国内の現居住地域から他の居住地域への移住、新型コロナの感染拡大を受けて、この2年間で広まった、とされています。確かに、私の周りでも東京を離れて地方へ移住したり、生活の拠点を移したりした人は少なからずいます。中でも、お金をたくさんお持ちの方は、別荘感覚で地方に家を買ったり建てたりしているようです。

 

 こうした人の動き自体は悪い話ではありません。東京絶対思考、都会絶対思考という、一極集中思考から離れて、日本国内の各地に様々な価値を見出していくというのは、日本や地域の見方を変えることにつながり、新しい形の国土の均衡ある発展にもつながっていくかもしれません。(勿論、現在の一極集中の大きな原因の一つは、緊縮財政で国が地方に投資をしなくなり、利便性が著しく低下し、その結果人が出て行ってしまうようになり、それによってその地域の需要が減少・収縮してしまったので、商店等も閉店や移転をしてしまい、更に地域の利便性が低下するという悪循環に陥ってしまったことにあり、真に国土の均衡ある発展に戻すためには、緊縮財政から積極財政に転換することが必須ですが。)

 

 もっとも、住み慣れた地域から新しい地域に移住するというのはそう生易しい話ではありませんね。なんと言っても、移住とは単に住むところを移すということではなく、移住先の共同体に参加する、参加させてもらうということですから、移住した側の当たり前を押し通すことも、移住先の地域の当たり前に文句を言ったり異議申立てをしたりすることも、してはいけないのですから。

 

 しかも移住先の地域、共同体は、長い歴史の中で形成されてきたものであり、その歴史的経緯も重要ですし、それのみならず、その地域や共同体を気候風土、宗教的価値観、自然との付き合い方、生業といった観点から理解することは、移住において必要不可欠であると言っていいでしょう。

 

 ところが、こうしたことが分からず、理解しようともせず、移住先の地域を共同体としてではなく、自然が美しいところ、水や空気が美味しいところ、食べ物が美味しいところとしかとらえずに、都会の当たり前、自分たちの身勝手な当たり前を持ち込み、移住先の共同体に押し付けようとする移住者が増えています。

 

 中には歴史的経緯を踏まえないどころか、そんなもの無くしてしまえぐらいの勢いで否定する輩までいるとか。そこまで来ると、移住先地域を「白紙」のようにしか考えない、毛沢東主義者です。しかもそうした連中は弁が立つ者が多かったり、高学歴かつ高収入である者が多かったりするので、自分たちは移住先地域の住民よりも上の立場にいるのだと勘違いして、「問題」や「課題」を探しにかかり、それを「改善」しようと動き始めます。

 

 もっともそうした「問題」、「課題」とは、往々にして、自分たちが思っていたことと違うとか、思い通りにならないとか、要するに自分たちにとって都合が悪いこと、自分たちのワガママが通らないことだったりするのですが、もっともらしく地域全体の「問題」化して、「改善」や「解決」と称して、地域を荒らしていくのです。

 

 元々全体の調和の中で上手くいっていたものを、新参者が自分たちの考え方ややり方と違うから変えろとは、なんと横柄なことでしょう。しかも変えようと手をつければつけるほど地域はおかしくなっていって、気がつけば取り返しがつかなくなるわけですが、新参者は、そうした状況も、「この地域が抱える問題は根深い」と言って更に手を突っ込もうとするわけです。

 


まるで、「まだまだ改革が足りない!」と言って日本や地域を破壊してきた「改革派」や改革バカのようですね。否、そのものであり、単に「改革派」や改革バカが移住してきただけということです。

 

 勿論、移住者はみんながみんなそうだということでありませんが、本稿で解説したような移住者、というより破壊者は全国各地に散らばっていっているようです。

 

 人口減少に悩む地公体は今や人の奪い合いを演じていますし、国がそれを後押ししています。安倍政権下では地方創生という形で、岸田政権下ではデジタル田園都市国家構想という形で。

 

 無論これらの政策では人口減少問題は根本的には解決できませんし、これまで解説してきたとおりかえって地域にとって害悪にさえなりえます。

 

 ということで、各地公体の方々には、移住政策には慎重になっていただきたいところです。







『三橋貴明の「新」経世済民新聞』
 2022年5月10日

 国内「移住」促進は
 地域の破壊につながりうる
 


 From 室伏謙一
  @政策コンサルタント
   /室伏政策研究室代表