戦勝国による敗戦国日本への集団リンチ

それから立ち去ったのはインドだけ。







"東京裁判"


いわゆる第二次世界大戦で
敗戦した日本の罪を、戦勝国である
連合国が裁くために行われた裁判です…








*    *   *

それは昭和21年5月14日(火)、
公判5日目のこと。
ある異常事態が起こった。

日本側の弁護人の1人、
ブレイクニー弁護士
話し始めた途端、
ピタリと通訳が止まったのである。

ブレイクニー弁護士は
当然それには気付かず、
そのまま英語で
「かなり熱の入った様子で」
弁論を続けていた。

新聞記者を含む、
傍聴席に座る日本人には
そこで何が話されているのかは、
わからなかった。(?)

その後の検察側の発言も、
日本語通訳はないまま…  

ここで日本弁護団・副団長の
清瀬一郎弁護人が発言台に立ち、
強い口調でこう抗議した。

「法廷での裁判長の裁定や
検察官、米弁護人の発言内容は、
その場で日本語に
通訳してもらわないと、
被告たちには何が
言われているのか判らない。

条例には、審問及び、
それに関する手続は、
英語と被告の国語を以て行う、
とある点に注意してもらいたい」

“英語と日本語の同時通訳を行う”
というのは、この裁判が
始まるときにあらかじめ
決められていた約束だった。

それが守られないとなれば、
"そもそも法廷の審理が成り立たない"
一大事である。

清瀬弁護人はその当たり前の
ことを指摘したのだった。

それに対し裁判長は
正確に翻訳をするために
一旦保留をした」と発言し、
午前の審理は終わった。

その後、午後の法廷は
なぜか定刻より
遅れて開廷された。

どうやら休憩中、
裁判官同士で"何か重大な話”  
が交わされたらしい。

そして引き続き
なんらかの議論があったが、
いずれも日本語に
通訳されないまま
午後の休憩に入ってしまった…

*    *   *

これは連合国 VS 日本の裁判で   
実際に起こったことです。 

なぜ、通訳が突然ピタリと
止まった
のでしょうか...?

休憩中に裁判官は何を
話し合っていた
のでしょうか...?

裁判長にとって日本側に知られたくない
内容でも含まれていたのでしょうか...。


しかし、あなたは不思議に思いませんか?

なぜ、どちらの味方でもない裁判長が
突然翻訳を中止したのでしょうか?

例えば、連合国側専属の通訳人が
日本側に反論の余地を与えないために、
翻訳を誤魔化した...

という話ならまだあり得そうな話です。

ですが、今回は裁判長で
そこには一体どんな目的が
あったのでしょうか?

些細な問題に思われる
かもしれませんが、、

これがきっかけで私たちの祖先、
お爺ちゃん、お婆ちゃんは
世界の各国から「人殺し、残虐、侵略」
などのレッテルを貼られることと
なりました...。

そして、日本の歴史の事実が
ねじ曲げられその影響は現代まで
続いています...。


あの裁判で裁判長が通訳を
中止した本当の目的とは...?







そのとき、東京裁判の法廷では、何が議論されていたのであろうか…?


その内容を一般国民が初めて知れるようになったのは、それから37年経った昭和58年… 

講談社企画・製作、東宝東和配給のドキュメンタリー映画「東京裁判」が公開されたとき…

映像の中でブレイクニー弁護人は云う。 
「国家の行為である戦争の個人責任を問う事は、法律的に誤りである。なぜならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人による戦争行為という新しい犯罪を、この法廷が裁くのは誤りである。 
(中略) 
真珠湾攻撃でキッド提督が亡くなったことが殺人罪(訴因39)になるならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も、我々は承知している。彼等は殺人罪を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは、彼等の戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。 
何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!その人たちが裁いている」 
これが、打ち切られた通訳の内容だ。 



真珠湾攻撃が戦争犯罪なら、原爆投下も同じように戦争犯罪のはずだろう!という真っ当な正論だった。 

しかし、このことがGHQの占領下で公になることはなかった… 
たとえ法廷での論争であり、単なるいち弁護士の意見にせよ、「正論」が日本人の間に知れ渡る事を恐れた連合国側は、通訳者に同時通訳の一時中止を命じたのだった。 だからこそ、裁判長が清瀬弁護人に口では約束しながら、日本語訳は配布されないままに終わってしまったのである、、、 
そして正論をぶつけたブレイクニー弁護人が担当した東郷茂徳はA級戦犯の烙印を押され禁固二十年の刑を受けて獄死、梅津美治郎もまたA級戦犯・終身禁固刑を言い渡され、服役中に直腸癌により病没した。 
これがまかり通ったのが、東京裁判であった… 



東京裁判の法廷の現場で行われた不正はこんなもんじゃありません。 ・検察側資料は伝聞でもなんでも証拠資料として採用するのに、弁護側資料はなんと7~8割方が却下され、、、 
・中国共産党に関する資料にいたってはなんと75点中74点が却下され、、、(それらの証拠を見比べれば「満洲事変や盧溝橋事件が中国共産党の仕業だった」ということは明らかです) ・パール判事は全員の無罪を主張した上で「復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とは縁遠い。こんな“儀式化された復讐”は瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔を伴うこと必然である」と強く非難しています、、、 

実際、アメリカのルーズベルト大統領は「それは彼らの犯罪的な、野蛮な指導者に対しては処罰を加え、報復を加えることを意味する」(1943年2月12日)と、終戦前の段階から、あらかじめ日本に報復をすることを宣言しています、、、 ですが、残念ながら、では実際に法廷内でどのように事実が捻じ曲げられたかということを、学校が教えてくれることも、マスコミが報じてくれることもありません。 
なので、真実を学んでる人とそうでない人で、そもそもの事実認識が異なっています。 だから、あったなかったの水掛け論が戦後繰り返されているわけですが、、、  あなたもこれまであの戦争について聞いてきた話が「一方的に日本を悪者にしようとしている」ということに薄々気づいているのではないでしょうか? 
そもそも、歴史の真実はこの東京裁判で論じることを封殺されたにも関わらず、その根本の事実が取り上げられることはまずありません、、、 ですから、私たち一般人の目から見れば、本当は何が真実なのか分からないのも当然でしょう… 



東京裁判の法廷内でどんな不正があり、連合国がいかに姑息に日本をはめようとしていたかを知ることで、歴史を見る目が大きく変わることでしょう。