*ペスト 翻訳 II (6)* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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アルベール・カミュ


la peste 翻訳



「ペスト」(1947)



II  (6)

パヌルーの説教の直後から、暑い日々が始まった。6月も終わりにさしかかっている。遅ればせの雨があの説教の日曜日を印象深いものにした翌日、空に、そして家々の上に夏が一挙に強烈な姿を現した。先ず強い熱風が起こり、それが一日中吹き、壁をからからに乾かした。太陽が居座り、熱と光の絶え間ない波が日がな一日都市を浸した。アーケードのある通りとアパルトマンを除けば、強烈で目もくらむような光の照り返しに晒(さら)されぬ場所は一つとしてないように思える。太陽は街の隅々にまで我が市民たちに付きまとい、立ち止まりでもすれば、容赦なく照りつける。この最初の暑さが週に700人近くに達した犠牲者の急増と重なったので、落胆にも似た思いが都市を捉えた。周辺地域では、平坦な通りとテラスのある家々の間で活気が失われ、普段なら人々がいつも戸口に出て暮らしているこの地区で、全てのドアが閉まり、鎧戸が閉じられ、こうすることでペストから身を守ろうとしているのか、それとも太陽から身を守ろうとしているのか区別がつかなかった。それでも、幾つかの家からはうめき声が漏れてくる。以前なら、そんなことがあれば、通りに出て聞き耳を立てるやじ馬の姿がよく見られたものだ。しかし、これほど長く不安にさらされた後では、どうやら人の心は冷酷になってしまったようだ。まるでそれが人間の普通の言葉であるかのように、うめき声の傍らを素通りして歩き、あるいはその傍らで暮らしているのだった。

戸口で乱闘が有り、その間憲兵が武器を使用せざるを得なかったので、鈍いざわめきが起きた。確かにけが人は出たのだが、暑さと恐怖のせいで何もかも誇張されてしまう町では死人が出たという噂になっていた。いずれにせよ、絶えず不満が膨らんでいて、市当局が最悪の事態を恐れ、疫病に抑えつけられている市民が暴動に走った場合に備え、取るべき手段を真剣に検討していたことは確かである。新聞は、改めて市外に出ることを禁じ、違反者は投獄するという条例を発表した。パトロール警官が市内を巡回するようになった。しばしば、人気のない、暑さでうだるような通りでは、先ず舗道に響く蹄の音が聞こえ、それから騎馬警官が現れ、閉じられた窓の列の間を通り過ぎて行く姿が見られた。パトロール警官の姿が見えなくなると、危機に瀕した都市に再びぎすぎすとした重い沈黙が訪れる。間をおいて、特殊部隊の銃声が響いていた。最近出された命令で、蚤を媒介するかもしれぬ犬や猫を銃殺する特殊部隊が編成されていたのだ。その乾いた銃声が市内に不穏な空気を生み出しているのだった。

それに、暑さと沈黙の中で、我が市民たちの怯えた心には、何もかもが以前より重い意味を帯びていた。市民の誰もが、季節の変わり目を示す空の色と大地の香りに初めて敏感になっていた。誰もが暗澹たる思いで、暑さは疫病を助長すること、同時に、誰もが本格的に夏が腰を据えたことを理解していたのだ。夕空を飛び交うアマツバメの囀(さえず)りは、都市の上空で以前よりかぼそいものになっていた。その囀りは、我が地方では水平線を後退させるあの6月の黄昏(たそがれ)時にはもう似つかわしいものではなくなっているのだ。市場で売られる花も、もう蕾のままで来ることは無い。既に開いていて、朝売られた後には、花弁が埃っぽい舗道に散らばっている。春が精も根も尽き果て、四方八方で開花する何千もの花の中に惜しみなく身を捧げ、今や息も絶え絶えで、ペストと暑さの二重の重みの下で押しつぶされようとしているのは誰の目にも明らかだった。全市民にとって、この夏空と、埃と不安の色合いの下で色あせて行く街路は、毎日この都市にのしかかる100人余りの死者同様、不気味な意味を含むものだった。太陽が絶えず降り注ぎ、眠りとヴァカンスにうってつけのこの時期が、もう以前のように水遊びと肉体の陽気な喜びに人々を誘うことはもう無い。それどころか、今やこの時期は、閉じられ、静まり返った都市の中で空ろな響きを立てるばかりだ。つまり、幸福な季節のあの赤銅色の輝きを失ってしまったのだった。ペストの元での太陽はあらゆる色彩を消し去り、あらゆる喜びを追いやってしまうのだ。


