インファントレジーム元東京都都知事である石原慎太郎氏の太陽の党が解党、橋下徹氏率いる日本維新の会と合流した。
また、太陽の党との合流話を一夜で反古にされた河村たかしの減税日本は、減税の看板を外したら、仲間にいれてやるとばかりに恫喝され、落ち込んでいるメディアでも妙に取り上げられるが、個人的には勝てないお荷物は要らんが主流なのだろう、とは思っている。
しかしながら、世イ査をみる限り、大分票が傾きそうなのは良かれ悪かれ橋下徹氏も逆に損だとは思う続維新の行方参照。
渡辺喜美のみんなの党は、維新の会への離党者が続出している。
しかし、党として生き延びる為大学の生存本能に似たものがあるがに維新との選挙協力の方向を探っている。
いわゆる第三極は、どこかでみたあの業界の離合集散劇とよく似ている。
党名を維新組でんぱ組ではないに替えて、笠原和夫にシナリオを書いてもらったら、まさにあの映画になる。
河村たかしと渡辺喜美が総長賭博の中井信次鶴田酷竅A昭和残侠伝人斬り唐獅子における風間重吉池部良の役柄に近い引き裂かれ状態にある。
甘言を弄し、或いは恫喝を加えて、縄張りを奪おうとする新興勢力維新の会に抗して、何とか平和裏に組党を守ろうとするが、うち続くあまりの理不尽な仕打ちに我慢ならず、全員斬り殺しテロ自分も死ぬという悲劇的役は、妙に照らすと彼らにこそふさわしい。
まあ、見る限り当たり前だがふたりともそこまでの侠気はないだろうあったら逆に困るか、ははは。
河合たかし、渡辺喜美の二名を見ていると、昔の中高生には今もかお馴染みのあの風景が浮かび上がる。
そう、いじめっ子集団にいじめられ、パン買ってこいとパシリに使われている中学生が、それでもいじめられてなんかいない。
あいつら、友だちなんだからとかなんとか言いながら、いいようにこき使われて、だんだん目が虚ろになり、次第に狂う、そんな姿が分かりやすいだろう。
結局ここまでの話から何が言いたいかと言えば、それは、橋下徹という人間はほんとうにいじめの達人であるイヤな翌言葉という事実であるしょうがない、こうもどこかでみた事例がオーバーラップすれば。
如何様にすれば人間は傷つき、自尊感情を奪われ、生きる意欲を喪うか。
その方法を熟知しているのは、もはや韓国人 出会い才能と言う他あるまい。
他人をいじめるチャンスがあると、どうしてもそれを見逃す事が出来ないこの人に取り憑いた病態がまさにこれだと思う松井氏は一回ボソッと諌言する事をお勧めする。
話はずれるが、テニスで、相手が転んだときにあなたはそのままスマッシュを決めるだろうか決める人間は、ディセンシーに欠けるとされるのが、イギリス人のスポーツである高校時代はもうディセンシーなんか関係なく皆バッカンバッカン打ち込んでいたが。
卓球にはもはやディセンシーという言葉はないらしい。
相手がどうにもならない状況の場合にはスマッシュを控える英国紳士的なフェアプレイである。
そもそもは、これが出来るかどうかで人間の質が判断される松岡修造氏あたりは出来そうな気はするが。
別にテニスに限った話ではないが、テニスの場合では、そのままチャンスとばかりにスマッシュを打ち込むか、相手の立ち上がりを待つかの判断はコンマ何秒以内に下されるやれば分かるが、もはや本能である。
当たり前だが、政治的思量の暇はない。
フェアプレイ精垂ェ身体化されていない人間にはフェアプレイはどう足掻こうが出来るはずもない英国人はそこを見る周囲のテニスをやるイギリス人に聞いてみれば、多分そんな状況でスマッシュ打つわけないじゃないと返ってくるだろう。
ただし、今は殺人テニス漫画とも呼ばれるテニスの王子様もあるから、だいぶ意識も変わってきたのかもしれないが。
テニスのレベルの次元や勝敗の帰趨より、その上に、上記のようなビフェイヴァーBehaviorが出来るか否かその問いの出来ると回答した人間が、イギリス人としては、リとしてふさわしいかどうかのチェックポイントになるだから、多分ブレアあたりサッチャーはメだがに一回会見で聞いてみればいい。
あなたは私とテニスをしていて、私がコケたらそのまま決まり手のスマッシュを打つかと。
多分上記の答えが返ってくるであろうから。
理由は言うまでもなく、少なくともイギリスでは、そういうものだから、である。
ジョンルカレわれらが背きしものにも似たようなものがあるイギリス人は多分血が似てるんだろうオックスフォード大学で文学を教えているペリーは、バカンスで訪れたリゾート地の海岸で、あるきっかけから、なんとロシアの犯罪組織の大物であるディマとテニスの試合をする。
