ぶら下がったり至る所に貼り付けられたりしている。



そのせいか床に貼ってある絨毯の影響も手伝って


音は極めてデッド(しっかり吸音性の取れている)で


聞きやすい広がり感を持っている。



従ってそこに座って、ピアノトリオの音に耳を傾けながら


昔の『Jazz評論誌』を読み


味噌ラーメンなどをすすっていると


そのノッタ~リとした時間の流れに


つい時を忘れてしまいそうになる。



そしてもう一つの顔は


今は亡きマスター福沢氏のバイクに賭ける


『熱き思い』がベルーガさんをして


ライダーにならしめるきっかけとなった


バイクライダー達の『止まり木』としての


ジャポである・・・・



実際ジャポのホームページには


ここ数年以上に渡ってジャポを訪れたライダー達の


愛車が丁寧に写真で紹介されており


それをネットと人伝てに聞いたライダー達が


更に遠場からやって来るという現象を生んでいる・・・・



そしてジャポの最大のチャームポイントは


その店内がコーヒーの匂いで満ちるよりは


ラーメンの匂いで満たされる・・といった


若者達のお腹を満たす場所でこそある


『定食屋』=ジャポとしての顔である。



実際カウンター内の超狭い空間の中で


鍋を振るベルーガさんは神業に匹敵し


まさに尊敬に値する存在なのであ~る



最近加わった恐ろしく毛並みの良い住民


2毛猫の『モミジさん』=やや太り気味


が鋭く出入りする表扉を押して


どなたが顔お出すかが楽しみな空間



トランスを爆音で掛けたい気持ちをぐっとこらえて

カウンター越しに微笑んでいるベルーガさんのいる


それが下田郷土資料館裏の


Jazz portなのであります・・・・・!!!



