森博嗣さんによる、『「やりがいのある仕事」という幻想』を読みました。
まるで考えのコラージュのように彼の個人的な意見が書かれてる本で、働くことの意義とかやりがいとはなんなのか、またそんなものは必要なのかというとってもベージックな問題に対して、答える形になっています。
質問は彼自身が教授をやっていたこともあって、若者からの相談などから「人は働くために生きているのではない」だとか、例えば給料を基準に「こんな仕事をしている人は偉いとか偉くない」ということはないし、「仕事をしている大人が学生より偉いということはない」などとも言ったりしています。
全体を通して、「人は肩書きではないし、人が羨む肩書きよりももっと自分は何が好きなのか考えてみよう」といいうようなメッセージを受け取りました。
本書にも書いてあるよう、この内容は彼の個人的な意見や考えであって
誰にも何かを押し付けている訳ではないし、ただフランクにきっと彼が思うままのことを書いたのだということが伝わってくるような本だと思いました。
社会からどう観られるか、人からの賞賛を得るためにはどうしたらいいかなど、
人の目を気にして選ぶのではなく、自分で考えて納得出来るようにした方がいいという考えには共感できるし、人に流されてばかりでは本当に自分に見合う選択をしにくいというのもそうだよな~と納得。けれども例えば、「働くことが一番簡単」という所では「当たり前だが仕事はお金を稼ぐことである.....」と書いてあって、でもこれは色んな人がいるからな~確かに正論ではあるけど、なんかそんなの面白くないなってと簡単に同意できなかったり。けれどもきちんと筋を通った話もする割りには突如トンでもなデタラメが話が出てくることも、だから「これは彼の個人的な意見だからな」って受け止めながら読み進めていったりもしました。でも、なんだかんだ言って面白いし、読みやすいし、こんなことを文句じみたことを言いつつも、まんまと私は彼の本を買って、一日一時間働くライフスタイルをサポートしちゃっている訳だし、私は模型製作が好きだという彼の本をまた読んでもいいなと読み終わって思いました。趣味があってそれが楽しめることは素敵だし、なんだかのびのびしてそうで少し羨ましいくらい。
考えさせられたのは、「好みか適正か」や「ほとんど情報は正しくない」というトピック。
後者は考えさせられたというか、こういう事知ってるけど書いてくれると読んでて楽しいから私は好き。頭の中では分かってることでも他の人がそれを書いて、他の人もこう考えてるって知ると
なんだか自分の考えももっとはっきりしてくるような気もするんだ。
たまに「省エネルギーの観点から観れば人口増加を抑止した方がいい」とか、ちょっと笑ってしまうようなことを書いてるところも好きなポイントかな。
そういえば「過去のスタイルから卒業しよう」というのも面白いなと思いました。
ここでは社会的に人気のある通念や概念、例えば結婚して子供を産んで、親の世話をするという
生き方をしないことによって商売が傾く業界があるから、自分の意思というよりはそういう考えの植え付けによって選択をしてしまう可能性を気づかせてくれるような気がします。
だから自分で選んで決めたこと、やりたいと思っていることならいいけれど、そういうことで儲かる商売もあるから、商売であれ他人であれ、そういうものの意見にただ「うんうんうん」と頷いてただ流されるよりはあなたにとって良くないのでは?という提案みたいなアドバイスをくれてるんだよね。
ここまで来ると、もはや「やりがいのある仕事」どうこうというよりも「自分のライススタイルや生き方をまず自分で考えて決めよう」ということから始まって、じゃあ仕事って一体どんなことなの?とかを解いていく感じになってると思うんだよね。
私から言わせてみれば、やっぱり人それぞれでこうした方がいいという正解はないというのも
同感。けれども時に人と違った選択や選び方も勇気をもって実行する。今の現状が嫌なら
自分で変える努力を具体的に考えて、それに取り組むことがいいのかなって思ってる。
確かにこの本は抽象的ではあるけれども、具体的に取り組んだ方がいいとは言ってるし、ここは
問題を解決するための重要なポイントだと思うの。
彼の本の内容で意見が合う所、合わない所はあるけれども読んでいると色んなことが頭の中ではっきりする感じがするの。
彼の主観的な客観性には感謝できるし、こういう意見を読むのは面白い。確かに抽象的だから、はっきりした答えではないけれど人それぞれ抱えているテーマや問題が違うからそれでいいのかもしれない。
「やりがい」っていう言葉は人によって考え方や受け取り方の違う言葉だし、誤解を生む可能性のあるような言葉のチョイスだと言えなくもないけれど、会社に働くにしろ単に働くということになったとしても、利益を追求するのはどこでもそうだ。会社でもボランティア団体でも宗教団体でもお金がなくっちゃ続かない。人がそこに入って働くとなった時、それは個人の「好き」とか「嫌い」とか「やりがい」という測ることの出来ない感情的なものよりも集団として、または団体としての存続が大切だし、その団体を続けさせるために貢献すること、そのための仕事をするのがまず基本としてあるのは当然だと言える。もちろんそれ以外に個人的な感情や価値観や観念なり概念なりが入り込んでくるのは人間だから仕方ないというか、そんなにシステムのためにだけ働くという人ばかりではないし、理屈だけどなくそういう動機があって初めて働ける(働く気が起きる)人もいるけれど、そういう構造の中で働いてるということを理解するのとしないのとでは考え方も変わってくるはずだと思うし、例えば想像力や物事に関する感情的な面も、団体の存続を優先した上で、より生かされるのだと思う。