9月の目標(追記)
。。。。。。
⭐︎9月中
目標1
ボスキャリで受ける企業のESを9月の25日までに提出しきる。
目標2
海外赴任を目指せる日本のメーカー(できれば自動車関連)の企業を紹介してくれる就職エージェント(最低5社)にかたっぱしからコンタクトを取り、企業を紹介してもらい受ける。
目標3
ES対策、面接対策の本を読み研究する。(最低2冊)
⭐︎今週中の目標
目標1
ボスキャリで志望度の高い企業3社のESを提出する。
目標2
ES、面接対策の本を一冊読みきる。
⭐︎明日の目標
目標1
明後日選考受ける企業の対策をする
.....
今日の反省
無駄に時間使いすぎ。とにかく時間使うのうまくなろう。
今日考えたこと
今日ずっと考えてたんですが、僕は昔からみんながやっている、はやっていることの中で、とにかく頑張ってがむしゃらに一番になろうとする性格だってことに気づきました。目立ちたがり屋の負けず嫌いってとこですかね。ちょっと今日考えたこと書いていこうと思います。
幼稚園時代から足が速かったというのもありますが、
小学校時代は足の速い子が周りからもてはやされていたので、かけっこでは絶対クラス一番になりたいと思っていました。そのためにとにかく外で走り回っていました。結果としては小3から小6までずっとクラス代表のリレーの選手やっていました。クラス内では常に2,3番目の足の速さでしたかね。あと小学校時代はスマブラが流行っていたのでこれもとにかく一番になりたかったので朝、昼、夜ずっとやって極めようとしてました。スマブラは負けたらめちゃくちゃ悔しくて泣いたこともありました。友達に八つ当たりもしてましたね。笑 結果としては全校2位くらいの実力にはなりました。そのほか流行ってるゲームはとにかく極めようとしていました。
中学校時代は小3から続けているテニスを続けてテニス部に入部したんですが、テニスは流行ってるわけでもなく、さらに大会もなかったので、周りからの脚光を浴びたかった僕としては物足りなさを感じ所属しているだけでした。なので特に力を入れたのは、その時流行っていたモンスターハンターとペン回しです。モンハンはもう超流行っていたので、競いがいがありました。全校で最強のハンターになってやるぞぐらいでした。笑 結果的には超マイなー分野ですが、リオレウスの討伐数で一番にはなりました。笑 500体は狩りました。笑ハンターとしての腕前としては多分全校2位くらいだったかなと思います。ペン回しも大流行だったんで、一番うまくなってやるぞって思ってました。結果これも2位ぐらいのうまさでした。一位になれないんですよねなぜか。笑 高校受験は?と思う方もいると思いますが、その時にいい高校に行けることが特にすごいことではないと周りも自分も思っていたので、高校受験は無難に中くらいの頭の良さの高校に行きました。
高校の時も最初テニス部に所属しようとしたんですが、これは中学の時ちゃんとやってなかったのと、特にテニスが流行っていなかったのです辞めました。で目立ちたがり屋の負けず嫌いな僕は脚光があびれそうな軽音部に所属することにしました。担当はギターで、よし、軽音部でギター一番うまくなって脚光あびてやるぞ!って思ってました。結果周りからは学年で一番うまいギタリストと言われ、初めて周りの中で一番になりました。笑 て言ってもギタリスト10人ほどのなかですが。笑 もうとにかく弾きまくってたのを覚えています。家帰ったらずっと手の皮がむけまくるほどギター弾いてました。外バンも組んでオリジナル作って大会に出場なんかもしてました。結果はCD審査通った後の生演奏審査で落ちましたが。笑 あと高校では引き続きモンハンもやってたのですがあまり流行っていなくてすぐ辞めました。やっぱ周りがやっててその中で一番目指すのがやりがい感じるんですよね。それで極め付けは大学受験。僕の高校ではMARCHレベルが毎年行けて1人2人というレベルであったため、大学受験てみんなやるし、MARCH行くのはすごいと周りも言ってるし、しかもこのレベルに行けたらめちゃくちゃ脚光あびれるんじゃね?と思った僕は大学受験をとにかく頑張りました。毎日10時間は勉強したかなと思います。偏差値40代のぼくとして辛かったですが、結果として見事現役でMARCHに入りました。もちろん脚光は浴びました。しかしその年のうちの学年は頭がよく確かうちの学年だけでMARCH以上は20人はいたかな?という快挙だったので、ものすごく脚光をあびたわけではなく少し悔しかったです。笑 ただ周りの友達や先生からは僕が一番がんばったと言っていただいて嬉しかった思い出があります。もちろん浪人せずそのままその大学に進みました。