力量の差ペリーが強いに気づいたペリーは、ゆったりと試合を進めようとした。
ペリーは、ディマに対する一方的な虐殺ではなく、組合員が見守っている前で、立場を崩さない為ぼろ負けしたらそれはオメェ、あんなひょろひょろに負けてやんのと飛んできて後でろくな事にならないに必死で走り回るディマのプライドを配慮し、そこそこの失礼かゲームらしい形に整えようとした。
サイドを変えたとき、ディマに腕をつかまれて、怒声を浴びせられた。
俺をバカにしたな私が何をしましたかさっきのボールはアウトだろう。
それがわかっていたのに、わざと手を出しただろう。
俺がデブで半ば年喰って、半分死にかけている老いぼれだから、手加減してやろうとでも思っているのかさっきの球は、ラインを割ったか割らないか、ギリギリのところだったんですよおれは賭けでテニスをやる。
やる以上は何か賭けよう。
俺が勝てば、組合員は誰もバカにしない。
どうだ、1000ドル賭けないかお断りします5000ドルでどうだペリーは笑いながら、首を振った。
臆病者だなたぶんそういうことですよと、ペリーが認める。
そして試合が終わる。
ペリーが勝った。
ディマはペリーを熱く抱きしめてこう言う。
教授、あんたは物凄いフェアプレイ精垂フイギリス人だ。
絵に描いたようなイギリス紳士だ。
俺はあんたが好きだよジョンルカレわれらが背きしもの、上岡伸雄他訳、岩波書店、2012年、4344頁テニスを通じてイギリスの紳士たちは勝つことと、言うよりかはどう勝つかを学習する。
敗者を叩き潰す勝ち方ではなく敗者に敬意を持たれるような勝ち方を学ぶ事が指導者たる人間に要される故に。
少なくとも、ジョンルカレの目に映り回想する大英帝国の紳士は、そういう勝ち方をパブリックスクール時代に学んだのはわかる。
理想主義的という事ではなく、労働者階級や植民地原住民たちを支配する訓練の一環として学んだのである。
日韓のインフラ整備にも似たような事は言えるが言えるだけで、フェアプレイではない。
理由は後述、自分が上位者であり、相手の立場が弱いときに、あえて手を差し伸べ、敵に塩を送って、ゲームの形式を整えるというのは、結果を見れば明らかに、非常に費用対効果の高い統治技術であり、ネットワーク形成技術だと言う事がわかる目先三寸しか見えないような人間には何年経っても分からないかも知れないが。
ただし、それは政治的オプションとして選択する事は不可能だ。
そもそも、原理的に、脊髄反射的に出来るものでなければ、フェアプレイとは言わない。
熟慮の末に、こう振る舞うならば自己利益が増すだろうと思い選択されたパフォーマンスはただのマヌーヴァー作戦、謀略でしかないだから、前述のインフラ整備はマヌーヴァーでしかない。
考えている暇が無い時にもフェアに振る舞えるかはたまた利己的利己的ですらない人間もいるが、それはもう愚かであるになるか脊髄反射にその人が受けてきた統治者たるべき訓練の質が露呈する。
わが国の統治者と、統治者になりたがる人間のうちに、果たしてフェアプレイを身体化するような訓練を受けてきた政治家がいるだろうか武道派政治家はたまに見るが、新聞に載るプロフィールはなかなか見ていておもしろい上品な政治家とか清廉な政治家とかいう話ではなく、そもそも統治者としてリアルな力量があるのか、をフェアプレイを物差しとして見る、という話である。
悪いが、本音は、そんなものひとりもいないと書きたいが、もしかしたら今後どこかにもしかしたらこの文章を見た未来の諸賢がフェアな政治家として、絶滅危惧種的に残存する可能性もあるので、期待を残す。
劣化しているのは、システムよりか、やはり人間だろう、と思うあんまり言われないが。
不思議なことに、制度の改変や政策の適否について饒舌になる人間はいても、人間そのものの劣化について触れる人間は少ない。
政治公約や連帯の約束を一夜にして反古にする人間。
勝ち馬に乗ることを政治家として生き残るためには当たり前だと言って憚らない人間。
そんな事を思っているような人間たちばかりが政治家になりたがっている橋下徹氏も石原慎太郎氏の勝ち馬に乗りたがっているとニュースになったばかりだ。
いじめの政治学には長けているが、フェアプレイ精吹vについては聴いたこともないというインファントが政治の世界に跳梁するようになった。
願わくば、とりあえずこれ以上に幼児化することがないように祈るほか無いろくでもない結セが。