la peste II ㉓

それは正に、この病気がもたらした大きな変革の一つだった。普段なら、我が市民は誰もがはち切れるような喜びで夏を迎える。夏になれば都市が海に向かって開かれ、若者たちが大挙して浜辺に押し寄せるのだ。ところが、その年の夏は、近くの海は立ち入り禁止になり、肉体的な喜びに浸る権利はもう失われていた。こんな状況で何をしろというのか?我が都市の当時のイメージを最も忠実に伝えてくれるのは、またしてもタルーである。彼は無論、ペストの動向を全体的に追っていたのだが、ラジオの報道の仕方が変わることでこの疫病が転換期を迎えたことに正に気づいたのだ。つまり、ラジオはもう週に何百人の死者が出たとは報道せずに、日に92人、107人、120人の死者が出たと報道するようになった。≪新聞と当局は、ペスト相手にだまし合いをしている。連中は、130の方が910よりは数が少ないのだから、ペストから点が奪えると思い込んでいるのだ。≫ 彼はまた、疫病がもたらす悲痛で劇的な側面にも触れていた。例えば、鎧戸の閉まった人気のない地区で、女が突然、頭の上まで窓を引き開け、2回外に向かって大声を上げ、それから真っ暗な寝室に向けて鎧戸を再び閉ざしたというような話だ。しかし、その一方で、多くの市民が万一の感染に備えてしゃぶるので、ミントのトローチが薬局から姿を消してしまったことなどを記していた。

彼はまた、お気に入りの人物の観察も続けていた。猫に唾を吐きかけるあの小柄な老人が悲劇に見舞われていることも伝えている。というのも、タルーの記事によると、ある朝、何発か乾いた銃声が聞こえ、言わば鉛の唾が大部分の猫を殺し、難を逃れた猫たちも震え上がって、通りからいなくなってしまった。その日、老人はいつもの時間にバルコニーに出て、呆気にとられた様子で身を乗り出し、通りの端々を眺め渡したが、諦めて待つことにした。片手で小刻みにバルコニーの柵を叩いている。更に待ち、紙を少々ちぎる。一度部屋に戻り、また出てくる。それからしばらくして、怒りを込めてフランス窓をバタンと後ろ手に閉め、突然姿を消してしまった。その後の日々も、同じシーンが繰り返された。老人の顔には次第に悲しみと困惑の色が濃くなっていく。一週間後、タルーは老人が現れるのを待ったが無駄だった。無理からぬ悲しみを秘めて、窓は頑(かたく)なに閉じたままだ。≪ペストの時は、猫に唾を吐きかけるのは禁止≫、タルーの手帳はそんな風に結論付けていた。

一方、タルーが夕方ホテルに戻ると、ホールのところでいつもきまって、陰気な顔をしてあちこちうろついている夜警に出会うのだった。夜警は誰にでも、自分は今度の出来事は予想していたと絶えず触れて回っていた。不幸な出来事を予言していたのを聞いた覚えはあるが、地震のことではなかったのかとタルーが言うと、老管理人はこう答えるのだった。≪ああ!地震ならまだしもだ!大揺れに揺れて、それっきりさ… 死者と生存者の数を数えて、それで終わりだ。しかし、この嫌らしい病気ってやつは!実際に病気に罹ってない者も、心に病気を抱えることになる。≫

ホテルの支配人も同様にまいっていた。最初、都市を出られなくなった旅行者たちは、都市閉鎖のせいでホテルに足止めを食らっていた。しかし徐々に、疫病が長引くにつれて多くの泊り客は、友人の家に宿泊する方を好むようになっていった。そしてそれ以来、ホテルを満室にしていた同じ理由により、ホテルはがら空きになったままなのだ。というのも、我が都市にもう新たな旅行客が来ることはないからだ。タルーは相変わらず、その数少ない泊り客の一人であったが、支配人は何かにつけて彼に、最後の客たちに快適に過ごしてもらおうという気持ちが無ければ、自分はとっくにホテルを閉めていたと言うのだった。彼はよくタルーに、疫病がこの先どれぐらい続くか推算してくれと頼んでいた。≪この種の病気には寒さが敵だと言われています。≫とタルーは答えた。支配人は取り乱して、こう言った。≪でもあなた、ここでは本当に寒くなることなんか決してありませんよ。どっちみち、まだ数か月は続くということですな。≫ それに、この先長い間、旅行客はこの都市にそっぽを向くだろうと彼は確信していた。今度のペスト騒ぎで観光業も壊滅してしまったのだ。