大学では最初はまたしても脚光を浴びたいなとは思っていました。笑 大学1年次からまず話しますが、最初は王道でサークルに所属して脚光あびてやるぞと思ってました。テニスサークルと軽音楽サークルに入ったのですが、これはすぐに辞めました。大学だとこれらをきわめても周りから脚光も浴びないとわかったので辞めました。なんかがんばってるとカッコ悪いみたい風潮があってあまり好きにはなれませんでした。ここからただ脚光を浴びたいと思ってた自分に転機が訪れました。ある国立大の女の子と交流する機会があり、一緒に飲みに言ったりする中で、彼女の将来に対する考え方がとても優れており圧倒されました。自分はそういった将来に対するビジョンがまったくないことに気づき、今までただ脚光をあびるためにがんばってきた自分がとても恥ずかしくなりました。そこから将来に対して真剣に考えるようになりました。余談ですが僕はこの女の子が好きになり、告白しましたが振られました。笑 高校時代も恋愛では挫折してたのですが、これが人生最大の恋愛の挫折だったと思っています。笑こんな苦しいことあるのかと思っていました。笑 まそれはさておきそこから将来に対して真剣に考えるようになりました。あと1年次から1年半ほど居酒屋でキッチンをやっていました。とにかく社会経験をつんでみたかったので友達に誘われて始めましたが、このあと地獄が待っていました。笑 居酒屋に一人常に怒鳴り散らしてくる上司がいて僕は徹底的に精神を追い込まれました。笑その当時はキッチンは1年生は僕のみであとは先輩という状況で、先輩も冷たく相談もしにくく辛かったです。本当に精神を病むレベルでした。笑なんどベッドでないたかわかりません。笑 バイトに行く前はもう鬱でしょうがなかったです。笑しかし僕はこれが初バイトであったためこれが当たり前の社会の厳しさであると思っていたので、これが乗り切れなかったら社会ではやっていけない!と己を振るいたたせてその上司と先輩がいなくなるまでがんばって続けました。その上司と先輩が抜けたあとは楽チンすぎて、なにも得ることがないと思ってしまったのですぐ辞めてしまいましたが。笑 ただこの経験を通して上下関係に対する強靭なメンタルを身につけることができました。僕はこの先会社に入社していくら雷上司に怒られても病まない自信はあります。笑 バイトに関してはこんなもんです。はなし戻しますが、大学1年の頃にであった女の子がきっかけに将来を真剣に考え始めた僕は、自分がなにをしたいんだろうと考え始めました。僕はこの女の子が看護師を目指したいといっていたことに感化された+中1-高1までクラスで弱い立場であったことを考え、社会的に立場の弱い人や、理不尽な扱いを受けた人を救えるようになりたいと思いました。大学入るまでただ脚光をあびたいと思っていた自分とはえらい違いです。笑 それを考えた結果大学1年の春に、まず東北大震災のボランティアに行きました。被災地を見たときは言葉がなにも出ませんでした。ほとんどこの被災地のためになにもできない自分がとても小さな存在に見えました。このときに将来は多くの人を救えるひとになるぞと決意しました。大学1年生はこんなとこです。
