思い出フォト
下僕(私)が出掛ける時は
いつも
『お留守番宜しくね、待っててね』
と、話し掛けていました
帰宅したら下僕(私)はいつも
熱烈アプローチをして
触りまくる…とね、お決まりの
シャー祭りと血の海の歓迎
そんな毎日を過ごしてました
だからなのか…最後のお別れの時も
下僕(私)が落ち着くのを
待ってたかのように
貴女は天使になったのですよね
本当にお利口さんな(親バカ発揮)
愛猫ナナでした
今日は我が一族が眠る
お寺さん(埼玉県川越市にある蓮馨寺)の
お施餓鬼法要の日
(毎年8月9日と決まってます)
いつもなら
母を連れて車でピューンと行くのですが
母も高齢者で足腰もキツく
もう引退したいと話してました
長男である兄に任せたいと
以前から相談されてまして
私は賛成であると伝え
兄が仕事の都合で駄目なら
姉や私が行くし
もう、我々に任せていいよって
話したのですが
『でも…いいかしら…どうしよ…』と
迷った発言もしていて…
どうやら
今まで母がやってたから
心苦しいらしいです
母から行かなくていいと言われたので
虫の知らせと言われた…
心の中で御参りしたいと思います
雨でも行けるんだけどね…

〜私の一部分の記憶話し〜
大昔、地主だったらしいご先祖様
祖父の語りの記憶のみで詳しくは分かりません
第一次世界大戦に土地を献上し
(弾薬を作るため)
第二次世界大戦の時は
縮小した土地と蔵をも同じく失い
(武器倉庫と基地として献上)
川越市から東松山市へ移住
祖父の兄弟姉妹は9人で
内、3名は千葉県へ里子
末の妹に土地を譲り
戦後間もなく長男である祖父は
神奈川県に移住
距離はあったけど
離別した
兄弟姉妹と会える場所でもあり
祖父の育った所でもあり
大切な地元でもあると聞いてました
遠くても檀家であるので
欠かさず、務める事を
祖父はずっと話していました
母も祖父から言われてたのでしょ
義務という形で毎年行ってたので
心苦しいのかと思います
貴重な語りを
幼少時代に聞いてたので
記憶も多少薄っすらとなってますが
繰り返し話してくれたことで
今でもこうやって忘れず
私も話せる(記憶のある限り)のですよね
昔の話など
今、現在社会の役に立たないとか
思う方もいると思う
そういう人が居ても仕方無い
けど、私は思うのです
『語り継ぐ』とは、思いを繋ぐ
大切なモノだと思います
祖父の思いを繋ぐ
これは会ったこともない
ご先祖様の思いであると
私は思うのです
長男である兄
この先、繋ぐ事をするのかしないのか
私には分からないけどね
私としては
自分が大切だと思う事は
大事にしていきたいと思ってます
※このままなら私もそのお墓に入るよ※
(人 •͈ᴗ•͈)ゴセンゾサマトイッショ♪