ホテルのレストランには、少しの間姿を見せなかったオトン氏、つまりタルーがフクロウに似ていると記していたオトン氏が再び現れた。しかし今度は、二匹の学者犬、つまり子供たちだけを従えている。情報によれば、彼の妻は、実母を看病して埋葬した後、目下隔離されているということだった。

「どうも気に入りませんな」と支配人はタルーに言った。「隔離しようがしまいが、感染の疑いがあるわけです。つまり、夫と子供もその疑いがあるわけだ。」

タルーは、そう考えれば市民全員が疑わしいことになると指摘していた。しかし、支配人は有無を言わせず、その問題に対してはひどく断定的な見方をしていた。

「違いますよ、あなたも私も感染の疑いはありません。疑いがあるのはあの人たちです。」

しかし、そんなつまらぬことでオトン氏が変わることは無かった。今度ばかりは、ペストも骨折り損のくたびれもうけというわけだ。彼は常と変らぬいでたちでレストランに入り、先ず自分が先に席に着き、相変わらず子供たちには品はあるが棘のある言葉を投げかけていた。ただ、男の子の方は以前と様子が変わっている。姉同様黒い服に身を包み、少し身を屈めたその様子は、さながら父親の小さな影法師のようだ。夜警は、オトン氏を嫌っていたが、タルーに向かってこう言っていた。

「ああ!あの男は正装したままくたばりますよ。だから死に装束は無用ってわけだ。まっすぐあの世へおさらばです。」

パヌルーの説教も報告されていたが、次のようなコメントつきだ。≪ああいう好感のもてる情熱は理解できる。災禍の初めと終わりには、常に多少のレトリック(修辞)が用いられるものだ。前者の場合、レトリックを用いる習慣がまだ失われてはいないし、後者の場合は既にその習慣が復活している。人が真実に、つまり沈黙に馴染むのは不幸のさ中にあるときだ。見守るとしよう。≫

タルーは最後に、リゥ医師と長い会話を交わしたことを記していた。しかし、それが実りある結果をもたらしたと言うにとどめ、話のついでにリゥの母親の明るい栗色の瞳に言及し、奇妙なことに、あれほど善意に溢れた眼差しは常にペストに打ち勝つことになると断言していた。そして最後に、リゥが診ていた喘息の老人についてかなり長いスペースを割いているのだった。


la peste II ㉕

タルーは会談の後、リゥ医師と一緒にその老人に会いに行ったのだった。老人は薄ら笑いを浮かべ、揉み手をしながらタルーを迎えた。彼は枕に背を付け、えんどう豆の入った二つの鍋に上体を屈め床に就いていた。≪おや!また一人お医者さんか≫タルーを眺めながら老人は言った。≪世の中あべこべだね、病人より医者の方が多いとは。てことは、例の病気の進み具合が速いってわけかね?神父の言う通りだね、自業自得ってわけだ。≫ 翌日、タルーは予告もせずにまたやって来た。

タルーの手帳の記述を信じるなら、その喘息の老人は、小間物屋を生業(なりわい)としていたが、50の歳に仕事は十分やりつくしたと判断したのだった。以来、床に就き、二度と床を離れることは無かった。とは言っても、彼の喘息は立っていられないほどのものではない。僅かな年金暮らしで75歳を迎えているが、まだ矍鑠(かくしゃく)としたものだ。時計は見るのも嫌で、実際、老人の家には時計というものが一つも無かった。≪時計はねえ≫と老人は言っていた。≪高いし、馬鹿げているよ。≫ 彼は時間を、特に老人にとって唯一大事な食事の時間を、二つの鍋を使って計っていた。目が覚めたとき、一つの鍋にはえんどう豆がいっぱい詰まっている。その豆を一粒一粒、規則的に細心の注意を払って別の鍋に移し替えて行くのだ。こうして、鍋で計った一日の時間の中から自分に必要な指標を見つけていく。≪鍋を15回入れ換える毎に≫と老人は言っていた。≪軽食のお時間だ。えらく簡単な話さ。≫