大学2年次はその決意を胸に夏休みに若者就労しえんのNPOで一ヶ月働きました。ここで多くの社会的立場の弱いひととふれあい、さらにその決意は強くなりました。ただここまでほぼ自分一人で決めてきたため、もっと多くのひとと触れ合ってから決めてもいいのでは?と思ったので、ある学生団体に入り、ひとと向き合うことを徹底的しました。結果的に僕はこの学生団体を通し子供がとても好きであることがわかり、子供を救える仕事をしようという気持ちでいました。子供を救える仕事ってなんだろうと考えたら一番は教育だと思ったので教職の道をそのときは考えていました。僕は世界の出来事にも’それなりに興味があったため世界の子供たちの貧困が日本の子供’たちよりひどい’ということをしっていました。ということで僕は世界の子供’を助けることができなければ日本の子供も救うこともできないよねという思いを持ち大学2年生の春に一週間カンボジアのボランティアに行くことにしました。そこで実際いった感想ですが以外にも子供たちやその国の人たちはそこまで自分達の状況に悲観的ではなく前向きでありました。子供たちを救いにきたのに’ちょっと拍子抜けでした。笑本当にどの子も日本人の子より明るいんじゃないかという印象でした。お金をねだりに来る子もいたのですがそういった子は孤児院に預けられそこでのびのびとしてる感じでした。本当にものすごく元気。笑そこで感じたのは意外や意外にも子供たちはそこまで救いを求めていないのでは?ということでした。逆にショックを受けたのは、生活インフラに関することでここは日本に比べてまだまだだなと思いました。特に水は飲んだらお腹壊すレベルです。笑 ここで思ったのは自分はこういった生活インフラを支えるのもありでは?と思ったことなのですが、なんとはなしにそれはつまり日本の企業のインフラに業界に津止めることになるわけですが。でもインフラだったら日本の企業じゃなくてもできないか?と思ったのであまりしっくりきていませんでした。そこで僕がもう一つ驚いたことはこの国では日本のバイク’、特にホンダさんのカブがものすごい流通していてそこらじゅうびゅんびゅん走っていたということです。一台に5人は乗っているレベルです。笑 僕はその時思ったのですが、発展途上国では生活水準の低いと言われている国でも、生きて行くだけに必要な食料や生活環境は整いつつあるし、これからはそれ以上の水準を埋めていくほうが需要があるのでは?と思い、このホンダのカブを町中で見た経験から(後に日本のものつくりは世界的に評価が高いことも知ったことも合わせ)、日本のものつくりに関わり世界を支えたいと思うようになりました。正直カンボジアの子供の予想外のそこまで生活困ってないです、人生楽しいですみたいな雰囲気に触れたことで、世界の子供を救うということに興味がなくなり、日本の子供もこの国に比べたら救う余地なんかあるのかな?いやないと思ってしまいました。めちゃくちゃ裕福ですよ日本の子供、というか日本全体に言えることですが。そしてここで日本のものつくり(カンボジアの経験からバイクや車業界に関わると決めました。)で世界を支えるという目標に変え、将来は海外にでることも考えられたため、留学をする決断と、英語を勉強する決断をしました。留学先はかなり迷ったのですが、海外駐在を目指すとなると、海外で日本のものつくりを支える就労経験をすることとと、英語を常に話す環境があるといいなと思っていたのでこれがかなえられそうな留学プログラムでいいのがあったため、アメリカに決めました。国は上記の条件が満たせればいいと思っていました。(後に日本のものつくりはこれからは新興国に積極的に進出するということも知り、インターンと英語ならフィリピン留学とかもありだったなと思ったのですが時すでに遅し笑業界研究が甘かったかな、、でも後悔はないです。) それで大学3年生の終わりから1年休学し1年間のアメリカ留学が決まりました。そして英語の勉強も猛烈にしました。留学までの10ヶ月間やすまず勉強し続けつき平均150時間を大学の70単位の授業で並行しながらやるなどめちゃくちゃストイックにやっていました。ここで気づいたんですが僕は脚光をあびたいと思わなくても自分の目標があれば頑張れるタイプなんだなと思いました。この経験からさらに、昔は勝ち負けにこだわっていたけど、自分の目標だったり、自己実現に向かって頑張るほうが自分らしいということに気づきました。これは今の就活スタイルにも表れていると思います。これを知らなかったら就活も周り見てとにかく勝ち組っぽい企業選びをしていた気がします。昔の自分みたいに。それで入っても別にいいとは思いますが結局僕の場合、僕の大学1年生の時みたいに自分何したいんだろうって悩む気がします。なので今このことに気づけたのはけっこうよかったのかなと思います。でもまだ行き先決まってないので、早くいき先決めろよと自分を叱咤しなければダメですね。笑
