かようにして内在が超越であり超越が内在であるというところに弁証法はある。行為が同時に出来事であるということが歴史的ということであって、弁証法はかような歴史の論理である。 知識は普遍性と必然性即ち普遍妥当性をもつものでなければならぬ。さもないと真理とはいわれない。真理は普遍妥当的なものとして絶対的なものである。しかるに事実を見ると、かくの如き絶対的真理はむしろ存在しないのであって、甲が真理として主張することも乙は真理として承認せず、甲自身においても昨日真理と考えたことを必ずしも今日真理と考えるわけではない。かようにして事実としては普遍妥当的な絶対的真理の存在は疑わしく、むしろ否定されねばならぬであろう。そこでカントは事実の問題と権利の問題を区別する批判的方法によって、知識の性質を論理的に明かにしようとしたのである。この論理主義は、知識を心理的事実として見てゆく心理主義に反対する。心理主義によっては知識の本質、その普遍妥当性、その真理性を明かにすることができぬ。尤も、論理主義は知識の普遍妥当性をただ形式的に明かにするのみであって、抽象的であるといわれるであろう。しかしながら知識の普遍妥当性に対する要求は我々の先験的な自覚に属するのであり、この自覚なしにはいかなる真理探求もあり得ないであろう。
