東日本大震災から昨日で11年経過しました。

少しでも多く記憶に残っていることを記録しておこうと思います。


あの日は地震が起きると山形県で1番震れる中山町の職場にいました。

その日は遅番で、昼から仕事。

地震が起きたとき近くの棚が大きく揺れたのでみんなで押さえた。

何処かで何かが崩れた音がした。後でわかったことだが、二階の倉庫の物が崩れて倉庫が開けられなくなっていた。

停電していて情報が全く入ってこない。たまたま私の持っていたポケットラジオだけが情報源だった。津波警報が出ていたのはわかったが、津波発生前だったのか、震度情報しか流れていなかった気がする。

家族の安否は電話は繋がらなかったが、メールで安否確認出来た。保育園に行っていた息子も凄く震れて怖かったと言っていた。

上司に確認するが仕事が終わったら帰っていいとしか言われなかった。通常の締め処理もできないまま9時過ぎ仕事が終わり帰宅。当然、街灯や信号も消えている、真っ暗な中帰った。地震で国道にもひび割れがはしり、注意して走行しなければなかった。