人生はその産声をあげた瞬間から始まり

最期の呼吸で幕を閉じる




それは生物としての生であり

物質的な生





生きていることを知るために

人は五感を駆使してこの世界を探知する



しかし言い換えれば
それらは五感という限られた感覚でしかなく
限られたもので観た世界しかないということ




しかも人間のそれは
地球上に存在する多種多様な生物と比べると
人間に限定された感覚であって


それを共有できるのはせいぜい類人猿で

人の身近なところで生きる犬や猫たちでさえ
人間の五感とはその優勢な感覚器官は違い
臭覚が優先されたり視覚が優先されている

しかもその感覚器官を統合している脳の作用も
人間とは別ものなのだから



果たして彼らが観る世界は

人間の感じている世界とは似て否なるもの




人の感じている世界とはそれくらい曖昧なもの



地球の環境と全く違うところで育まれた生命が
地球人と同じ感覚器官である可能性は?




ただいえることは

人も犬も猫も、魚や昆虫や植物や地球生物も

地球から遠く離れている生命も


みんな宇宙に存在する生命で

星屑からできてる




笹の葉に落ちた一滴の夜露が

小川の流れに合流して大河となり
やがては大海の波となる

海水は蒸発して蒸気となり
風にのり雨雲や或いは台風となって
いろいろな国のいろいろな場所へ移動して

わたし生命の身体の一部になる



星のカケラもまた同じこと



人生も同じで
大局的に観れば終わりも無く始まりも無い

「乗り物」が変わるだけのこと




だからこそ大切なのは
自身に偽り無く生きること



他人を騙せても
真実を知る自分まで騙すことはできない




何故なら騙した他人も
宇宙の真理ではもう一つの自身なのだからね




だからこの「乗り物」を離れる時に
後悔しない人生を過ごしたいよね


人生とは「今」の積み重ねを後から観たもの


だから「今」の判断が大切


「今」をどうしたいのか



過去の囚人にならず

佳き未来の選択者であること



それが宇宙の望む進化の姿


何よりもわたしが望むわたしの姿








くずりゅう