それに、老人の妻の言葉を信じれば、老人はごく若い頃から彼の天性の資質を表す兆候を幾つか示していた。というのも、何一つ彼の興味を引くものは決して無かったのだった。仕事も、友人も、コーヒーも、音楽も、女も、散歩も、何一つ無い。ある一日を除けば、彼は自分の町から一度も外に出たことは無かった。その日は、家族の件でどうしてもアルジェに行かざるを得なくなったのだが、それ以上遠くまで冒険を進めることが出来なくなりオランから一番近い駅で降りてしまった。そして最初の列車で家に戻って来たのだ。

老人の引きこもり生活に驚いている様子のタルーに向かって、老人はおおよそ次のような説明を加えた。宗教によれば、人間の前半生は上り坂で後半生は下り坂だ。下り坂になると、人間の送る日々はもう自分の物ではなくなる。それがいつ奪われるか知れたものではない。だから自力ではどうしようもない。一番いいのは、正に何もしないことだと。それに、この老人は矛盾など意に介していなかった。何故なら、そのすぐ後でタルーにこう言っていたのだ。きっと、神様なんてものはいない。神様がいるなら神父などは要らないのだからと。しかし、その後に続く幾つかの考察を聞いて、主に教会の度重なる募金活動に向けられた気分が原因でこんな哲学が生まれたのだとタルーは理解した。しかし、老人像を締め括るのは、老人がタルーの前で幾度か繰り返し、彼の心に深く根ざしているように見えるある願望なのだ。つまり、老人の願いは極めて長生きをすることだった。

≪聖者なのだろうか?≫とタルーは自らに問うていた。そして、こんな答えを出している。≪その通り。もし神聖であることが習慣の積み重ねであるならば。≫


la peste II ㉖

しかし同時に、タルーはペストに襲われた都市の一日をかなり詳細に描く作業に取りかかり、我が市民たちのこの夏の暮らしぶりや活動を正確に伝えてくれていた。≪笑っているのは酔っ払いだけだ≫とタルーは語っていた。≪しかも奴らは笑いすぎる。≫ 次に彼は街の様子を描き始めた。

≪早朝、まだ人気のない市内を風が微かに吹き抜け抜けていく。死者のいる夜と臨終の人のいる昼間、その狭間(はざま)にあるこの時間には、ペストは一時(ひととき)手を休め、一息ついているようだ。店はまだ全て閉まっている。しかし、幾つかの店には「ペストのため閉店」という張り紙があり、他の店とは違いじきに開店にはならないことを示している。まだ目が覚めぬ新聞の売り子たちは、声高にニュースを叫ぶことはなく、街角で塀に寄りかかり、夢遊病者の様に街灯に向かって商品を差し出している。やがて始発の市電の音で目を覚まし、彼らは町中に散らばり「ペスト」という言葉が炸裂している紙面を、精一杯腕を伸ばして差し出すのだ。紙面は「ペストは秋まで続くだろうか?B教授の答えはノーだ。」「ペスト発生から94日目の死者の数は124名」といった具合だ。≫

≪紙不足がますます深刻になり、そのせいで幾つかの定期刊行物はページ数を減らさざるを得なくなった。にもかかわらず、新たな新聞が創刊される。「疫病通信」だ。創刊の趣旨は、「極力客観的に、病気の進行と衰退を我が市民たちに伝えること」「疫病の今後について最も権威ある証言を提供すること」「有名無名に関わらず、災禍に立ち向かう意志のある全ての人々に紙面を提供すること」「住民の士気を支え、市当局の指示を伝え、一言でいえば、我々を襲う禍に対して効果的に戦うため、あらゆる善意を結集すること」である。ところが実際には、この新聞はあっという間に、ペストの予防に特効のある新製品の広告を載せるだけになってしまった。≫

≪朝の6時ごろ、開店の1時間以上前から店の戸口にできる待ち行列の中で新聞が一斉に売られ始める。次に、周辺地区からすし詰めになってやって来る市電の中で売られるのだ。市電は今や唯一の交通手段となった。踏み段も手すりも壊れそうなほど乗客が鈴なりになり、市電は青息吐息で進んでいる。しかし奇妙なことに、互いに感染するのを避けるため、乗客は皆出来る限り背を向けあっているのだ。停留所では市電から山ほどの男女が吐き出されるのだが、彼らは急いで互いから離れ、一人になろうとする。今や慢性化した不機嫌だけが原因で、諍(いさか)いが始まることもしばしばだ。≫

