『満蒙開拓団』太平洋戦争前から国の主導で行われた政策。長野県は全国で一番県民を送った。国から県に開拓団募集人員のノルマが科され、一般市民は食糧配給を人質に半ば強制で大陸に渡った人もいた。少年義勇団も募集され、15歳の少年が親元を離れて陸軍の手伝いをした。これにもノルマがあった。日本人が一等国民、朝鮮人が二等で中国人は三等国民とされ、土地を半ば強制収用された中国の人々が陸軍撤退時に日本人開拓団を怒りの鉾先としたのは人情として分かる。集団で逃走する日本人。中には乳幼児を抱える女性もおり、中露の軍や暴徒といった追っ手から逃れるために、鳴き声をあげる乳飲み子を殺せと言われ自ら我が子を手に掛ける女性もいた。逃げきれずに諦めていると、幼子を預かる中国人も多くいた。戦争は敵も味方も無く、弱者からジワジワと死の淵に追いやられる。おおよそそこには正義は存在せず、皆が恐怖に支配され人間性を失い、悪魔かその悪魔の餌食となるか二者択一を迫られるのだ。残留孤児を我が子同様に育ててくれた中国人の様に、ただ無心に助けたい衝動に駆られるひともいる。もし、この21世紀の日本に同じことが起きたなら、私は後者になれる勇気があるだろうか、自信はない。