ジャポホームページアドレスです


http://www2.wbs.ne.jp/~jazzport/






下田の駅前から歩いて数分と掛からない


中心街のマイマイ通りをやや南に下った所にある


赤い扉のJazz喫茶『チェシャーキャット』



店の前に綿菓子の機械など置いてあり


赤いラーメンと書かれたちょうちんもぶら下がっていて


『一体ここは何屋なの?』といった面持ちである・・・・・


中を見通すと左にカウンターらしき物が見え、右手奥には


ドラムやベースなど何やら楽器らしき物もごたごた置かれている。



人によっては入り口の真っ赤な扉が何やら過激に見えるらしく


『恐ろしくてとても中に入って行けない・・・』などと言う人も居る。


更にカウンターの中を良く見ると、年齢不詳でモヒカン狩り、ボディービル体型の


マッチョな髭をはやしたおっさんが居る・・となっちゃ入るのに更に勇気がいる


という事になるらしい・・・・



しかし一端店に入って古ぼけたダイアトーンか何かのスピーカーの奏でる


マイルスのトランペットの音などを聞いている内に


全く格好を付けない素のままのマスターのセンスが


ジワリジワリと伝わって来て、その時間の止まり具合のアナログ感に


思わずホッとする人もきっといるはずである・・・・



マイルスとドンチェリーを師と仰ぐ


マスターの『庄田次郎』さんは50代後半の知る人ぞ知る


Free Jazz系のトランペッターで生粋の下田育ち。


『ニュージャズシンジケート』(自由参加)というFree Jazzの推進母体を立ち上げて


早や30年近くが経たんとしている・・・


年に数回に渡るシンジケートのイベント企画と平行して、月1回開いている


新宿アルタ前でのゲリラ的イベントも10年以上に渡って継続されている。



『ライブパーフォーマンス』こそ命の彼は


店に入って来る客のテンションによっては


いきなりカウンターから出てきてドラムを叩き出したり


ポケットトランペットを吹き出したり・・・と入ってきた客の


その時の緊張感と人間のポテンシャリティーを即座に受け止めて


アドリブに誘う展開も稀ではない。



フランスはパリの凱旋門の真下で赤ふんどし1丁で


『舞踏』を演り、何をやっているのか・・・と集まって来た人々の前で


やおらトランペットを取り出して即興演奏の世界に引きずり込む・・というのが


彼の常套手段である・・・・


かの名古屋の『愛地球博』でも似たような手法でぶちかましたらしい。



しかし実際『Free Jazz』と言う物はJazzのスタンダードを聞くのとは違って


自然発生的に始まるテーマのほとんどない音楽なだけに


全く比較する音の無いその世界は、人によっては只うるさいだけに写るらしく


『聞く音楽』というよりは『行為する音楽』という気が僕にはするのだけれど・・・・


聞き方によっては苦痛極まりない音の洪水でもある訳だ。



彼らの音の緊張感のウネリをバックに『舞踏』を踊る


パーフォーマーも多く、その舞踏家の中には伝説的な人も存在する。



僕が30数年前国立の音楽長屋に住んでいた頃


国分寺に『天使館』という舞踏家達の塾の様な場所が開かれていた。


その場合『舞踏』とはいっても我々が通常イメージする物とは


大きくかけ離れており、『精霊舞踏』とも呼ばれるそれらは


人間の肉体の動きを筋肉の支配から開放し


その背後(中心)に存在している『骨』の動きを意識させる様な


素晴らしく肉の削ぎ落とされた『骨体』による表現であった。


かといってただ痩せている訳ではないが・・・・



その元祖的存在に大野一雄さんという伝説的な舞踏家がおり


彼は舞台の右袖から出て来て3時間を掛けて左の袖へと入って行った


という逸話の持ち主である。その間の人を惹きつける緊迫感は


すさまじいものがあった・・・・



また彼の後継者的存在に笠井アキラという著名な舞踏家がいるが


僕はたまたま天使館で彼の舞台を体験する事が出来た。



平屋・漆喰壁の簡素な空間に


中肉中背の彼は無伴奏の静寂の中で立ち


木のフローリングの床を這うように音も無く動き


速度が上がったその一瞬、空中を舞ったかと思ったら


壁の上方を通っている梁の角に右手の中指が


『カツン』という音と共に引っ掛かり、肉体が中空にピタッと止まった時


皆の目が点になった事を今でも克明に覚えている。



この舞踏には日本の神道に近い研ぎ澄まされた世界を


感じさせられ清々しい後味がいつも残るのだった。



庄田さんにこれら舞踏の逸話を話すと、


まさにそれこそが彼も意図するライブパーフォーマンスの


