③信濃国の産土神に出逢う奇跡編~




 

鹿さんのニュースから始まった今日のスケジュール



善光寺参拝と美術館での鑑賞を終えて


臨時駐車場へ向かう坂道の途中右手に


見慣れない石段がありました





見上げると朱色の鳥居が

 

まるで「おいで」と誘っているようで



躊躇わず階段を登りました

 

 
階段を登りきると右手には鳥居が
 
 
 
正面に回ってみます

 


建御名方富命彦神別神社?

(有栖川宮)一品幟仁親王 幕末明治の皇族





左手には社殿がありました

 

 
 


 

境内はお世辞にも整備されているとは。。。
 
 
 
しかしながら立派な佇まいです
 
一種の威圧感すら漂って見えます



ググって口コミを調べてみると。。。
 
 

旧県社 元は善光寺本堂北側にあり年神堂といわれていた。

現在の景観は廃れた様になっているが 元々シナノ国を支配していた金刺一族(元・科野一族が改名)の居住地 見晴らしもよく水内郡を一望できたという 国造の金刺一族は諏訪大社の神主でもあるからこの神社名も諏訪神「建御名方神」と名前を重ねている可能性が極めて高い 長野~善光寺~諏訪大社の歴史を知る上で欠かせない場所の一つである

健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけ神社) 出雲と追われた武御名方命は再起を図る。善光寺のある長野市城山町は、武御名方の城の跡だろう。善光寺の西の一番高いところ、おそらくここが本丸跡と思われるところにこの神社がある。 彦神別尊は武御名方の長男で、後に善光寺平を治めた人である。
@古代日本正史 原田常治著 P384

 

なんとなんと、長野県の産土神さまですか!?


Wikipediaだと難しく書いてあるなぁ
 


ここの他に信州新町と飯山市にも

同名の神社が存在しているとの事

建御名方富命彦神別神社=水内神



話しが逸れるけど

『飯山盆地は古くは「水内海」という名の湖だったと言い伝えている』の記載が

飯山は昔は湖だったの

まぢかよっ!?



因みに 長野の地名には

上水内郡や下水内郡があって

そのむかしは水内氏が治めていたからだろう

水内とは元々は岡山が発祥の地名で

同名の苗字も岡山県と長野県が多い

国津神の移動に類似してますね

岡山から長野に水内氏が流れて来たのでしょう



諏訪大社のご祭神ですね




国津神だから出雲系

大国主神の子どもさんですね

古事記では建御雷神と争って諏訪まで逃げたと



いずれにせよ信濃国の開祖神であられますね



長いこと長野県民やってたけれど

こんな身近に長野の大神さまが祭られていたとは

知らなかったわぁ

たいへん失礼いたしました




続きます


境内の左手側には他にも社が2つあって




木匠祖神社(木工職人の祖神)





千幡社
源頼朝の子、実朝の幼名が千幡だけど関係ないね?




そして


びっくりしたのは本殿の右手側




なんと明治天皇の記念碑が

明治天皇駐蹕之処(ちゅうひつのところ)


 「駐蹕(ちゅうひつ)」とは、
天子が行幸の途中で一時乗り物を停めること。
一時その土地に駐留すること。



由緒が書かれた木板はかすれて読めない



でも明治天皇が

おでましになられた場所なのですね

鳥居の有栖川宮さまといい皇室が関係してますね



境内を歩いてみて


でもね

ここは凄いです



いにしえの空気が現代でも流れている!




良いのか何なのか

カオスw



しっかり整備すれば

長野市街地も一望出来るのにもったいない




本殿の右手側

風が吹いてます

この神社さんでは

個人の願望祈願は不敬だと感じました

そこらじゅうから眷属が見張ってます





境内で

虫に刺されたのか

自宅に帰ってから

右足首あたりがイタ痒い氣がする~っ

写真撮影の罰かもね





善光寺さんを含め

今日の参拝は全て

今までの感謝と

人類の覚醒と平和をお願いしてきました

あと宇宙時代への地球開国(開星と呼ぶのだろう)




これからは善光寺さん参拝と合わせて

こちらへも伺いたいとおもいます




最後のさいごに不思議な出合い

とても有意義な一日でした






くずりゅう龍