MAAYA -1
1959年のフランソワ .ロラン.トリゥフォー監督作品のフランス映画「大人は判ってくれない」(The 400blows)12歳の少年、アントワーヌ.ドウネルは学校にも溶け込めず、仲の良くない両親の待つ家でも自分の居場所を見つけられない。そんな孤独を味わう少年が問題児として扱われ、一層孤独を味わうことになる、さみしさに溢れたデリケートな作品。 MAAYA -1
夕食のテーブルで両親は夏の間、彼をサマーキャンプへ送ろうと話している。彼の同じ年の子供達と一緒に一夏をすごせばいいだろうという考えだ。彼が寝る時間になると自分の去った部屋からは両親の口喧嘩が聞こえる。家では家事を手伝い、そんな喧嘩などは気にしないふりをしながらも彼は心のどこかで自分が求められて生まれた子供ではないのではないかと、両親に愛されていないのではないかと感じてしまう。
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友達に誘われ、一日不登校になった彼は映画を見、ゲームをし、遊園地にも行き、つかの間の楽しい時間を過ごすのだが、街を歩き回っていると彼の母親と父親以外の別の男性がキスを交わしている所を目撃。
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冷たい真実を突きつけられ、 心の中でふつふつと湧いていた疑問が解ける。あくる日、学校へ行くと無断で休んだ日の欠席理由の手紙が彼によって偽造されたものだとバレてしまい、彼は家に帰らないことを決める。翌朝、彼は学校へ向かうのだが、授業中に母親が心配で迎えにくる。母親は愛想がよく、彼に好かれるように努力はするものの、それもまた噓のやさしさで、彼女自身の都合に合わせたもの。少年は家族3人、水入らず。両親の笑顔に囲まれ一時は幸せを味わうが、学校の授業で彼の書いた文章が盗作であることが発覚してしまうと、居場所をなくし、再び飛び出してしまう。
問題児であるのなら、それは彼だけがつくり出した問題なのか。彼の責任なのか、そして本当に彼は罰せられなければいけないのか。大人達の思う都合のいい子供でないがために、問題扱いされなければならないのか。
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映画の最後の方で少年に対してのインタビューがあるが、そこで彼はある質問に「母親が死んだ」と答える。実際、母親は死んでいないが彼の心の中で亡くなってしまった彼女の存在を表現する大切なシーンだ。
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作品を手がけたトリュフォー監督自身も孤独な少年時代を経験されているそうで、親との関係に問題もあったとか。このことから監督自身の自伝だとも言われている。カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞している。1950年代に始まったフランス語で「新しい波」(英語ではFrench new wave)を意味する映画運動の中でも先手を切った代表的な作品でもある。
最後のシーン(走るシーンとフリーズフレームが青春!)も美しい、オススメのモノクロ映画♡♡