前回のブログのその後の話になります。

23日の午後にお義母さんから電話があって、お義父さんが危ないから帰ってこれる?と言われ、
急いでヤギジュンを早退させて、夕方から車で静岡に向かいました。

向こうに着くのはおそらく20時。
それから病院へかけつけて…いや、直接病院へ行ったほうがいいだろか?
病院名を聞かなくては…
などのメールをお義母さんにしたら、

「面会時間は明日の14時から16時です。」


…は??

「危ないのに面会できないんですか?!」と食い気味にメールしたら、


「危ない一歩手前だからそんなに慌てないでいいよー。」


…( ̄▽ ̄;)

いや、でも万が一の事もあるかもしれないので向こうにいた方がいいと思い、2日分の大荷物を持って行きました。

光の事はまた改めて記事にしますので、今回はお義父さんの事をここに記録します。
重い内容が長く続きますので、ご了承ください。


お義父さんはクモ膜下出血で倒れる前日から頭が痛くて寝込んでいて、ご飯も食べずお風呂も入れず、インフルかもしれないから病院で検査をしてもらい、インフルではなく、風邪薬をもらって帰ってきたようです。
翌日は会社に行き、珍しく早退してきてその後ずっと寝込んでいたそうです。
風邪ひいて寝込むなんてこといままでなかったそうです。
ご飯もお粥を2.3くち。
その夜、お風呂に入ったあと、脱衣所から頭が痛い!と叫んで居間に倒れたそうです。

そう、前日から予兆があったんです。
病院に行った時、頭の検査をしていたら…とおもいますが、インフル疑って違ったらじゃあ風邪だと思いますもんね…。


夜10頃、緊急オペ。
その時お義母さんから、もうダメかもしれない…って泣きながら電話がきて怖くて怖くて一人眠れなかったのを覚えています。
(他2名爆睡中)

手術は明け方無事に乗り越えられましたが、ここからが勝負だそう。

右脳が腫れて左脳を押しつぶしているそうで、頭蓋骨を開けて脳の圧迫を逃がしているそう。


お義母さんが今回私たちを静岡に呼んだのは、
脳の腫れが今ピークをむかえている時で、
万が一また脳に何かあった場合、再手術をするか(脳を切り取るとかなんとか)、心拍停止した場合、心臓マッサージなどの蘇生はするか、などの決め事をしなきゃならないらしく、家族は手術、蘇生はしないと決めたそうです。


医師のちゃんとした説明の紙を見せられたけど、直接きいたわけではないから私が書いた事はほんと曖昧で間違ったこと書いてるかもしれませんが、手術のリスクや合併症、助かっても植物状態、などたくさんの話を家族から聞きました。

なのでもしかしたらもう会えなくなるかもしれないから、ってことで静岡に呼ばれたようです。


集中治療室で変わり果てたお義父さんをもうみたくない、顔と頭が腫れ上がって見てられない、病院へ行きたくない、とお義母さんは言っていて、
さぞかし辛い姿なんだろうと覚悟を決めて
翌日ヤギジュンと会いに行きました。

その間、光はお義母さんに預けてお利口に過ごしてくれてたそうです。


インターホンで、面会に来たことを伝え、外で待つこと約10分。
心臓バクバクで緊張した。
ようやく呼ばれ手を消毒、マスクをして緊迫した様子で義父さんに会う。

涙が溢れたが、想像してたより
お義父はお義父さんだった。
人相がかわってて別人なのかと思ったが、ちょっとむくんだお義父さんだった。

耳元で
来たよー!
光も会いに来てるよー!
って泣きながら言ったら右手が持ち上がった。
その手を掴んで号泣した。

意識不明だと聞いていたから、手が動き出して怖かったけど、わかってるんだ!
と勝手に解釈した。

光の名前をだして一生懸命耳元で声をかけた。

光がおじいちゃんに会いたがってるよ!
光と会う約束してるでしょ!
光のためにがんばるんだよ!

泣きながらたくさん言った。
手を握り返してくれた。
たまたまかもしれないが、私はやっぱり声に反応してると感じた。


ヤギジュンは私の後ろで小さな声でお父さん…と泣いていた。
直視できないくらいの感じ。
ヘタレ感満載(ー ー;)


この日術後6日目。
担当看護師の話では

右脳の腫れは引いてない。
左の瞳孔が少し開き気味。
肺炎を起こしている。

んーよくなっていない…。

面会時間は5分だが、実際何分いたかはわからないが10分はいたと思う。

看護師に色々聞いた。

お義父さんはうちらの声は聞こえてるの?

