TV、ニュース、新聞にネット
報道関係はあくまで情報であって
真実であるかは我々に委ねられてる
それぞれの媒体が情報を得て
文字や言葉で伝えている時と
事後報告で伝えてる時もあり
そこに正解などの正しいという
明確性は約束をなされていない。
時々、真実の如く伝えてる媒体がある
関係者の発言や親族、近い間柄
または何十年も会ってない
学生時代の方からの発言を載せ
視聴者の興味を持たせようとしたり
悲劇的なドラマを作らせるよう
誘導してるような流れを見ると
私はとても嫌な気分になる、キライなのだ。
だって、本人が発言してないのに
どこにあるの?真実が?
また昨今、You TubeやSMS等
本人が発言出来る時代にもなってるが
もし、その本人が嘘を言ってたら
自分に有利な方向へと誘導してたら
とか、思う、考える人は
まだ少ないのではと懸念する
それぞれの媒体は情報であって
個人の見解に委ねられてる
自分の責任で得るための情報なんだと
声を大にして言いたい
勿論、その中に本当の、真実の事柄も
あると思う。
それを判断したり得る事も
個人の責任の中で良いと思う
まわりを巻き込む事はしなくていいのに
群れる習性が人間にはあるから
どうしても承認欲求をしてしまう。
自信が無かったりすると尚更である。
あくまで情報であって
その得た情報をどう解釈するか
個人の見解のみでいいと思ってる。
何が言いたいのかは…
見世物になってるようで
私は気分が悪いと言いたいだけなのだ。
当事者の心の中のみ真実がある
我々視聴者は
群れて偏った考えを持った時点で
その本人の人生を歪ませてしまう
我々に何も責任を問われず
人生を左右させてしまう
魔女狩りと同じではないでしょうか。
そして死人に口無しでもある。
人間って善きも悪しきも
繰り返す生き物
争いが止まないのも
人間だからなのかもしれない
高校一年の時に集団イジメを経験した
私は噂という情報のせいで
ニガい思いをした
その噂には何も真実が無かったのに
面白いように着色され
ゴミ以下の扱いをされた
ま、私は勝手に小学校の時から
心は孤独であったし慣れてた
現実世界の孤独も大した変わりがなく
無の境地であれば相手をしなければ
反応さえもしなければと
それでいいと思ってた
(高3で解決したからこれも終った話)
見世物のようでイヤだと思うのは
私、本人が経験したからなのだ。
上辺だけの理解や情報だけの判断は
真実かどうか、正しい情報なのかを
それらを本当に信じていいのかをも
個人の責任であらなければならない