ここんとこ、仕事関係で自閉症関係のことに関心があったんだけど、

そんな時ブックオフで『自閉症だったわたしへ』という本を見つけた。

それでさっそく買って読んでみた。

これがとても興味深かった。


これを書いたのはドナ・ウィリアムというオーストラリア人女性。

この本を僕が読み始めたのもたまたまオーストラリア滞在中だった。


自閉症はそもそも圧倒的に男性に多い病気で、女性には珍しい。

ドナは言葉に長けていて、しかも描写はとてもうまいらしい。

というのも原書で読んだわけじゃないので僕には何とも言えない。

チャンスがあれば原書で読んでみたいと思う。


この本を読んで真っ先に感じたことは、人間のおぞましさだ。

まずドナの母親ってのがひどい虐待マザーで、

精神的にも肉体的にもドナを虐待したおす。


さらに、ドナのボーイフレンド(と言っていいのかどうか)の悪行の数々。

ドナは自閉症なので、自分の気持ちにうまくアクセスできない。

つまり自分で自分を制御できないし、簡単に人にコントロールされてしまう。

そこに付け込んで男たちがドナを精神的にも肉体的にもボロボロにする。

オーストラリアの男たちって最低って思ってしまった。


あと、この本を読んで長年の疑問が一つ解けた。

いわゆるユング心理学の祖、C・G・ユングについての謎だ。

ユングって人は天才だが、かなり変わった人物でもあった。

ちなみに僕は若い頃ユングからかなり大きな影響を受けた。


ユングの自伝は僕にとって聖書のような本で、何度も読み返したものだ。

その中にユングの少年時代のエピソードが出てくる。

幼い頃、ユングは変な考えにとりつかれる。

岩の上にのって遊んでいるとき、はたして自分が岩の上にいるのか、

それとも岩が自分の下にいるのか、つまりどちらが主体なのか分からなくなるのだ。


『自閉症だったわたしへ』にはドナが同じ経験をしていることが書かれている。

ユングって人はおそらく自閉症だったのではないだろうか。

ただ、あの頃には自閉症のメカニズムはおろか自閉症という言葉さえなかったのだが。


もう一つユングがらみで面白い発見があった。

ユングは「30代半ばの危機」という言葉を初めて用いた人で、

人間は、ちょうど30代半ば頃に精神的に危機的な時期を迎え、

今までとは違う生き方をすべく自己の変革を迫られると言った。

というのも彼自身がその危機を経験したのだ。

彼の場合は、フロイトという彼の師である心理学者との決別がその危機のきっかけとなった。


ユングはその危機的な状況の中で、すっかりひきこもってしまい、

グノーシス主義と呼ばれる原始キリスト教の異端的考えにとらわれてしまう。

その苦悩から後期ユングの思想、言わばユング心理学が生まれることになる。


彼の自伝にはその頃の苦悩が生々しく描かれているが、

よく出てくるのが、彼がさかんに円を書くという描写である。

精神的に不安定になり、頭がおかしくなりそうなのを抑えるべく

必死になって彼は次々と円を書き続けるのだ。

ちなみにこの円から彼は曼荼羅という東洋宗教思想へのインスピレーションを得、

円は自己の象徴であるという彼の最大の思想が展開されていく。


ところでドナは『自閉症だったわたしへ』の最後に、

自閉症の人が行う行為に秘められた意味を紹介している。

その中にくりかえし円を書くことが挙げられているのだ。

彼女によれば、円は外界と内なる心の世界の境界を表しているらしい。

つまり円を書くことによって、内なる世界と外の世界の間に壁をもうけ、

外の世界から内なる世界を守ろうとしているというのである。

精神が不安定にあるとその行為を繰り返すらしい。


以上のことからユングはやはり自閉症だったのかなと思ったわけだ。

でもかりにそうだとしてもユング心理学の価値が損なわれるわけではない。

ただ、彼の考えの一部は一般人にはそれほど妥当性をもたないかもしれない。

でも逆に自閉症の人にとってはかなり妥当性を持つことだろう。


書きたいことはまだまだたくさんある。

例えば、ユングの元型という考えとドナの多重人格的傾向は似ているし、

ユングもドナも少なからず超常現象を経験しているが、

それは、もしかすると、脳のある部位の異常によるものなのかもしれない。

でも時間がないので、今日はこのへんでやめておこう。


最後に一つこの本を読んで気付いたことがある。

自閉症とまではいかなくても、自閉的傾向を持つ健常者はそこそこいると思う。

ドナの症状のある部分は僕にも当てはまることがあったし、

また別の部分は周りの人々の中にも見つけることができる。


人間の心を理解するためにはさまざまな側面からの研究が必要だが、

自閉症研究は間違いなくその一つの側面であると僕は思う。