*シャルル・トレネ(15)ー秋の歌ー* | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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昨日は「一文字前線」と言う、聞きなれぬ前線が日本列島を通過し、強風、集中豪雨、落雷、竜巻等、各地にかなりの被害をもたらしたようですね。

実は、この前線は7年前(2005年)にも東京を通過したんです。その時は、それまで想定されていた下水処理容量を遥かに越える集中豪雨が降り、床上、床下浸水をもたらしました。
我が家も床下まで水が溢れ、家の前の道路がすっかり川になってしまったことを今でも鮮明に覚えています。

ただこの悪役前線(笑)にも一つ良いところが有ります♪ 通過後に秋の空気をもたらしてくれるそうです。昨日も前線の東側では気温は軒並み30度を超えていましたが(秋田はなんと36度!)、西側は30度を下回っていました(沖縄26度!)。
今朝は生憎の雨もようでしたが、空気は少しひんやりとして心持ち秋の気配を感じさせてくれます♪

今日の1曲は、そんな秋の気分にちなんで

「秋の歌(Chanson d'automne)」

詩は、あまりにも有名なポール・マリ・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine:1844-1896)の「サテュルニアン詩集(Poèmes saturniens)」の中の一篇。ヴェルレーヌが23歳の時の作品で、1867年に発表されました。

この詩の第1連

Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.

は、少し詩句を変えて、1944年6月5日、フランスの一部のレジスタンスに「ノルマンディ上陸作戦」を告げるためにラジオ・ロンドンから放送されたことでも知られています。

ヴェルレーヌの詩は、その音楽性故にフォーレ、ドビュッシーなどが好んで取り上げ、様々な歌曲に仕立てていますが、今日は。この詩を1940年にシャルル・トレネが「ヴェルレーヌ」という題名でジャズ風に作曲していますので、先ずそれを聴いてみましょう。

ただし、トレネは原詩を二箇所程変えてしまっています。
一つは、第1連4行目、BlessentがBercentに、もう一つは第3連4行目のDeçà, delàがDe-ci, de-làに変わっています。

次に、1971年生まれ、スロヴァキアのオルガニスト兼作曲家、スタニスラフ・シュリン(Stanislav Surin)がクラシック風に作曲したヴァージョンを聴いてみます。

この詩は様々な人が訳していますが、今日は三人の方の訳詩をご紹介しておきます。
最初は、おそらく本邦初訳だと思いますが、上田 敏=訳、次に堀口 大學=訳、最後にプルーストの翻訳と研究で有名な井上究一郎=訳です。


Chanson d’automne

Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon coeur
D’une langueur
Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure

Et je m’en vais
Au vent mauvais
Qui m’emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.




落葉 

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


上田 敏 訳(「海潮音」より)




秋の歌   

秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を痛ましむ。

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来し方に
涙は湧く。

落葉ならね
身をば遣る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。


堀口大學 訳



秋のシャンソン

秋の日、ながく
すすり泣く
ヴァイオリン
ぼくのこころは、
とりとめもなく
物憂くて。

時の鐘にも
胸せまり、
あおざめて、
むかしの日々を
思いうかべて、
ぼくは、泣く。

そして、出て行く、
こがらしに
運ばれて。
あちらこちらと
枯葉が道に
舞うように。


井上究一郎 訳
   

トレネ




スタニスラフ・シュリン