聞こえてるらしい。
ただ理解してるかはわからない。



手足が、動いてて怖いんですが、無意識の反応?

本人の意思で動かしてるらしい!
右手を顔の方に持って行って(左は麻痺)
チューブを引っこ抜こうとするらしく、手はグローブみたいなのはめて、顔まで行かない程度に動かせる長さのロープで柵に縛ってあった。

お義父さんが右手をあげた時、握っていたら、看護師さんがグローブ外してくれて、素手を握らせてくれた。


声が聞こえてて、
手足も自分の意思で動かしてる…。

そう思ったら、もう毎日でもお義父さんに会いに行きたい!
毎日光の話をしてやりたい!
と思った。


家族は
お義父さん酷い姿だから見るの辛かったら翌日はお見舞い行かなくていいからね、
なんて言ってたが、とんでもない!!!

どうやら家族はお義父さんが声が聞こえてて、手足を自分で動かしてるって事を知らなくて、光の話をしたら反応したって事にびっくりして泣いてた。

今までお義母さんは
お義父さんの姿が怖くてショックで話しかけた事がないと。
あんなの私の知ってるお義父さんじゃない…と目をそむけているのです。

どんなに反応なくても聞こえてなくても
声かけるでしょーよ。

お義母さんは
アンタは気丈だね。
と言ってた。

ヤギジュンも私の行動にびっくりしたと言っていた。
いや、当然でしょう?!

お義父さんの兄弟にも
ぜひたくさん声をかけるように伝えました。




この夜、病床でのお義父さんの姿がわすれなれなく、涙が止まらず眠れずで、連日のクモ膜下出血の検索に続き、
右脳、左脳の機能についてお勉強…。
お義父さんは右脳はもう機能しておらず、左脳はまだ生きている。
左脳の役割はと…

…左脳は言語脳ともいわれます。意識的に言語によって思考したり記憶したりする脳です。
たとえば、人との会話で、聞いたことばの意味をそのまま理解するのが左脳です…

!!!

やはり!
私の呼びかけがわかってるに違いない!!




翌日。ヤギジュン誕生日。
本人は最悪の誕生日だと言っていた。


もう一度お見舞いに行って、東京に帰る予定。
私と光だけ静岡に残ろうかと思ったけど、車も運転できないし、光もいてかえってお荷物なので、やっぱり帰る事に。

前の晩にヤギジュンのお兄さんに光の写真を3枚プリントしてもらい、
お義父さんのベッドに貼ってもらえないかなと思って。
いつでも光がそばにいるように。

この日担当の看護師さんに貼ってもらえないかと言ったら、快くオッケーしてくれて、ファスナー袋に写真をいれて、頭の横の柵に貼ってくれた。
さすがに3枚はむりだったので、重ねて1枚分しか貼れなかったけど、毎日写真を入れ替えます。と言ってくれて、その気持ちだけで充分嬉しかった。

そして昨日の看護師さんに相談したらオッケーもらえたのは
光の声を録音してお義父さんに聞かせてやること。


デジカメの動画機能で、光のおしゃべりを録音してきたので、今日はそれを耳元で何度も流してあげた。

身体をもぞもぞと動かしてた。
昨日よりよく動いている。
きっとお義父さんに聞こえてて喜んでくれてると信じたい。


この日術後7日目。
脳の腫れは変化なし。
炎症もまだある。
瞳孔も開いているが、気持ち開いてる、くらいのもんだそう。
血圧120前後で安定。

んー。腫れは引かない…。
頼むー引いてくれー!
腫れが引かないと左脳もどんどん圧迫してしまう。
再破裂する可能性もあるだろうし、ほんと怖い病気…。


お義母さんも、おばあちゃんも
もう助からないと思っていて、辛い辛いと泣いています。
万が一に備えてもう動いています。
助かっても重度の障害が残るでしょう。
でも私はまだ信じています。
諦めてません!


そして光パワーで
奇跡的に回復することを心から願っています!


こんな記事、アメンバーにするべき内容ですが、
少しでも多くの人に読んでもらって
ほんの一瞬でも
あーお義父さんがんばれ、助かるといいな、
と感じてくれれば幸いです。


最後まで読んでくれてありがとうございました!



(この3枚の写真がお義父さんのそばで応援しています。)

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