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今日ゎ長野の歴史について
遡ること174年前 西暦1847年の今日『善光寺地震』が発生しています
発生時刻は夜10時頃、長野市を中心に家屋の倒壊、火災が頻発し多数の犠牲者が出ました
内陸直下型の大地震でマグニチュードは7.4
長野市中心部での震度は7~6だった様です
震源地は長野市浅川地区と推定されています
(東経138.2度、北緯36.7度)
浅川周辺で天然ガスが噴出し一帯は『新地獄』とまで呼ばれたそうです
また、その日は6年に1度行われる『善光寺御開帳』の期間でもあり
善光寺周辺の宿泊客も多数被災しました
江戸期ですから当然鉄道もなく、参詣にも徒歩で何日もかけて幾つも旅籠(はたご)を利用した時代です
宿泊客のうち約8000名が亡くなっています
夜間という事もあり火災も広範囲に拡大した様です
近隣の権堂町などは3日2晩燃えたとあります
この地震では非常に多数の崖崩れや地滑り
山体の崩壊も発生しています
虫倉山の崩壊や土砂崩れで犀川が堰止められ
地震ダム湖が形成され近くの集落は沈んでしまい
地震発生から19日後には決壊
大規模な鉄砲水となり二次災害も発生しました
24時間後には日本海に到達しています
ダム湖決壊による鉄砲水被害(ご先祖さまも被災してますね)
倒壊による圧死、火災による焼死、水害による溺死
総死者数は約8000~1万2000名と云われてます
家屋の倒壊・火災・さらに水害まで発生した地震について、世間ではこの様子をもとに「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」などの狂歌まで作られたそうです。
このように善光寺地震を他人事と見ていた人々も、この後1854年に伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震、そして1855年には安政江戸地震が発生して、それぞれ死者数千に達する大地震に次々と襲われることになりました。
身近で起きた過去の自然災害を知り、個人でもできる防災対策をしたいとおもいます
来年こそは平穏な世界になり、無事に御開帳が執り行われる様に祈ります
その折には善男善女のみなさんのご参詣を心よりお待ちしております
くずりゅう