究極的瞬間だ!!・・・という返事が戻ってきた。


従って庄田さんのライブに際して


舞踏家とのコラボレーションには暇が無い。



数々のミュージシャンの話を彼とする内に


フランクザッパの話になった事がある。


何でもOK的な彼が最も苦手とする音楽家


それがフランクザッパであ~る・・・・



つまりザッパは自分のイメージする音楽を演奏する際


メンバーをオーディションで厳選した上


彼の頭脳で厳格に構成された音絵巻を


メンバーに対して何度でも寸ぷんの狂いもなく再現させる・・・



頭を駆使してのこの即興演奏の対極的表現に


彼の感性が直感的に悲鳴を上げるのかどうかは知らないが


聞き終わった後にものすごい疲労感が残るそうで


感覚的に合わない・・・というのが結論だそうであった。



たま~に我がソウルBarジャジャにも現れて


ボトル1本を難なく空けながらジェームスブラウンに汗を流す


味のあるSoulおやじでもあったりします。



下田の明日を担う我が世代のライブパーフォーマーに


栄光あれ!!!と願う昨今である。



以下チェシャーキャットHPアドレスです


http://homepage.mac.com/hmitsui/chesya.html






僕が青梅線福生駅から立川・新宿経由で


都営地下鉄線曙橋駅(新宿から2駅目)までの


全25駅を通勤している事は前に書きましたが


通勤時において毎朝決まって目に映る人物の一部紹介です・・・



福生駅の改札を通って連絡階段を下りて来るのが毎日ほぼ朝4時43分頃


そして降りた階段から6~7メートル行った列車の昇降扉の目印に立って振り返ると


階段の脇におられる62~63歳の作業服姿の丸刈りのおじさん


とその広げているスポーツ新聞の内容がまず目に飛び込んで来る・・・・・


その中で大リーグの松井君が活躍してたりすると妙に嬉しかったりしたのだが・・・


着ている作業服からしておそらくどこかの工場への早出と思われる。



そしてその後方3メートルほどの所に全く同じ作業服を着た若者が一人必ず立っている


しかし上記のおじさんと会話を交える所はついぞ見た事がないが・・・



ぼくより10メートルほど先、1つ前の車両に毎朝乗る髪の毛を肩まで伸ばした


ジーンズ姿のポパイに出てくるオリーブ?みたいなイメージの


毛糸の帽子をかぶった22~3歳の女の子は何気にお洒落で


コーデュロイの赤の上着やジーンズのジャケットなどが良く似合っている・・・


出勤というよりはアルバイトという感じがするのであるが・・・?



隣の扉から乗る、タクシー会社・夜勤明けの60前後の頭の大きなおじさん、


彼はいつもどこかで安く手に入るのか、カップラーメンなどの一杯入った袋を手にして


階段を下り切った辺で必ずタバコに火を付ける。でも実は福生駅は


全ホーム禁煙になっているのだが、彼はそんな事おかまいなし!


丁度大きく禁煙というポスターが貼ってあるそのまん前で深く吸って


電車が入って来る直前でタバコを床に投げ捨てて踏み消すのが恒例・・・



4時47分に青梅線始発上り立川行き10両編成が入って来ると


僕は進行方向、前から4両目の車両の前から3番目の扉から乗り


進行方向右側の7人掛けの真ん中辺に座る(扉に近いと朝の冷気が寒い為)


この時間通常既に暖房が入っております。


1つ扉を隔てて車両端の3人掛けの座席にやはりスポーツ新聞を広げて


周りを気にしながら乗っている50前後の痩せたアズキ色のヤッケを着たおじさん


彼は横に置いた黒いカバンからパンや飲み物を取り出して


これから新聞を読みながら、おもむろに食事を始めるのであるが・・・



いつぞや、彼が飲んだ空き缶を床に置いたまま


新宿駅で降りようとした際に、僕がその空き缶を拾って


黙って手渡した為、彼のメモリーチップにばっちり収まったのであろう・・


それ以降、彼は僕から遠く隔たって座るようになってしまった・・・


僕の座った丁度まん前には上ったばかりの


スナックかクラブ勤めの24~25のお兄さん2人


一人はたいがい赤のスニーカーでもう一人は茶色の革靴


お二人共ほとんどは静かに寝ているが、たまに余力が有ると話をしている。


それが結構仕事仲間の深刻な悩み事だったりする。



3分走って隣の牛浜駅に着くと乗ってくるおばさんが2人(50代と70代)


一人は高齢でもう一人の母親の様で75過ぎ?意思がはっきりしており


いつぞやは酔っ払いが長々と全身を伸ばして座席に横たわっていると


その隣に腰掛けようと思った途端、酔っ払いの両足をヨイショと持ち上げ


方向転換してポンと離すと、酔っ払いはそのままストンと地べたへ!