≪始発の市電が行ってしまうと、都市は徐々に目覚め、朝一番に開くカフェ・レストランがカウンターに面した扉を開く。カウンターには、「コーヒー品切れ」、「砂糖ご持参のこと」等々のプラカードでいっぱいだ。それから商店が開店し、通りは賑やかになる。同時に、光が増し、熱気のせいで7月の空は徐々に鉛色に変わる。それは、何もしていない連中が危険を顧みず大通りに繰り出してくる時間だ。その大多数が、贅沢な身なりをひけらかすことでペスト祓(ばら)いに努めていたように思える。毎日、11時ごろ、主な幹線道路では若い男女のパレードがあり、そこには大いなる不幸のさ中にいや増してくるあの生きる情熱が感じられる。もし疫病が拡大するようなら、道徳も緩やかになって行くだろう。墓の周りで繰り広げられたミラノの乱痴気騒ぎを、我々は再び目にすることになるだろう。≫


≪正午になると、瞬く間にレストランは満杯になる。戸口にはたちまち、席待ちの小グループが幾つかできあがる。酷暑のせいで空は光を失い始めている。日差しのせいで乾いた音を立てる道端で、店先の大きな日よけの陰に入り、食事待ちの連中が順番を待っている。レストランに客が押し寄せるのは、多くの市民にとって食料調達の手間が省けるからだ。しかしレストランでは、感染の不安は手付かずだ。そこで、客たちは長い時間をかけ、辛抱強くスプーン、ナイフ、フォーク等の食器類を拭っている。つい最近まで、「この店では、食器類は熱湯消毒してあります」という張り紙をしている店もあった。しかし徐々に、店側はあらゆる宣伝を止めてしまった。客が嫌でも店に来るようになったからだ。それに、客は喜んで金を使う。上等な、あるいは上等と思われているワイン、極めて高額な追加料金、それが飽くなき競争の手始めとなる。また、あるレストランではパニックが起きたようだ。一人の客が、気分が悪くなり、青ざめた顔で立ち上がり、よろめきながら大慌てで出口に向かったのだった。≫

≪2時ごろ、市内は徐々に人通りが無くなる。沈黙、埃(ほこり)、太陽、それにペストが通りで鉢合わせする時間帯だ。灰色の大きな家並に沿って、熱気が絶えず流れて行く。この長い囚われの時間は、燃えるような夕暮れがこの人口過密でざわついた都市に落ちかかる頃終わりを告げる。暑さが訪れた最初の日々、飛び飛びではあるが、夕暮れ時にはどういうわけか人影が無かった。しかし今は、最初の涼しさが訪れると、希望ではないにしても街に寛(くつろ)ぎが生まれる。市民は皆、通りに繰り出し、喧(やかま)しくしゃべり、口喧嘩をし、あるいは互いを求め合う。そして、7月の赤い空の下、カップルに溢れ、群衆の叫び声に溢れた都市は、息苦しい夜に向かって流されていくのだ。毎晩大通りでは、霊感を授かった一人の老人が、フェルト帽を被り大型の蝶結びのネクタイ(ラヴァリエール)を締めて、絶えず「神は偉大なり、神のもとに来たれ」と繰り返しながら、虚しく人混みをかき分けて行く。ところが群衆は皆、自分でもよく分からぬもの、神様よりは緊急だと思えるものに向かって急いでいる。最初、それが並の病気だと思われていた頃は、宗教にもふさわしい位置があった。しかし、病気が深刻だと分かると、市民たちは快楽を思い出した。昼間顔に刻まれていた苦悩は全て、埃まみれの、暑さで燃えるような黄昏(たそがれ)時には、全ての住民の心を熱くする凶暴な興奮、剥き出しの放埓さに変わるのだ。≫

≪そしてこの僕も、彼らと同じだ。しかし何ということ!死は僕らのような人間には取るに足らぬことだ。それは僕らの行動が正しいことを示してくれる出来事なのだ。≫


la peste II ㉘

(ミスター・ビーン訳)

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