話戻りますが、留学先では常に将来の自分に必要そうな経験を蓄えてきました。具体的には話しませんが、授業、インターンシップ、クラブの立ち上げ、ボランティア活動など取り組んでいたらあっという間に留学が終わりました。で、帰ってきて就活が始まるわけですが、自分が知っているとこをかたっぱしから受けていたらそういった企業は大手、や人気企業であったためそういった企業しか知らなかったのでめちゃくちゃ苦戦しました。いくら留学経験あると言ってもMARCHですし身の程をわきまえないといけないのかなと思いました。落ちまくって落ち込んだりしましたが、メンタルはタフなので今までがんばってきていて今に至ります。業界はあいかわず自動車やバイク業界で部品メーカーあたりを見ています。就活してきて思うことは本当自分全然会社のこと知らなかったということです。自分が思うより、会社でめちゃちゃいっぱいあることを知りました。あと志望動機があいまいすぎたなってのもあります。もっと会社について知って志望動機を練り上げなきゃダメなんだということを知りました。まだまだボスキャリまで就活は続きますが日々精進です。辛いこともありますがこれは自分を鍛えるための修行です。思うんですが自分が辛いことにぶち当たったときこそそれに立ち向かうことが僕は’将来の自分幸せにつながるとおもっています。今辛いことを乗り越えられれば今のレベルの辛さは将来の自分にはまったく辛いことではなくなるので、結果楽になって、幸せが増えるのではないかという考えです。まあこの話はまた今度に。ほんと自分と合う会社を早く見つけたいと思っています。ちょっと考えたことだけ書くつもりでしたが完全自分語りになってしまいましたね。笑 それでは!
。。。。。。
⭐︎9月中
目標1
ボスキャリで受ける企業のESを9月の25日までに提出しきる。
目標2
海外赴任を目指せる日本のメーカー(できれば自動車関連)の企業を紹介してくれる就職エージェント(最低5社)にかたっぱしからコンタクトを取り、企業を紹介してもらい受ける。
目標3
ES対策、面接対策の本を読み研究する。(最低2冊)
⭐︎今週中の目標
目標1
ボスキャリで志望度の高い企業3社のESを提出する。
目標2
ES、面接対策の本を一冊読みきる。
⭐︎明日の目標
目標1
明後日選考受ける企業の対策をする
.....
今日の反省
無駄に時間使いすぎ。とにかく時間使うのうまくなろう。
今日考えたこと
今日ずっと考えてたんですが、僕は昔からみんながやっている、はやっていることの中で、とにかく頑張ってがむしゃらに一番になろうとする性格だってことに気づきました。目立ちたがり屋の負けず嫌いってとこですかね。ちょっと今日考えたこと書いていこうと思います。
幼稚園時代から足が速かったというのもありますが、
小学校時代は足の速い子が周りからもてはやされていたので、かけっこでは絶対クラス一番になりたいと思っていました。そのためにとにかく外で走り回っていました。結果としては小3から小6までずっとクラス代表のリレーの選手やっていました。クラス内では常に2,3番目の足の速さでしたかね。あと小学校時代はスマブラが流行っていたのでこれもとにかく一番になりたかったので朝、昼、夜ずっとやって極めようとしてました。スマブラは負けたらめちゃくちゃ悔しくて泣いたこともありました。友達に八つ当たりもしてましたね。笑 結果としては全校2位くらいの実力にはなりました。そのほか流行ってるゲームはとにかく極めようとしていました。
