吾輩太郎ちゃんは今までに大腸の内視鏡検査を随分多く受けてきたが、最初に受けた昭和60年頃からすると、検査に用いる薬剤類も検査器具もとても進歩したし、検査できる医師の数も病院の数も増えた。、、、、、有り難い事に、検査前後の患者の負担も凄く楽になった。

 

今から35年前の昭和60年当時は、日本の病院で医師がファイバースコープ(現在の内視鏡)で人間の胃の中を見たり、大腸を見たりするようになって間もないころで、ポリーブも、風船型のものしか、摘出出来なかったしファイバースコープ自体も発展途上で有った。

 

胃の中を管で覗く考えは、古代ギリシャやローマ時代に遡るらしいが、実際に、生きている人間の胃の中を覗いたのは1868年(明治元年)にドイツの医師クスマウルが長さ47センチメートル、直径13ミリメートルの金属管を使い、剣を飲みこむ大道芸人で試したそうだ。、、、、、金属管だったので柔軟性も無く、良く飲み込めたものだと感心するが、そこは、大道芸人、流石だ。

 

然し、カメラは付いていないし、柔軟性は無いので、胃まで管を通したと言うだけで、殆ど何も見えなかったらしい。、、、、、それから64年経った1932年(昭和7年)にドイツの医師シンドラーが屈曲が出来て、曲っても胃の中を見ることが出来る、軟性胃鏡を発明したそうだ。、、、、、直径11ミリ、長さ75センチの管で、先端に近いところが、ある程度曲り、レンズや豆電球もつけて、胃の中を明るくして、初めて胃の中が観察出来るようになったそうだ。

 

それでも、喉の麻酔も不完全で軟性胃鏡を飲み込むのは大変だったようで、中々、普及はしなかったそうだ。

 

胃カメラの開発が本格化したのは、それから17年経った1949年(昭和24年)、東大の医師が、オリンパス工業(現、オリンパス)に話を持ち込んだことがキッカケだったそうで、悪戦苦闘の末、翌1950年、試作機ができたが、臨床的に十分使えるものではなかったそうだ。、、、、、極小レンズの開発や製作、強い光源の問題、本体になる軟性管開発、最適なフイルムの開発、水漏れ対策等、色々大変な課題があったようだ。

 

出来上がったのは、本体軟性管の先端に撮影レンズが有り、フイルムは白黒、手元の操作で豆ランプをフラッシュさせて撮影し、ワイヤーで引っ張ってフイルムを巻き上げるものだったそうだ。

 

その後、東大第一内科の医師とオリンパスの技術開発陣が協力して、1、危険が無い、2、患者に負担を与えない、3、胃の内壁を全て短時間に撮影できる、4、鮮明な映像で診断できる、事を目指して、数々の難問をクリアし、広く普及するものにしたそうだ。

 

こうした開発者の人たちの苦労と努力のお陰で、世界中でどれ程多くの人達の命が救われて来ているのだろう。吾輩太郎ちゃんもその中の①人だ。

 

然し、これは胃カメラの話、、、、、大腸の内視鏡は、更に、その後だ。それは次回に。