何が起こったか分からないまま除けられてられてしまった・・・


本人はちゃっかりその隣へ・・という業の持ち主のおばあさん・・・



更に拝島駅に着くと~いつも同じジーンズと運動靴をはいた


小太り・色白の女の子:彼女はいつも推理小説らしき物を読んでいる。


そして黒の背広を着た髪の毛が寝癖で逆立った、寝起きみえみえのおじさん、


彼はいつも囲碁の本を取り出して詳しく鉛筆で書き込んでは


大きな消しゴムで消し直す・・・という攻め手の詳細な検討の人


~などの人々を乗せて走り出す。



昭島そして次の中神駅で東京駅まで連日早朝出勤のガードマンのおじさん


並びに席が空いていても絶対に座らない3~4人のサラリーマンを乗せると


電車は東中神・西立川を通過しながら終点立川駅を目指して進んで行く。


彼ら座らないサラリーマンが立っている場所は


進行方向4つ目の右側の扉の前であり


実はここは終点立川駅の2番線のホームに列車が着いた際


4番線・東京行き電車ホームへの連絡階段のすぐ真横に当たる為なのである。



という訳で立川の1つ手前の西立川駅を過ぎた頃から


立川駅構内に電車が差し掛かる直前にかけて


進行方向4つ目の右側の扉周辺には20数人の中高年が


短距離走のウォーミングアップよろしく集まって来る。



僕はというと、その1つ手前3つ目の扉の先頭に位置して


電車が止まり扉が開くと同時に扉1つ分の距離を物ともせずに


一気に詰めて隣の扉の先頭集団の中に割り込んで


彼らを横切って階段を駆け上り、4番線ホームに駆け下るという


朝の障害物競走をスポーツ感覚で密かに楽しんでいる訳である。



結局の所、走ろうと歩こうと東京行きの電車にはほぼ全員が


座席にありつけるにも関わらず、何故かこの一瞬は


皆アドレナリンを喚起して生命力を発揮しようとするその習癖に


現代人の愚かな業と哀しさが色濃く反映していると思われるのであるが・・・・・



終点立川駅に着くのが5時4分で4番ホーム10両編成東京行き


の僕の定位置・進行方向前から2両目の2番目の扉の目印の所の立っていると


目の前3番ホームから5時5分発青梅行きの列車がホームを離れて行く。



待っている間に1つの扉の位置に7~8人ずつの人の列が出来る。


同じホーム反対側の5番線に止まっていた5時7分発の貨物列車が出て行くと


やや待って5時9分発・各駅停車10両編成東京行きが入って来る。



扉が開いて皆がざっと落ち着いた頃見渡すと、7人掛けの椅子に


大体5~6人が満遍なく腰掛けており、立ちたい人が立っている。


中央線が新宿駅のホームに到着するまでの間


青梅線同様の見慣れた顔ぶれの乗り降りが


そこここに見受けられる事となる・・・・



国立から乗ってで降りるポロシャツの紳士


やはり武蔵境で降りる折りたたみ式自転車を抱えたお兄さん


ここには工場でもあるのか事の他色々な職種の人々が降りる


ような気がするのだが・・・・



早朝に羽田や成田から飛び立たんとする大きな旅行カバンを抱えた


嬉しそうな海外旅行者の若者や時間とお金の有るおばさん達・・・



中央線各駅停車東京行きが5時49分新宿駅ホームに到着すると


列車進行方向前から2両目の2つ目の扉は丁度都営地下鉄線の


連絡階段の真横で止まり、ここを早足に1フロアー分上って


4フロアー分下ると5時53分新宿発の都営地下鉄線に丁度間に合う。



一番前の車両3番目の扉より乗って空いている席に腰掛けると


たいがい目の前に50代で額の広い銀縁メガネ、銀のブレスレットと


銀の指輪をした洒落た背広・職業不詳の気障なオヤジが座っており


必ず一瞬目を覚ます彼とこれまた必ずちらっと目が合う事となる。



5時57分曙橋地上出口への上り階段横で扉が開くと


ほぼ2フロアー分の階段を登って会社までの8分の道すがらを歩き出す・・・・



所で毎日の僕の網膜のスクリーンに映っているこれらの人々の表情は


取りも直さず彼等のスクリーンに映っている僕を含む光景の反映であり


鋭い観察眼を持って僕の内面を書評する人物が密かに居るやも知れず・・・?