中学校時代は小3から続けているテニスを続けてテニス部に入部したんですが、テニスは流行ってるわけでもなく、さらに大会もなかったので、周りからの脚光を浴びたかった僕としては物足りなさを感じ所属しているだけでした。なので特に力を入れたのは、その時流行っていたモンスターハンターとペン回しです。モンハンはもう超流行っていたので、競いがいがありました。全校で最強のハンターになってやるぞぐらいでした。笑 結果的には超マイなー分野ですが、リオレウスの討伐数で一番にはなりました。笑 500体は狩りました。笑ハンターとしての腕前としては多分全校2位くらいだったかなと思います。ペン回しも大流行だったんで、一番うまくなってやるぞって思ってました。結果これも2位ぐらいのうまさでした。一位になれないんですよねなぜか。笑 高校受験は?と思う方もいると思いますが、その時にいい高校に行けることが特にすごいことではないと周りも自分も思っていたので、高校受験は無難に中くらいの頭の良さの高校に行きました。
高校の時も最初テニス部に所属しようとしたんですが、これは中学の時ちゃんとやってなかったのと、特にテニスが流行っていなかったのです辞めました。で目立ちたがり屋の負けず嫌いな僕は脚光があびれそうな軽音部に所属することにしました。担当はギターで、よし、軽音部でギター一番うまくなって脚光あびてやるぞ!って思ってました。結果周りからは学年で一番うまいギタリストと言われ、初めて周りの中で一番になりました。笑 て言ってもギタリスト10人ほどのなかですが。笑 もうとにかく弾きまくってたのを覚えています。家帰ったらずっと手の皮がむけまくるほどギター弾いてました。外バンも組んでオリジナル作って大会に出場なんかもしてました。結果はCD審査通った後の生演奏審査で落ちましたが。笑 あと高校では引き続きモンハンもやってたのですがあまり流行っていなくてすぐ辞めました。やっぱ周りがやっててその中で一番目指すのがやりがい感じるんですよね。それで極め付けは大学受験。僕の高校ではMARCHレベルが毎年行けて1人2人というレベルであったため、大学受験てみんなやるし、MARCH行くのはすごいと周りも言ってるし、しかもこのレベルに行けたらめちゃくちゃ脚光あびれるんじゃね?と思った僕は大学受験をとにかく頑張りました。毎日10時間は勉強したかなと思います。偏差値40代のぼくとして辛かったですが、結果として見事現役でMARCHに入りました。もちろん脚光は浴びました。しかしその年のうちの学年は頭がよく確かうちの学年だけでMARCH以上は20人はいたかな?という快挙だったので、ものすごく脚光をあびたわけではなく少し悔しかったです。笑 ただ周りの友達や先生からは僕が一番がんばったと言っていただいて嬉しかった思い出があります。もちろん浪人せずそのままその大学に進みました。
大学では最初はまたしても脚光を浴びたいなとは思っていました。笑 大学1年次からまず話しますが、最初は王道でサークルに所属して脚光あびてやるぞと思ってました。テニスサークルと軽音楽サークルに入ったのですが、これはすぐに辞めました。大学だとこれらをきわめても周りから脚光も浴びないとわかったので辞めました。なんかがんばってるとカッコ悪いみたい風潮があってあまり好きにはなれませんでした。ここからただ脚光を浴びたいと思ってた自分に転機が訪れました。ある国立大の女の子と交流する機会があり、一緒に飲みに言ったりする中で、彼女の将来に対する考え方がとても優れており圧倒されました。自分はそういった将来に対するビジョンがまったくないことに気づき、今までただ脚光をあびるためにがんばってきた自分がとても恥ずかしくなりました。そこから将来に対して真剣に考えるようになりました。余談ですが僕はこの女の子が好きになり、告白しましたが振られました。笑 高校時代も恋愛では挫折してたのですが、これが人生最大の恋愛の挫折だったと思っています。笑こんな苦しいことあるのかと思っていました。笑 まそれはさておきそこから将来に対して真剣に考えるようになりました。あと1年次から1年半ほど居酒屋でキッチンをやっていました。とにかく社会経験をつんでみたかったので友達に誘われて始めましたが、このあと地獄が待っていました。笑 居酒屋に一人常に怒鳴り散らしてくる上司がいて僕は徹底的に精神を追い込まれました。