心の整いに
まだまだ時間が必要な私


『ナナに会いたい』
『ナナに触れたい』
『ナナのモフィに顔を埋めたい』
『ナナの声が聞きたい』
『ナナにシャーって言われたい』

…と 「たいたい病」になってます


そして
幼少の頃に泣きじゃくってたような
声が出まくりな泣き方しかできず…

大人な泣き方が出来ずで
毎回、 顔面崩壊してます

ま、引きこもりな私なので
顔面崩壊していても問題ないのですが…ね…。



それでも、いくら引きこもり生活してても
外に出なくてはならない時もある

そんな時は
心に蓋をして、無の気持ちになって
顔面崩壊させないよう
日々の業務に徹してるのですが


いゃ~………

蓋をすればするほど

駄目になる



4月後半から心の整いのために
(業務遂行するため)


「無」の境地に足を踏み入れてたのですがね…

駄目でしたw(--;)(T^T)



結論から言えば

換気は必要なんです
(心の解放です)


「無」になんて、なれない

ただ、ただ 泣くことに我慢して
蓋をして
閉じ込めて

日々の、目まぐるしく進む事柄に
全集中してたとしても



心の器なのか、心の整いがなってないのか
どーなのか、分からないけど

溢れてしまう

そして、蓋をすればするほど

顔面崩壊率が上がるほどの
泣き方になる



沢山 泣くと、本当に心が落ち着く

声を出して 泣くと、
顔面崩壊するけど、胸の苦しみから
ほんのり、解放されてる


換気(心の解放)は必要みたいです





静かな部屋に
ナナのぬくもりは無いけど

存在は あらゆる所から見つけられる

ナナのモフィな毛が
まだまだ 出てきます





自分と向き合うのは 本当に大変であって

何が無理しないのか
何を無理するのか

『心の整い』に教科書は無く

それこそ
正解も不正解も無く

自分に合ったやり方で
『心の整い』をしていくしかないみたい




「趣味に没頭しろ」だとか
「毎日笑って過ごせるように」だとか
「時間が解決する」だとか

これらは、あくまで 結果論で言えることで

経過中の私には
まだその結果には結びつかなそうで

今を生きることに 精一杯です





私はもう猫を動物を飼う事は無理だと
本当に思ってます


可愛いし、本当に好きだし
自分の事よりも
飼った動物を優先にして 生活するし。



でも、気が付いたのです


私は私を大事に出来なくなる



他人から見たら
ちゃんと世話をしてるんだと
思われるかもしれない


飼う動物を中心に生活をするから


でも

人間である自分を蔑ろにしてまでの
動物中心な生活は
『共存』になってないんじゃないかと


気が付きました


  ただの『依存』でした。





ナナは私に教えてくれたのかもしれない



ナナが亡くなって気が付く事が
まだまだありそうです





私はまだ、人間として生きて行く事への
『修行中』なのですね。