・・・・・・と楽しく思い巡らす僕の昨今なのであるが・・・・・・・・・・






ついこの間、会社の至近距離にある内科医院に行ってきました。


僕は医者、薬は全く苦手でもう30年以上薬のご厄介にもならないで


生きて来ている訳ですが、いや~あ10年ぶりの検診など受けてしまいました。



それと言うのも僕はこの3年間ほど夜寝る前とかの限られた時間帯に


時々咳き込む事があり、しかも気管支が目一杯せり出してしまいそうになる位


激しく咳き込む場合があります・・・・って事など日頃はほとんど無視して


暮らしているのですが、つい先だってはちょっと変則的な風邪気味状態に


持ってきて咳き込みが激しく、横になって寝ようとすると呼吸がほとんど出来ない


状態になってしまい、それが2日間ほど続き、睡眠が充分に取れないもので


仕方なく検診だけ受けに行きました。



新宿市谷は防衛庁のすぐ真横にある小さなこの医院は


午後の3時頃という時間帯でもあったせいか待っている人も少なく


何か懐かしい消毒薬の様な匂いのするひなびた待合室で


10分ほど待っていると、院長さん自らに呼ばれて診察室に入って行きました。



この数日の状況を説明すると、先生は僕の人差し指の先に


何か変な指輪のようなカプセルをかぶせ、しばらくカウントしていました。


これで体内酸素量を測っている・・・とは後で知った事であるが・・・・


通常の人で98あるべき所が僕は93であったらしく


90を切ると酸素吸入の世界らしい?



更にシャツを脱いでありきたりに聴診器を当てて


呼吸音を確認し、奥の間に通されてレントゲンを撮りました。



診察室に戻った所で、僕は『某防カビ剤』のメーカーの人間で


色々な場所でカビ繁殖の局面に接する機会が多く


まともにカビ(菌の胞子)を吸い込んでしまう事態も


ままある事などを仔細に話しました。



先生は僕が菌類についてあながち素人ではないと知ると

主客の入れ替わった質疑応答の場となって行き


特定の菌を先生が指差しては、どういう箇所での検出が多いかなどと


次第に突っ込んだ話になって行き、僕もいきなりのニワカ講師を


ほんの少しの間だが楽しむ事となりました・・・・



すると先生は奥の部屋からふと書類を持って


戻ってきて嬉しそうに僕の前に広げました・・・・・


そこには色々なカビ(真菌)による疾患の名前が書かれており


総タイトルが『真菌による病気』となっていました。



こまごま語られた話はさて置き『アレルギー性真菌症』あたりが


当節流行の先端・・・という事でこの辺の症状にしておこう


というのが二人のディスカッションによる結論と相なった様に思います・・・



そして先生は早々にレントゲンのフィルムを持って戻って来て


ライトの上にセットをして、それを見ながら所見を語ってくれました。


そこにはほぼ肺の全貌の細かい陰影の一つ一つが照らし出されており


素人目にも怪しい影など写っていない事が見て取れました。



先生の所見も案の定『見た目全く肺に異常はない!』と語ってくれました。



後日、院長先生から電話が入り、レントゲン写真は他の先生のチェックも受け


『肺の映像は全く正常である』との再度の結論を言い渡されました。



しかし日頃、真菌(カビ)による病気の怖さなどを訴え掛け


薬剤の使用を促している防カビ剤メーカーの技術者たる僕からすると


この事態は『紺屋の白袴』と言わざるを得ません!



カビ(真菌)が僕の体内に共存しているとした場合


『我が防カビ剤』が僕を守っているとは


逆立ちしても言い得ません・・・・・ので・・・・・・・・・・!?



ちなみに薬剤の使用は控えめに・・・・というのが


技術者?としての結論です・・!!