笑その当時はキッチンは1年生は僕のみであとは先輩という状況で、先輩も冷たく相談もしにくく辛かったです。本当に精神を病むレベルでした。笑なんどベッドでないたかわかりません。笑 バイトに行く前はもう鬱でしょうがなかったです。笑しかし僕はこれが初バイトであったためこれが当たり前の社会の厳しさであると思っていたので、これが乗り切れなかったら社会ではやっていけない!と己を振るいたたせてその上司と先輩がいなくなるまでがんばって続けました。その上司と先輩が抜けたあとは楽チンすぎて、なにも得ることがないと思ってしまったのですぐ辞めてしまいましたが。笑 ただこの経験を通して上下関係に対する強靭なメンタルを身につけることができました。僕はこの先会社に入社していくら雷上司に怒られても病まない自信はあります。笑 バイトに関してはこんなもんです。はなし戻しますが、大学1年の頃にであった女の子がきっかけに将来を真剣に考え始めた僕は、自分がなにをしたいんだろうと考え始めました。僕はこの女の子が看護師を目指したいといっていたことに感化された+中1-高1までクラスで弱い立場であったことを考え、社会的に立場の弱い人や、理不尽な扱いを受けた人を救えるようになりたいと思いました。大学入るまでただ脚光をあびたいと思っていた自分とはえらい違いです。笑 それを考えた結果大学1年の春に、まず東北大震災のボランティアに行きました。被災地を見たときは言葉がなにも出ませんでした。ほとんどこの被災地のためになにもできない自分がとても小さな存在に見えました。このときに将来は多くの人を救えるひとになるぞと決意しました。大学1年生はこんなとこです。
大学2年次はその決意を胸に夏休みに若者就労しえんのNPOで一ヶ月働きました。ここで多くの社会的立場の弱いひととふれあい、さらにその決意は強くなりました。ただここまでほぼ自分一人で決めてきたため、もっと多くのひとと触れ合ってから決めてもいいのでは?と思ったので、ある学生団体に入り、ひとと向き合うことを徹底的しました。結果的に僕はこの学生団体を通し子供がとても好きであることがわかり、子供を救える仕事をしようという気持ちでいました。子供を救える仕事ってなんだろうと考えたら一番は教育だと思ったので教職の道をそのときは考えていました。僕は世界の出来事にも’それなりに興味があったため世界の子供たちの貧困が日本の子供’たちよりひどい’ということをしっていました。ということで僕は世界の子供’を助けることができなければ日本の子供も救うこともできないよねという思いを持ち大学2年生の春に一週間カンボジアのボランティアに行くことにしました。そこで実際いった感想ですが以外にも子供たちやその国の人たちはそこまで自分達の状況に悲観的ではなく前向きでありました。子供たちを救いにきたのに’ちょっと拍子抜けでした。笑本当にどの子も日本人の子より明るいんじゃないかという印象でした。お金をねだりに来る子もいたのですがそういった子は孤児院に預けられそこでのびのびとしてる感じでした。本当にものすごく元気。笑そこで感じたのは意外や意外にも子供たちはそこまで救いを求めていないのでは?ということでした。逆にショックを受けたのは、生活インフラに関することでここは日本に比べてまだまだだなと思いました。特に水は飲んだらお腹壊すレベルです。笑 ここで思ったのは自分はこういった生活インフラを支えるのもありでは?と思ったことなのですが、なんとはなしにそれはつまり日本の企業のインフラに業界に津止めることになるわけですが。でもインフラだったら日本の企業じゃなくてもできないか?と思ったのであまりしっくりきていませんでした。そこで僕がもう一つ驚いたことはこの国では日本のバイク’、特にホンダさんのカブがものすごい流通していてそこらじゅうびゅんびゅん走っていたということです。一台に5人は乗っているレベルです。笑 僕はその時思ったのですが、発展途上国では生活水準の低いと言われている国でも、生きて行くだけに必要な食料や生活環境は整いつつあるし、これからはそれ以上の水準を埋めていくほうが需要があるのでは?