榎本智史さんのブログで、良記事を見つけた。
こうやって整理してもらえると、ああ、これは過去の私の勘違いと同じだったんだな、と納得できる。

【ソルフェージュ・雑記】階名は「全ての調をハ長調/イ短調に移高する」考え方ではない:固定ド認識に由来する階名への誤解
私の認知は、多分「より良い知見を得ることによって上書きされる」と、そのままそれ以前のことは「無かったことにされる」らしい。
なので記事を読んで最初は「なるほど、そのように誤解するのか」と他人事のように思っていたが、…いや待て?それ、私自身もそう思い込んでたんじゃなかったか⁉️

私自身がいわゆる「移動ド」を「そんなの難しくて無理」と拒んでいたのも、まさに「ハ長調からずらすとこうなる」と考えなくては理解できないもの、と思い込んでいたからこそだった‼️😱
その発想をしている限り、単純で当たり前なはずの「どこでもドレミ」が死ぬほど難しいものとしか思えなくても当然…

逆に言えば、私がこうもあっさりと、或いは徹底して固定ドを捨て去って(当たり前の)階名唱に移行できたのは、「ハ長調からずらして〜」という面倒な発想から脱却できたから。
少し時間がかかかったのだろうけど、多分2011年頃には発想そのものは切り替わっていた。

私は(知ってる人も多いだろうけど(苦笑)思い込みが強い方だ(もちろんわざとじゃありません)。
「ハ長調のドレミをキーAにずらすと…」みたいに捉えて「いちいちそんなことやってられるか」と排除していた。
が、いつなのか覚えてないけれど、ある時ふと発想が切り替わった。

楽譜で見て「ラシド♯」に見えるものを無理やり「ドレミ」に切り替える、とかじゃなくて、そういえば昔から「自分の耳に聴こえる聴こえ方」では自然と「ただのドレミ(音名は知らんけど)」と聴こえてたじゃん!と。
要するに、その「聴こえ方」の通りに楽譜も読めば良い、ただそれだけのこと。

そのことに気づいた時、私はむしろ逆上してしまったのだった(その後何度もその激情はフラッシュバックしている→そういう時に私の口調は無駄に攻撃的になってしまう)。
「なんでこんなに簡単なことに何十年も気づかなかったの⁉️」と。
あまりにも悔しくて、つい人のせいにしてしまった(いや半分は事実なんだけど)

その事実=「街のピアノ教室に通っている子たち」と私も一緒になって「そんなのドじゃない!」と騒いでその時の音楽の授業が成立しなくなってしまった、という事件が、確か小3〜4の時に起きた。

が、考えてみれば、たとえそういう事態に陥ったとしても、その後何度か適切な階名唱を教わる機会はあったので、その時点で思い込みが解ければそこから先はごくごく当たり前の階名唱で音楽できるようになっていたのかもしれない。

しかし、私の場合残念だったのは、一旦歪んだ形で認識してしまったら、その思い込みは強固でなかなか解けないものになってしまうところだった。

その他に、もう一つの問題があった。
それは「世間様も何となくそれで通ってしまう」ということだった。
私が関わってきたアマチュア時代に一緒に音楽をやってきた人で、私に「移動ド」を使うように促した人はいない。

…いや、多分違う。「実は正しい階名唱を知っている」という人がいたとしても、私にちょっぴり提示してみて、私が少しでも拒むそぶりを見せればそれっきり引っ込めてくれていたのだろう。

そういう「固定ドへの無言の配慮」が横行する程度には、少なくともアマチュア音楽領域は固定ドがすっかり蔓延してしまっている。
まあ、一つには「ドレミに言及する時=楽器操作を伴う時」にほぼほぼ限られているから、ということもあるだろう。
歌なんて殆ど全て「耳コピ*」だけだった。

*ここで言う「耳コピ」は決して楽譜に触れることのない「耳から聴いて直接その通り演奏する」というやつだった。
もちろん私はなんとなく(移動ドの)ドレミは感じていたし、多分それを拠り所にして自分の歌唱や演奏を作り上げてきたのだろうけれど、その自覚はほとんど無かった。

だから階名感覚そのものがとても曖昧な(小学生程度の)ままだったし、だからたまに転調した曲を覚えようとしても、うまく覚えられなかった。
まあ、ほとんど意識的に扱うことがないんだから、たまに思い出してちょっとやってみる程度ではろくな進歩もなかったのだった。
そもそも否定してたんだし。

…それやこれやを思うと、
・私は早く強い思い込みから脱却するべきだった
・周りがどうだろうと適切な階名唱そのものは身につけるべきだった
・誰かからちゃんと教わるべきだった
と思う。

>誰かからちゃんと教わるべきだった
は、これまた私が「人から教わるのが嫌い、何でもマイペースに取り組まないと続かない」という気質的な問題(ADHD)もあった。
まあ、それに気づくにも何十年もかかったんだけど…
誰かからちゃんと教わろう、という気になれなかったのも、多分「自分はアマチュアで良いから」と諦めていたからなのだろう。

今世紀になってから、いよいよ自分には音楽以外はできないのだ、と気づいて、ある意味本格的に取り組もうとした時、それやこれやで有耶無耶にしてきた数十年のツケが回ってきたのかもしれない。
…或いは、もう本能とかそういう領域で、ひたすら必然的な課題にぶつかってはクリアしてきただけ、かも?

上の方に書いた
>ある時ふと発想が切り替わったのだった
というのも、自分が一五一会を教える立場で必然的にぶつかったハードルだった。

…と、ここまでだけでもずいぶん長いけど、ここから先を書いてもまた話がとても長くなってしまうので、今は一旦ここまで。

(たぶん続く?)