5話のポイントは
1リナレス議員は何のために政治家になったのか
2どうしてルーシーはフードを被らなくなったのか
3ビーガンの矛盾
の3点だ。
まずは1から行こう
1リナレス議員はどうして政治家になったのか
リナレス議員は動物とヒトの法的壁を穿ち、動物の権利を回復させるために政治家になったのだろう。
その動物の権利にチャーリーは一役買っているが、チャーリー自身に内的価値を有しているわけではない。
権利は法的に規定されなければならないから、法律を変えなければ、動物の自由は認められない。
ではなぜ権利は法的に規定されなければならないのか?
4話でもあったように、チャーリーが社会的に認められるのはあくまでもヒトにとって愛らしいキャラクターであるからに過ぎないと言われている。
それはどうしてなのかというと、チャーリーが法的に人扱いし得ないからだ。
つまり、チャーリーには他人から嫌われても真っ当に自由に生きれる安全が担保されなければならない。そのような話であった。
逆に、チャーリー自身がいうように、別に友達ができなくても社会に何ら支障なく生きていけるのは権利が保証されているからなのだろう。
2どうしてルーシーはフードを被らなくなったのか
どちらかというと「なぜルーシーはフードを被っていたのか」と考えて行った方がいい。
この問いの回収が5話でできるようになっただろう。
というのも、ルーシーは田舎の連中に対して「保守的で排他的だ」と言っていたからだ。
つまり、リベラルな自分と保守的な相手との違いを知ろうという寛容性のある人たちが田舎町には少なく、息苦しさを感じていたから、関わらないようにしていたと読み取れる。
最も、「いい年してアニメやゲームに夢中になってるオタクも嫌い」と言っていたから、ルーシー自身が閉じこもってるところもあるかもしれないが…
3ビーガンの矛盾
ビーガン陣営は肉食者を「動物も人間も同じ命なのに、どうして人間だけ特別扱いするのか」と肉食者の矛盾をつくが、そう言ってる菜食者も「植物も痛みを感じてる意識があるかもしれないのに、どうして動物だけを特別扱いできるのか」
という矛盾を内包している。
いずれにしても、この矛盾を解決することはできないように感じる。
哲学者のイヌマエル・カントは実践理性批判で「理性は根本的な矛盾を抱えているから、倫理的な問題を頭で解決することが不可能である」と言っている。
どの立場も感情が先立ってるから、自分の立場の正しさよりも相手の立場に寄り添う方向で、議論を進めて行った方が賢明だろう。
菜食主義者も肉食主義者も共通しているのは「無益な殺生をしたくない」という感情である。
我々が牛を食べるのは生きる目的があるから食べるのであって、それは我々が野菜を食べるのは生きる目的があるからということと同じである。
逆を言えば、菜食主義者も肉食主義者もむやみに動物をいじめることを肯定しているわけではないし、植物を斬り散らかすことを肯定しているわけではない。ならば、彼らの折衷案を取るならば、
1目的のある行動は許されるのにどうして目的のない行動は許されるべきではないのか?
と問うていくべきだろう。