と思い、このホンダのカブを町中で見た経験から(後に日本のものつくりは世界的に評価が高いことも知ったことも合わせ)、日本のものつくりに関わり世界を支えたいと思うようになりました。正直カンボジアの子供の予想外のそこまで生活困ってないです、人生楽しいですみたいな雰囲気に触れたことで、世界の子供を救うということに興味がなくなり、日本の子供もこの国に比べたら救う余地なんかあるのかな?いやないと思ってしまいました。めちゃくちゃ裕福ですよ日本の子供、というか日本全体に言えることですが。そしてここで日本のものつくり(カンボジアの経験からバイクや車業界に関わると決めました。)で世界を支えるという目標に変え、将来は海外にでることも考えられたため、留学をする決断と、英語を勉強する決断をしました。留学先はかなり迷ったのですが、海外駐在を目指すとなると、海外で日本のものつくりを支える就労経験をすることとと、英語を常に話す環境があるといいなと思っていたのでこれがかなえられそうな留学プログラムでいいのがあったため、アメリカに決めました。国は上記の条件が満たせればいいと思っていました。(後に日本のものつくりはこれからは新興国に積極的に進出するということも知り、インターンと英語ならフィリピン留学とかもありだったなと思ったのですが時すでに遅し笑業界研究が甘かったかな、、でも後悔はないです。) それで大学3年生の終わりから1年休学し1年間のアメリカ留学が決まりました。そして英語の勉強も猛烈にしました。留学までの10ヶ月間やすまず勉強し続けつき平均150時間を大学の70単位の授業で並行しながらやるなどめちゃくちゃストイックにやっていました。ここで気づいたんですが僕は脚光をあびたいと思わなくても自分の目標があれば頑張れるタイプなんだなと思いました。この経験からさらに、昔は勝ち負けにこだわっていたけど、自分の目標だったり、自己実現に向かって頑張るほうが自分らしいということに気づきました。これは今の就活スタイルにも表れていると思います。これを知らなかったら就活も周り見てとにかく勝ち組っぽい企業選びをしていた気がします。昔の自分みたいに。それで入っても別にいいとは思いますが結局僕の場合、僕の大学1年生の時みたいに自分何したいんだろうって悩む気がします。なので今このことに気づけたのはけっこうよかったのかなと思います。でもまだ行き先決まってないので、早くいき先決めろよと自分を叱咤しなければダメですね。笑
話戻りますが、留学先では常に将来の自分に必要そうな経験を蓄えてきました。具体的には話しませんが、授業、インターンシップ、クラブの立ち上げ、ボランティア活動など取り組んでいたらあっという間に留学が終わりました。で、帰ってきて就活が始まるわけですが、自分が知っているとこをかたっぱしから受けていたらそういった企業は大手、や人気企業であったためそういった企業しか知らなかったのでめちゃくちゃ苦戦しました。いくら留学経験あると言ってもMARCHですし身の程をわきまえないといけないのかなと思いました。落ちまくって落ち込んだりしましたが、メンタルはタフなので今までがんばってきていて今に至ります。業界はあいかわず自動車やバイク業界で部品メーカーあたりを見ています。就活してきて思うことは本当自分全然会社のこと知らなかったということです。自分が思うより、会社でめちゃちゃいっぱいあることを知りました。あと志望動機があいまいすぎたなってのもあります。もっと会社について知って志望動機を練り上げなきゃダメなんだということを知りました。まだまだボスキャリまで就活は続きますが日々精進です。辛いこともありますがこれは自分を鍛えるための修行です。思うんですが自分が辛いことにぶち当たったときこそそれに立ち向かうことが僕は’将来の自分幸せにつながるとおもっています。今辛いことを乗り越えられれば今のレベルの辛さは将来の自分にはまったく辛いことではなくなるので、結果楽になって、幸せが増えるのではないかという考えです。まあこの話はまた今度に。ほんと自分と合う会社を早く見つけたいと思っています。ちょっと考えたことだけ書くつもりでしたが完全自分語りになってしまいましたね。笑 それでは!