酷暑で外出を控えていた私、昨日は久しぶりに上野公園まで行ってきた。駅近辺は相変わらず湧き出るような人の浪。でも文化会館の裏側はまばらな人並み。午前中の所為か、肌をかすめていく風は涼しい。秋の到来感を味わう。

まず秋の院展へ。時々はっとする絵にであう。 記憶の片隅にあった風景が呼び起こされる。昔々、目のまえに広がっていた風景、触れていた草木、その時のにおい、風の音まで聞こえてくる。全く初めて見る絵なのに、どこか懐かしい。共感するほど、私の経験体験が積み重なっているってこと。それだけ年齢を積み重ねているっていこと。とにかくこのノスタルジックな時の中に身を置くことが、日本画を見る楽しみである。

展示数300の大作を、一点一点ゆっくり鑑賞していると、足腰が疲れる。途中で椅子に座って、そこから作品に目を送る。遠くで見るとまたはっとすることがある。そして立ち上がり、絵に近づてみる。こんな調子でとにかく全作品を見て外に出る


昼食をとろうか、それとも、もう一館足を運ぼうか。西洋美術館でミケランジェロ展をやっていたっけ。たくさんの彫刻を丁寧に鑑賞するには,ちょっとエネルギー不足。良く通った東博へ行こうか。何体か仏像を見て、本日の精神充足感の仕上げをしようか。足は東博へ向かった。これなら体力がありそうだ。


そしてランチは私の定番コース、西洋美術館の中の「すいれん」でステーキランチ。時間が遅くなってしまったので牛ステーキは売り切れだったが、ポークランチのコースで代替え。館の中庭を一人眺めながら、ゆったりとした気分に。


昨日の充足感がまだ残っている今朝、院展の作品を思い浮かべる。

入館してすぐのところにあったもやっとした黄色味を帯びた空間を描いた「夏草や」の作品,黄泉の国の入り口か。

朝か夕か、光の輪の中を飛び立つ雁、地面は水田なのだろうが、洪水の様。さらばジャパン。さらば現世。

長崎の教会の絵もあった。光を受けて神々しい教会の隣には原爆の残骸の如きごみ。これは私が大学時代に見た長崎の風景だ。あの頃教会は再建されていなかった。放置されたままの石や瓦の残骸が私の記憶の底に残っていた。

好奇心いっぱいの3人の女の子の作品もあったっけ。「見ざる 言わざる 聞かざる」のような動作の女児3人。宇宙を背に、指の隙間からじっと見つめるひとみ、話そうとしている子、耳をそばだてる子。彼女たちの未来は洋々。


多くのに作品が私の中で生きている。