前回の記事のあらまし。
ネットリレー唱題の主催者、○○村管理人。
問題が起これば、責任を取ると明言。
○○村管理人のリアル知人Uが、ネットリレー唱題の参加を募る。
ところが参加しないと明言した者に、メッセージやコメントで、Uからの嫌がらせが発生した。
ネットリレー唱題の参加、不参加の問題ではなく、
ネットリレー唱題の是非で、嫌がらせが発生し、同志分断が起こったのだ。
この責任の所在については、責任を取ると明言した○○村管理人に、Uからの受けた被害について、責任を問うのは当然と言えば当然である。
前回の記事はここまで。
さて、Aの訴えは なう でされている。
ところが、それが気に入らず、批判する者は悪口とする○○村管理人。
悪口といえる部分は、Aに簡潔に苦言を呈するべきである。
またAが発信する権利もあれば、○○村管理人に、それを批判する権利もある。
しかし。
事もあろうに、Aにこの様なコメントをする。
ここで注目したいのは『嘘でも何でも書く』との部分。
明らかな脅しである。
されたくないなら、上記に述べてきた責任を問うのをやめろという事だ。
『脅しと思うならやめなね』
この文も矛盾している。
Aにやめさせたい。
これはわかる。
本来の目的は『やめさせたい』
おわかりだろうか?
この文の違和感。
目的はやめさせたい。
言い換えるなら、、、
『脅しと思うなら、目的通りだ(やめなね)』
つまりは、
『脅しだと思うなら、その通りだ』と言っているのです。
だから違和感を感じるのである。
本来は『脅しと思うなら、誤解です。これは忠告です』と私なら書くだろう、
和解をしたいならば、双方が歩み世ならければならない。
感情的になるAの問題もあるだろう。
ただ、ここには書けない、プライベートに関わる嫌がらせも多数あった様だ。
ここでは仕方なく、今後の課題として、割愛させて頂く。
だが、他にもあるという事を念頭において欲しい。
その細かな嫌がらせなどに関しては、Uに問いただすのが一番の近道であろう。
○○村管理人はUの知人だが、こんな事をコメントしている。
この点にはオカシイとの声が上がっている。
Uはブログを1度やめ、もう一度再開し、また止めると撤退した。
1度目のやめる前に、Aとはメッセージで会話をしている。
その時には、Aは新たなHNでメッセージをやりとりしている。
つまりは、メッセージをやりとりしていて、知らないとはまたおかしな現象なのだ。
因みにメッセージの写真は頂いている。(Uの名前は伏字)
第三者の名前もある為、公開は避ける。
Uの勘違いなのか、嘘をついているのか。
それを伝えた○○村管理人が嘘をついているのか。
それはわからない。
同志分断の根源になった、ネットリレー唱題是非での嫌がらせ。
これがなければ、お互いが、お好きにどうぞ。で終わっていたのではないか?
私の様な学会員でもない者からみれば、今回の件。
綺麗事を言いごまかしてはいるが、結局は、参加を募り嫌がる者に、意地悪をしただけに思えるのだが?
嘘つきが誰であるか。
写真と言う証拠がある分、AとBの訴えは信憑性があるだろう。
口ばかりは誰だろう?
さて。
今回の件。
総じて責任は誰にあるのか?
責任を明言した者に聞いてみたい者である。
(知りません、わかりません、で通すだろう)
仏法者の皆さん。
正視眼はお持ちですね?
記事その①で嘘つきが絞られた。
嘘つきの嘘を信じ、真の事を言う者を貶す。
その行為を仏法では何というか。
是非、教えて頂きたい。