民主主義とは、すべての価値観の存在に承認を与える価値観である。民主主義への参加は、この考え方においては、目的に達するための手段ではなく、それ自体が目的である。・・・・ ルイ・メナンド


すべてはそれぞれが独自に発信するものである。


「正しい」信念(いわゆる客観)の存在を、メナンドは前提としていない。あらゆる信念が、それを必要とする状況の相関項として把握され、その自他に対する意味合いが再提示されることになる。・・・・ 訳者あとがき


たぶん「パズル」のように、現代に対し、すべてを各自が、1ピースとして、出し尽くす必要がある。そうでなければそれは完成しないし、整合性を持たないからだ。つまり出し尽くされていないという「欠陥」を探すべきなのだ。


こうして多様性は容認される。


最後の1ピースが全てに影響を与え、しかもそれがすべてをひっくり返す大逆転、「オセロゲーム」である可能性も、歴史的であり、科学的であり、民主的なのだ。



参考文献
「メタフィジカル・クラブ」 ルイ・メナンド 著

自然エネルギーの変換過程

地産地消の変換過程

産学官ベンチャーの変換過程

資本の変換過程


本書は「直接変換」という示唆に富む



参考文献
「マグネシウム文明論」 矢部孝/山路達也 著

ダンバー氏の認知・進化人類学のキーワードは「つながり」である。


「脳」とは何か?
「長い時間」に渡って親しい関係を維持するのには、高度な脳の処理が必要であった。特に一夫一婦という一対一のつながりはより複雑な交流を必要とするので、脳が大きくないとこなせない。人類はそのような形に沿って認知・進化した。


では「言語」とは?
そして「言語」はその脳の「危機管理」の役割を果たした。「ダンバー数」とはコミュニケーションの範囲だけを示すものではない、「感染症」の遮断的役割もした。各言語の範囲が狭ければ、それだけ各言語集団は接触しない。必要以外の接触を避ける、それが連鎖と絶滅の危機を回避させてきたというのが、言語の新たな認識である。


ネット・コミュニテーやテレビ、グローバリゼーションという「短期的」な「広範囲」のコミュニケーションは、新たなつながりとして、脳の進化に今後どう影響するのか?


言語は今後も危機管理として、コミュニケーションと感染連鎖をバランスよく制御することはできるのか?


フリードマン氏が経済学を「集計量」を前提に組み立てているのに対し、ハイエク氏は「集計概念」で論じること自体に反対した。たぶんその理由は、「閾知」にあると思われる。両者はお互いを逆方向から「読んで」いたのである。



参考文献
「友達の数は何人?」 ロビン・ダンバー 著
「世界一シンプルな経済学」 ヘンリー・ハズリット 著