母親の頑張りにも限界が近づき、まだ小さい私に
「どこか、楽しいところに二人で行こうか?」
と、声をかけられたのを覚えてます。
いつもなら「うん」と言うはずの私がその時は何故か「いや!」と言ったらしい。
何も考えずに返事したことが、大きくなってから聞かされましたが、
「あの時、行くって返事してたら二人で死ぬつもりやった」
って聞かされました。
限界だったらしく、この子もこのまま生きていても辛いだけだから弟は祖母に預けてそのまま消えようとしたらしいです。

あの時の私のいやがり方がいつもとは違うかったとらしいです。
この子は何か感じてるに違いないと思い、思いとどまったとのことす。

小学校に入ってからは、一年生から鍵っ子。
弟は相変わらず向かいのおばさんの家。
祖母が心配して常に家に電話をしてきていました。

続く…
私が保育所に入るときも役所に呼び出され、母親と役所の人が部屋に入り、私は別の役所の人に食堂へと連れて行かれたのを覚えています。
どれくらい時間が過ぎたかわかりませんが母親が迎えに来て、再度部屋の中に…。
役所の人が「息子さんを普通に保育所に入れることはできません」母親の目から涙。
記憶はそれぐらいです。
年長組からは普通に保育所にいってた記憶がありますので、母親が何度も掛け合ってくれたのだと思います。
弟は向かいの家のおばあさんに預けられていました。
何度か私も入退院を繰り返していましたので、弟は母親に「こんにちは、おばちゃん」と笑顔で声をかけたそうです。
自分のお母さんと言う意識が無かったのでしょう。

母子家庭で子供二人、しかも片方は病気での入退院。
生活は非常に厳しいものだったと思います。

続く〓
なんとか二度目の手術も無事終わりましたが、もって三歳までと告げられました
なんとか半年後には家に戻れました。
四歳にになるころ両親は、兄弟をと考え弟が誕生。
弟は私と違い超健康!
しかし、私は毎週のように救急車で運ばれ発作で脈拍が300近くあったらしいです。
人混みは避けるように言われていたらしいのですが、父親は「三歳までなら思い出に少しでもなるようにいろんなところに連れて行く」と仕事を辞め色々連れて行ってくれました。
運良く体力もつき始めた五歳の時にペースメーカーの植え込み手術。
これも、何時間とかかったらしいです。
大人なら血管に管を通して済むらしいのですがまで身体が小さい上にこれからの成長もあるので心臓からお腹までコードを入れる為、腹、背中、胸すべての箇所を同時に手術しました。

三歳までと告げられたのになんとか生きられましたが、その頃には両親は離婚していました…。
やはり喧嘩が耐えなかったみたいです。
父親の親族からも母親に「あなたが悪いからこんな子が産まれてきた」と言われていたみたいです。
私自身の記憶にも両親が喧嘩して母親が泣いているシーンがあります。
小さい頃の記憶は両親の喧嘩・私への虐待しかないです。
母親は一人で弟と病気の私を育ててくれました。

続く…